学園へ
―――俺は転生者だ。
地球からファンタジーな異世界に、それもまさかの龍へと転生した。あまつさえ女の子の姿に変わろうとは思わなかったが、俺は幸運にも優しい貴族の一家に、グランヴィル家に拾われる事で色々と経験した。楽しい毎日だったし、苦しい事も何度かあった。それでも頑張ろうと思える程度には楽しい日々であって、俺はそれに満足している。
龍は悪の存在と世間に認知されているが、誰も龍が人の姿を取れるとは知らない。だから自分から龍の姿をさらしでもしない限りは、決して疑われる事もない。そんなこんなで拾われた辺境のヴェイラン領でグランヴィル家の使用人として働き続けて8年。
俺はついに18歳になり、仕えているグローリアお嬢様……俺がリアと呼ぶ彼女も15、16になった。これまでほとんど姉妹同然に接し育てられてきた俺達は、主従とは言うもののその意識は薄い。だが改めて俺達が主従という関係をとらねばならない環境がこの歳になると迫りつつあった。いや、正確に言えばもう目前にまで来ている。
辺境での8年間の生活は、今、一旦終わりを告げた。
そして今。
―――俺は街道を進む馬車の御者をしていた。
馬車を引く馬は二頭いる。片方は前々から知っている、俺に何かと懐いた馬だ。もう片方はその馬の子だ。何時の間にか番を見つけた件の馬は子供を作り、そして一家総出でグランヴィル家、というよりは俺に仕えてくれている。その事もあり、辺境から中央へと続く長い旅路はこの野生と表現するには首を傾げる二頭の馬によって先導されていた。恐ろしいほどに賢く、そして配慮の出来る二頭はきっちり俺や他の乗客たちの事も考えて、馬車を揺らさない様に意識しながらゆっくりと進んでいる。
そう、俺は辺境を出たのだ。
俺の歳は18歳。
リアの歳は15歳。
それはこの世界の貴族として学校に通い、学友を作って世界を広げる年齢でもあるのだ。子が一定の年齢に達した貴族は、同世代の貴族との連帯感やコネクションの構築のために学園へと通わせる。貴族社会における学園とは繋がりを作るための場所であり、この先の未来に対する財産を構築する為の場所でもある。ただし、このエスデルにおいては毛色が少々違う。
学術大国エスデルは知を尊ぶ。
故に建前だけではなく、学業に力を入れるエスデルにおいて学園とは知を学び、研鑽する場所でもある。授業のレベルは高く、そして更なる知恵を求める若き才能で席は満たされている。上昇志向が強く、それでいて真の貴族と呼ばれる者を目指す人々がエスデルの学園には集いやすい。
15歳、リア入学の時。
かねてからリアは入学のため、そして奨学金を獲得する為に必死に勉強してきた。その発端は俺にあった。だがそれを自分なりに考えた結果、苦手だった勉強にリアは向き合う事にした。そしてその結果、この春の入学において見事奨学金を獲得し、特待生としての立場を得た。これから3年間、リアが特待生として相応しい成績を示す限り、彼女の学費は全額学園側が負担してくれる事になっている。
それは貧乏なグランヴィル家としては非常に助かる事であり、元々が勉強が苦手で授業中に居眠りをしていた彼女からすれば大変な苦行とも言える事だっただろう。だが、それでも、リアは勉強し、頑張って、誰もが出来る訳ではない事を成し遂げた。
グランヴィル家当主エドワードも、その妻エリシアも、リア本人も出立の日には死ぬほど泣いていたが、それでも俺達は辺境の地を出た。この8年間は本当に濃密な日々だった。こうやって辺境を離れた地にやってきたのを見ると、感慨深くもなるだろう。
「お」
そうやって過去を振り返っていると、やがて遠くに街道の終わりが見えてきた。視線の遠い先、俺の視界だけで捉えられるのは都市を覆う城壁と、その外側に展開されている建築物の数々だ。城壁の外にも広がっている様子というのは中々面白いと思う。城壁が正式な都市としての敷地なら、その外に展開しているのは許されていない、違法な家や店の数々だからだ。街道や中央道は避ける様に広がっているようだが、それでも城壁の外側に大きく都市が広がっている様に見える。それは辺境に在ったどの街よりも広大で、そして先進的なのだろう。
「エデン、何か見えたのかしら?」
「お嬢様、体を乗り出すのははしたないですよ!」
「良いじゃない別に、これぐらい」
そう言って御者台に繋がる窓から身を乗り出す様に覗き込んでくるのは赤髪が特徴的なローゼリア、身内でロゼと呼び合っている辺境領の領主サンクデル・ヴェイランの一人娘だ。そんな彼女を窘めているのが中央へとロゼの付き添いの為に来ている侍女のクレア。俺とは違い、由緒正しきロングスカートタイプのメイド服を着用する事で使用人の身分を証明している女性だ。
