新入生 Ⅳ
「滅茶苦茶面白かった」
「あら、歴史の授業そんなにウケが良かったのね?」
1限目が終わって2限目の魔法の講義へと向かう為に一旦合流したロゼ相手に頷きを返した。歴史の講義、私はエデンの過去を、種族を追う為に取る事を決意した講義だったが……それを抜きにしても相当面白い講義だと思った。まずワイズマン教授が物凄く面白い人だった。知識豊富で、話が面白く、引き込む様に話しながらも話題の中心をブレさせない。今日は初回という事もあってシラバス―――つまり学期中のスケジュールを説明する程度に留めていたが、若い頃は世界中を旅して知恵をため込んだという賢人の語る経験に裏付けられた歴史の真実は、物凄く魅力的に思えた。
少なくとも、あの教授には人に歴史を魅せる才能があった。
「―――という事で、凄く面白かったよ」
「へえ、私もそれはちょっと興味あるけど、時間的に取るのは難しいのよね」
「まあ、ロゼは入れる余裕ないでしょ」
ロゼの選択科目は政治、経済、魔法、雑学だ。今期取れる選択科目の上限が4つである以上、これがロゼが今取れる上限でもある。政治、経済はロゼが将来領主をやる上で必要になる科目だから彼女はそれを迷う事無く選んだ。魔法はロゼ自身の趣味で、雑学は必修科目だ。こう見るとあまり選択肢に自由はないんだよなあ、なんて思ったりもしちゃうが……本来、戦う必要のない立場であるロゼが魔法を科目として選ぶのが面白いか。
まあ、ロゼの目標は打倒エデンだったりするので、面白いと言えば面白い選択かもしれない。
「来期も結構選択科目の方はぎっちぎちなのよねぇ……学徒としての本懐を果たしていると言えばそうなんだけど。でもリアの方で面白い講義を引いたのならそっちにも興味があるわね……」
「時間が合うなら見学に来る? ワイズマン教授は見学に興味のある人は歓迎するって言ってたよ」
「そうなの? うーん、空いている時間と被ったら見に行こうかしら……リアは経済も政治も興味ないわよね? まあ、ないわよね……」
「うん、ソッチは私とは相性悪いかなあ、って思ってる」
やりたい事もあるし、とは口にしない。きっと龍の歴史を探る事、龍という存在を知ろうとする事は《《都合の悪い事だから誰もやらない》》のだ。例えそれが悪であり、忌避するものだとしても、人は知る為に歴史を勉強する。だけどないのだ。なじみのある街の書店に。
龍に関する歴史の書籍が、一つもない。
まるで意図的に避けている様に存在しない。父でさえ龍に関する本は中央へと態々頼まない限り手に入らないし、それでも手に入るのは数冊程度だ。それだけしか手に入らないのだ。無意識的な部分で龍という存在を考える事を回避している。そう考えられる部分がある。本当はワイズマン教授に相談しようかと思ってたけど―――止めた。自分の力でまずは探そうと思った。
「ま、政治も経済もやろうってタイプじゃないわよね。最悪エデンに聞けば全部代わりに答えてくれそうな気配あるし。アレ、私たちの歳の頃には既に学ぶ範囲全部覚えてるみたいな気配あるわよね……」
「まあ、エデンだし」
姉の事が誇らしく、胸を張るがロゼに背中を叩かれて軽く咽る。酷いなあ、と非難の視線を向けると笑われた。私もくすりと笑って許す事にする。エデンは色々と秘密を持っているみたいだけど―――まあ、特に気にするほどのものでもない、と思っている。たぶんお父様とお母さまなら知っている事だろうし。そしてそれを言わないという事は、言う必要がないという事だ。だから特に気にする様な事はない。ただ便利だなあ、程度に思う事だ。
