新入生 Ⅴ
「―――事前に言っておくがね、魔導の道に極みなんてものは存在しない。我々は今、発展途中の技術を、そして学問を扱っているのだ。この技術と学問の積み重ねはそれこそ数百年、数千年も先に続くだろう。明日の発明が100年後には幼年学校で学ぶ常識になるかもしれない。それが技術というものだよ」
リスの姿をした教授、ノレッジ教授は知恵の名を冠する名前を持っていた―――ワイズマンもそういう名前だし、流行ってるのかなあ……なんて一瞬考えてしまった。だけどノレッジ教授の言う事は凄く真っ当で、聞き覚えのある内容だった。お父様が自分とロゼに魔法の教練をする時に言っていた事とそっくりだ。
「そう、極みという概念はそもそも存在しないのだ。極めた、そう思った瞬間が《《終わり》》だよ。それは自分で自分の限界を設定してしまう行いだ。我々はまだ未知で溢れている概念に触れ、それを開拓している最中なのだ……だというのになぜ、極めたという言葉が使えるのだろうか? 君たちも気を付けるが良い。誰よりも強い魔法を扱える事、誰よりも魔法をよく知る事。そんな事は数百年後には何人にでも覆されるものであり、そして未来の基準というのはあがり続けるものなのだからね」
ノレッジ教授は教卓の上に置かれた自分専用の……ミニチュアフィギュアの様な椅子に座り込み、器用に足を組みながら小さく作られたマグカップを手にさて、と声を零す。
「こうやって私は講義を始めてしまったが、別段君たちを脅そうとしている訳でも、やる気を削ごうとしている訳でもないんだ、すまないね。ただ魔法の修練、勉学というものは君達が考える数倍地味で目立たないものだ。余りにも大きな夢を魔法に抱いてこの講義の扉を叩いたのであれば、現実を教えるのが私の役目でもあるからね。幸い、私が担当するのは1学期目の君たちの基礎学習部分だ。ここで退屈だと思えば間違いなく素質はないだろう。別の講義を受講する事をお勧めするよ」
「まあ、私達ここら辺は死ぬほど理解させられましたわね」
「うん……お父様との練習、ずっと地味だったもんね」
「そういうものなのでしょうか?」
十歌の言葉に頷く。魔法の練習とは物凄く地味なのだ。
「良いかな? 魔導の鍛錬とはひたすら繰り返して魔力を練り、魔導言語の理解を深めて行く事だ。魔法の反復練習? まあ、確かに多少は必要だろう。だがそれも多少程度でしかない。本格的に戦闘方面に進むのであれば話は別だろうが、基本的に魔法の練度、そして強さを上げる方法は魔力のコントロールを上げる事と、それを運用する為の魔法に対する理解を深める事だ。そしてこれが奥義であり秘奥でもある」
解るかな? とノレッジ教授は言う。
「魔法の基礎とはそれだけなんだ。そしてそれ以上もない。恐ろしく地味であり、騎士団にでも行かない限り、それ以上の事も必要はないだろう。もし魔法関係の研究職を将来的に目指すのであれば、これから君たちは永遠に魔力の操作練習と勉強を繰り返す」
ノレッジ教授の言葉に一部の生徒の顔色が悪くなってくる。それにノレッジが笑い声を零す。
「そうだろうそうだろう、思っていたよりも地味だろう? そもそも君たちが夢見る様な広域魔法の類は基本軍用だ。それもスペルバインダーを丸々一つの呪文の為に構築しないとならない上に要求される魔力も馬鹿にできない。そんな物だったら神聖魔法を頼った方が早いのさ。だから夢は見ない方が良い。だがそれでも……魔導、その発展を求めるというのであれば。君はまさしく正しい道を選ぼうとしている」
さ、とノレッジ教授が言葉を切り上げる。
「ここまで来て、何か質問はあるかな?」
静かに手を上げると、ノレッジ教授が此方を見て頷く。
「そこの君、何かな」
「教授はドライフルーツとくるみ、どっちが好きですか」
「甲乙つけがたいが……やっぱりくるみかなぁ」
次回の講義までに用意しとこ。
講義が終わって教室を出ると、既にエデンが待っていてくれた。久しぶりに見た気がするエデンの姿に駆け足になって突撃すると、私の体をエデンは軽く受け止めてくれた。結構勢い付けてるつもりでも、エデンは見た目以上に強いから、軽々と受け止めてしまう。そもそも馬車を素手で持ち上げる程の怪力なんだから当然と言えば当然なんだけどね。だけどエデンの力強さにはどことない安心感があって、好きだった。