「って話していると次の講義始まっちゃうわよ」
「確か次って魔法・Ⅰでしょ? 別の棟だったよね」
魔法・Ⅰ、という名称なのは魔法の講義は人気で、複数の時間帯での受講が可能だからだ。1学期目の魔法関連の講義は全てこれに圧縮されており、2学期目からはここから細分化したジャンルの受講が可能となっている。そしてそういうシステムである為、魔法の講義はⅠ、Ⅱ、そしてⅢにまで分かれている。私とロゼが受講する事を決めたのは一番時間が早い魔法・Ⅰの講義だ。以降の魔法系講義を取得するにはまずこの基礎部分を終えないといけない。
……考えてみると基本だけど、面倒なシステムだよね。
と、考え事は後にしよう。流石に遅刻するのは洒落にならない。さっさと隣の棟へと移動しようとすれば、
「―――もし」
声をかけられた。控えめな、女性の声。その声に振り返ると、凛とした佇まいの黒髪の女学生が立っていた。その顔立ちから解るのは彼女がエスデル人ではなく―――極東、海の向こうの大陸、その更に東からやってきた留学生である事だ。
「申し訳ありません、話を盗み聞きしてしまいましたが次は魔法・Ⅰを受講するのだとか。私も同じ講義を取得しているのですが、未だに地理に疎く場所が良く解らず……ご一緒しても宜しいでしょうか?」
一瞬視線をロゼへと向けるが、ロゼは一切構わない様に頷いた。
「私は構わないわ」
「私も構わないよ」
「ありがとうございます、緋皇宮十歌です、宜しくお願いします」
そのまま綺麗なお辞儀を見せられ、相当育ちの良い人なんだなあ、と少しだけ別世界の人の様に感じてしまった。流石に講義に向かわないといけないので少し早めに歩き出しながら十歌の言葉に応える様に頷きつつ、
「私はグローリア・グランヴィルで」
「私はローゼリア・ヴェイランよ。宜しくね、緋皇宮?」
「十歌、十歌で結構ですローゼリア様。極東の名前は此方の方々には馴染みが薄く、難しいものでしょう。ですので私は十歌だけで結構です。無論、敬称もなくて結構です」
「ならそうさせて貰うわ十歌。私達も同じように結構よ」
「様付けされるとなんかくすぐったいもんね」
「それは貴女だけよ」
「むえー」
鳴いても無視される。確かに、明確にお嬢様として扱われているのはロゼばかりだろう。私はそういう扱いとかは家にいても全く受けない。いや、アンが私をお嬢様として扱ってくれるが……結局のところ、使用人はアンとエデンだけで、エデンは色々としてくれるけど妹として扱ってくる。だからあまりお嬢様になったという気分にはならない。しいて言うならヴェイラン邸に遊びに行った時ぐらいだろうか? あっちの使用人は私をお嬢様扱いしてくるがまあ、それぐらいだ。それ以外ではあまりそういう扱いは受けない。
「仲が宜しいのですね」
「私たちの付き合いは長いからね。幼馴染よ。親友でもあるから」
ロゼがそう言ってくれる事に軽くにやけているとロゼに蹴りを喰らわされるが、それをひょいっと回避しつつ軽いスキップ混じりに棟から棟を移動する。繋がるようにブリッジになっている所を渡ればすぐ隣の棟に到着する。そこからは教室の番号をチェックして、そこへと向かうだけだ。記憶力には自信があるので《《校内の地図と部屋番号は全て頭の中に叩き込んである》》。単純な暗記作業なのでそう難しくもない。さっくりと移動したらそのまま教室まで移動する。中を見てみれば結構イイ感じの数が揃っていたが、まだ空きはあるし、教授も来ていない。
セーフ!
「ありがとうございます、グローリア、ローゼリア。お蔭でこうやって講義に間に合いました」
「良いわよこれぐらい別に。それに、折角だし一緒に座らないかしら?」
「是非」
両手を合わせて嬉しそうに微笑む十歌の姿に此方も笑みを返し、一緒に座る為に適当な席を取る。場所はまだ余裕があった為、特に困る事もなく座れた。3人で並ぶように座りながら視線は十歌へとやっぱり向いてしまう。
「十歌さんって極東出身なんだよね? 確か極東って相当遠い場所だけど……」
「えぇ、合っています。ここからですと……南部の港から東への船に乗って2週間ほどで辿りつく東部大陸、そこから更に東の果てへと行った所でしょうか? ここからですと相当遠い場所になりますね……来るのには相当苦労させられましたが、それに見合ったものをここでは得られると思っています」
「はぁ……凄いわねぇ……」
「極東って服装も食べるものも何もかも文化が違うって聞いてるから前々から興味あったんだよね」
特にエデンが極東産の醤油と味噌を市場で探しているのが印象的だった。輸入しようとなると瓶1つで10万吹っ飛ぶと聞いて諦めていたが、アレは絶対に諦めていない表情だった。何時か絶対に10万出して瓶一本分購入しては後悔するタイプの顔だった。長年エデンを見ている私が言うんだから絶対に間違いない。
「しかしそんな遠くから良く来れたよね? 大変じゃなかった?」
「そうですね……無論、長旅でしたし大変でした。ですが……私はその必要があったと思います。極東文化は思想そのものが根本からして此方の他の大陸とは違いますし、独自の神話や伝承も持っています。ですが文明的に進んでいるのはやはりこの中央大陸や西方大陸になってしまいます。私も故郷の味や文化は好きですが、伝統や文化だけを見ていては極東は衰退するばかりです」
「知見を得る為にそんな遠くから来たのね。凄いじゃない」
「いえ、凄いのはその判断を認めてくださり、快く送り出してくださったお父様です。極東は他国に対して排他的な部分がありますから、私を送り出す際にはかなり反対されました……ですので、お父様の助けなくしては私の留学は成立しませんでした。お父様の期待に応える為にも、多くを学び持ち帰りたく思ってます」
うわぁ、立派な考えを持ってる人だなあ……と思う反面、羨ましいぐらいにきらきらした人だな、と思った。夢、目標、そういう物を持ってここに来ている人達がいる中、明確に将来のビジョンが見えてこないのが私だった。果たしてこの人たちみたいなきらきらを得られるのだろうか?
エデンはそう焦る必要はないとは言う。だけど周りの人たちが明確に将来何をしたいのか、何になりたいのか。それが解っているのを見ていると……実は私、場違いじゃない? なんて思わなくもない。
考えに耽っているとロゼにほっぺを突かれた。
「ぼーっとしてどうしたの?」
「ううん、ちょっと色々と考えてただけ。やっぱ極東も一度は見てみたいなあ、とか。今日のお昼はどうしよっかな、とか」
「確かこの学園には大型の学食がありましたね? 様々な料理を無料で学生には提供しているとか」
「ここ、調べたけど一流のシェフがスタッフにいるみたいなのよねぇ! こっちに来てからレストラン行ったりしたけど、美味しいのなんの……都会の料理ってここまで進んでたのね! って感じよね。いや、決して故郷の料理が不味いって訳じゃないんだけど」
「ついつい食べ過ぎで太っちゃいそうだよね……」
「私にはこの国の料理は何と言いますか……ちょっと味が濃く感じて食べ辛さが来ますね……」
「極東はそんな感じなんだ」
「こっちの味が濃いとは思った事ないけど……こっちで生まれ育ってるし解りづらいかぁ」
「機会があれば是非振舞ってみたいですが、極東の調味料の数々は此方で希少で手に入りづらいんです」
当然だけど香辛料とかが違うから国や地域で料理の味が変わってくる。そしてどうやら極東は全体的に薄味らしい。でもエデンが極東料理凄い探し回ってたし、興味はあるんだよね……。
そう思っているとぱんぱん、と空気の破裂する音が教室に響いた。
「―――諸君、雑談はそこまでだ。これより講義を開始する。総員静粛に、そして注目」
そう言って渋い声を発しながら注目を集める姿は《《教卓の上にいた》》。教卓の上、威風堂々と立つ姿は見事なオーダーメイド製のスーツ姿をしており、着慣れているのかどこかびしっとした印象を受け取る。良く響く声は恐らく声を魔法で拡張させたものであり、先ほど注意を引くのに使ったのも恐らくは魔法だろう。だがそんな事実よりも、
「さて、それでは挨拶をしよう」
教卓の上、人の言葉を発しているのがリスという事実が衝撃的だろう。その場にいる全ての生徒が動きを停止し、流暢に喋るリスを見ていた。
「私が今学期、君たちに魔導の神髄、そして深淵。その入り口たるや何かを教える講義を担当する者だ。ミスター・ノレッジとも、プロフェッサー・ノレッジとも、ノレッジ教授とも好きに呼びなさい。私の事をリスと呼ばない限りは気にしないとも」
―――その見た目でリスとは呼ばないでって相当無理があるのでは……?
そんな疑問が教室内全体に流れたところで、リアクションを解っていたかのようにリスの教授が笑い声を零した。
「うむ、毎年その顔を見ないと始まったという感じがしないな」
悪戯小僧の様な笑い声を零しながら、リスの教授による魔法の講義が始まった。