「エーデーン!」
「お疲れ様リア。ロゼも講義お疲れ様。初めての学校はどうだった?」
「中々面白かったわね」
「いっぱいの人で集まって一つの事を学ぶのは不思議な感じがした。でも楽しいよ」
「そーかそーか。なら良いわ」
エデンが私達を迎えてくれている様に、直ぐ横では十歌の事を彼女の従者らしき人物が迎えていた。此方は……非常に珍しい恰好をしている。長いスカートみたいな服を着ているし、上の服装もなんというか、説明のし辛い恰好をしている。男なのか、女なのか、ちょっと解りづらい中性的な顔立ちと相まって不思議な人物に見える。そんな私を理解してか、エデンが説明してくれた。
「あれは袴っていう服装だよ。極東で武士……まあ、こっちで言う騎士みたいな連中が着る服装なんだわ」
「詳しいわね……ってエデンは確か極東が好きなんだったわね」
「まあな。その道のマニアだと思ってくれ」
エデンの言った武士は十歌の無事を確認すると軽く頷きながら静かに十歌の後ろへと、静かに護衛の出来る位置に移動している。足運び一つ一つに音がなく、そして意識し辛い所がある。ただこっちが視線を向けているのを理解すると、軽く頭を下げられたのでこちらも頭を下げてしまった。それを見ていた十歌がくすり、と口元を隠しながら上品に笑う。
「此方、私の従者と護衛を担当している者で楓と申します」
「拙者、楓と申す武士に御座る。お見知りおきを」
「では私からもエデンを紹介するね。私の従者で護衛で姉のような人」
「うちの娘がお世話になってます」
「いえいえ、異邦の身なれど、親切にして頂き此方こそ感謝しております」
辺りを見渡すと護衛が迎えに来ているところもあったが、基本的にそうやって迎えに来る護衛というのは少なく、そのまま別の場所へと向かう学生の姿が多く見える。学園に来るときはそこそこ護衛の数が見られたが、どうやら学内にはあまり留まらないように感じられる。事前にエデンが何度か調査をしている限りでは、セキュリティは特に心配する要素もないという話をしていた。それこそ護衛なんて連れて来なくても全然大丈夫というレベルで。
或いはそれも、完全に学生という本分を果たさせるためなのかもしれない。立場や護衛の存在を忘れてただの学生として振舞う―――、まあ、昔からそんな感じにしか振舞っていなかった気がするけど。ただやっぱり、お父様もお母様もいない環境でたくさんの人に囲まれて勉強するというのは……ちょっと、不思議な気分だった。
「それじゃあ学食に向かわない? 私、密かにここの食事を楽しみにしてたのよね。十歌も良いわよね?」
「えぇ、私も此方での食事を楽しみにしてました」
「では学食へレッツゴー」
勢いよく音頭を取るとそのまま人の流れと共に学食へと向かう。今日は初日という事もあって半日しかなく、人の流れはまばらだ。これ以降は講義もないので自分の家へと帰る者、寮へと向かう者、或いは同じように学食へと向かう者など様々だ。だが共通しているのは誰もが学生服姿である事だろうか。何百という学生が廊下や校舎の中を歩き、そしてグラウンドへと視線を向ければ動きやすい運動着に着替えた学生たちが何か、クラブ活動に手を出そうとしているのが見えた。
クラブ活動……そう言えばクラブ活動もここでは推奨しているんだっけなあ、と思い出す。何か自分もやろうかな、と一瞬だけ考えるけど特に入りたい所が思いつかない。ならいいや、と視線を窓から外す。
そのまま、特に何かある訳でもなく3人で談笑しつつ食堂へと向かう。エデンと楓は後ろで数歩下がって話し合いながら追従してきて、会話に混ざろうとする姿は見せない。でも後ろの2人は2人で、中々楽しそうに話しているようには見えた。
そうやって歩きながらやってくるのは巨大な食堂の姿だ。
エデンが“フードコート式”と呼ぶのが大きな食堂の姿だ。複数のカウンターが用意されており、そこで国に合わせた料理をメニューからオーダーできるようになっているらしい。既に一部テーブルは学生によって占領されている他、大きくスペースを取られている空間もある。まだまばらに空いているスペースはあるが、ちょっと遠く感じる―――そう思った瞬間後ろからエデンと楓が消えた。まるで先ほどまで立っていたのが残像だったかと思うほどの速度で一瞬にして空いているテーブルの前に出現し、2人で席を確保していた。
「席確保してくれたみたいだし、先に何か頼んじゃいましょ……と言っても結構バリエーション豊かで何を頼むか困るわね」
「あ、見てください。極東料理まで置いてますよここ。この異邦の地でまさかお目にかかれるとは思いもしませんでした! あ、でも西方大陸まで来たのに故郷の料理を食すというのは少々風情に欠けているかもしれませんね」
「気にする程の事かしら? それにほら、リアはもう貰いに行ったし」
「すいませーん! お魚定食? 2人前お願いしまーす!」
「はいよー」
エデンも極東のご飯が食べたいって言ってたし、エデンの分も持って来れば良いだろう。頼んでから厨房の方へと視線を向ければ、そこからは言葉にできない未知の匂いが溢れてくる―――少し焦げているけど香ばしく食欲をそそる匂い。これがエデンが食べたがっていたものなのだろうか? 匂いは良いし結構興味あるかなー! なんて思っていると十歌もやってきた。
「グローリアは……躊躇なさらないのですね」
「躊躇する必要があったかなぁ。誰にも迷惑のかからない範囲だったら欲望に素直になっても良いと思うよ」
「そういうものでしょうか?」
「そういうものだと思う」
結局頑張って無理をしても、それが自分の嫌な事だったら長続きはしない。やりたいことに素直になるのが何事も楽しく生きて行く為のコツだと思っている。無論、常に自分の好きな事ばかりやっていける訳ではないのだろう。それでもなるべく自分の好きな事に対しては素直でいる方が、遥かに良いと思う。だから私は、そういう所はあまり我慢しないようにしている。きっと、私では難しい事はエデンが助けてくれるだろうし。
「はい、お魚定食」
「ありがとー。それじゃあ私は先に席に行ってるね」
「えぇ、直ぐに向かいます」
定食の乗ったトレーを二つとも持ち上げて、人混みを回避しつつエデン達が確保したテーブルまで向かう。適当にトレーをテーブルに置くとエデンがいやあ、と声を零した。
「俺の分まで持ってきてもらって悪いね」
「良いよ別に、大した苦労でもないし。それよりもエデンも一緒に座って食べよ」
「これは驚きに御座るなあ……エデン殿とグローリア様は主従の立場と聞いていましたが、振舞いはまるでそのあたりを感じさせないに御座るなぁ」
「私達姉妹として育てられたしねー?」
「まあ、うちはそこら辺緩かったからな」
特に気にする事でもないのだが、他所からするとやはり驚くような事らしい。まあ、うちはうち、他所は他所という話だ。特に気にする事でもないので普通にエデンを席に誘う。エデンも拒否する理由は特に無いらしく一緒に並んで座る。エデンは両手を祈るように合わせながらどことなく、目の前の食事に感動しているような気配を見せている。
「あぁ、夢にまで見た味噌と醤油……まさかこんな所で食べられるなんてなあ」
どことなく感動した様な様子を見せるエデンはフォークとスプーンではなく、細長い棒を二つ使った食器を器用に使いこなしながら魚を食べようとしている。その指の動きを見て楓は感心したような表情を浮かべ、主を見つけるとすぐに姿を消した。どうやら十歌がトレーを運ぼうとしているのを察して駆けつけたらしい。
昔はエデンもそういう細かい事までやろうとしていたが、今ではめっきりやらなくなった。
ちょっと寂しいかなあ、なんてフォークに軽く齧りつきながら考えている時だった。
がしゃん、という音が食堂に響いたのは。
誰かトレーを落としたのかなあ、なんて思いながらが視線を音源へと向ければ、そこに見えたのはトレーの上にあった料理を丸被りした令嬢の姿と、その前で凍り付くもう一人の姿。そしてそれを凍り付いたまま目前で見ていたホールで横に座っていた男子の姿だ。
食堂にいる者の注目を一身に集める光景、沈黙の中、
「―――お、修羅場か? やれー、刺せー」
エデンの茶化す声が食堂に良く響いた。