「え、何か見えたの?」
そう言ってロゼを押しのけようとして出てくるリアの銀髪が見えて苦笑が零れる。本来は俺もリアの従者として、使用人の身分を解りやすく証明する為にメイド服を着用するべきなのだろうが、俺の趣味ではないし、リアも俺にそういう服を使用人だから、と着せるのは嫌がっている。その為、今の俺の恰好は冒険者として動きやすさを重視したスラックスにシャツ、そしてコートと言う格好だった。所々謎のヒモみたいなものがついているが、全体的に見れば男性寄りのファッションセンスだろうと納得している。
まあ、胸元だけ開けてあるのは息苦しいからで、しょうがない。昔、龍殺しに刻まれた痕には少し威圧感があるかもしれないが、それはそれだ。
「城壁とその外側に広がる街が見えて来た」
「え? あぁ、まだエデンの目でしか見れないのね……」
「なんだぁ……」
「露骨にがっかりするなぁ、おい」
馬車の中へとすごすごと下がって行く幼馴染たちの姿に苦笑を零す。クレアはうーん、と小さく唸ってから言葉を続けて来た。
「恐らくその城壁が我々の目指す“学園都市エメロード”でしょう。話に聞くには相当大きな学園を中心として栄えた学園都市だそうですが、そこに群がる者達によって都市外部には不許可無許可の街が広がり一種のスラム街化しているらしいです。強制執行しようにもスラムの住人たちの猛反発などもあって中々解決しないとか」
「エメロード側の治安はどうなんだよ、それ」
「都市内部の治安は良いですよ。学生に向けた都市で完全に学園によって運営されていますからね。ですが栄え過ぎた結果スラムが生まれた、とも言えます。光が強くなればなるほどそれに群がろうとする虫も増えるというのが世の道理ですから」
「成程、確かに道理だ」
教養のあるメイドであるクレアは話していて割かし楽しい。教養に富んでいるから話を合わせられるし、メイドとして今回同道できるレベルで家事なども出来て、なおかつロゼの覚えも良い。何でも話を聞くに昔からロゼの世話役として側で仕事をしてきたという話だ。サンクデルもまた、エドワード達がそうしたように将来の事を考えて娘に付ける従者を選抜していたという事なのだろう。本来であればここに追加で護衛が付いてくる筈だったが、
サンクデルが用意できるどの護衛よりも俺の方が単純に強い。その為、リアだけではなくロゼの護衛も俺は兼ねる事となっていた。
そうして俺達4人は辺境を出て、エスデル中央部へと向かう旅をしていた。辺境からここまで来るのに馬車を使ってさえ1週間という時間がかかった。だがその1週間という時間は俺達を新しい世界へと進める為の時間でもあった。俺が城壁を目視してから更に数時間後、
漸く、普通の人の目に見える範囲にまでスラム街と城壁の姿が見えて来た。馬車の窓から頭を突き出そうとするロゼとリアをクレアが馬車の中へと引きずり込んだ。落ち着きのない様子は15歳になったとはいえ、まだまだ年頃の元気な少女らしさが見える。いや、或いは今、この年齢こそが少女らしさのピークなのかもしれない。俺も割とテンション次第でよく暴れるが、子供らしさみたいなものは二度目の人生である事を含めて失ってしまっているため、苦笑が零れてしまう。
「一応スラムだからな」
「治安がそこまで悪いという話は聞きませんが……それでも学園都市の周辺に展開するスラムというのもまた妙な話ですね」
「それな。なーんで潰さないんだか」
その気になれば軍隊を動かすなりなんなり手段はあると思うんだけどね、とは思うが……逆に軍隊が動かないという事はそれだけの理由があるという事だろうか? ただ、学園都市そのものへと通じる道は綺麗に整備されており、スラム街からは切り離されている様に見える。街が見える範囲から実際にスラム街までやってくると、衛兵が巡回しているのが見える。
少なくとも表、目立つ所でなら治安を心配する必要はなさそうだ。馬車の上から巡回している衛兵に軽く会釈を送れば、背筋を伸ばした敬礼が返ってくる。訓練もちゃんとされているのが今の動きでも見えてくる……あまり、心配する必要はなさそうだ。
とはいえ、ぎらついた視線を奥の方から感じられる事実に変わりはないだろう。もうちょっときらきらした所をイメージしてたんだけどなあ? と心の中で呟きながら馬車を進めれば、やがて馬車が道の終わり、城壁に空いた門の前へと到着した。ソコソコ長い行列が出来ており、どうやら入るのに検査を受けている様子だった。流石大都市、城壁のない辺境の街等とは違ってここら辺のセキュリティ意識が違うらしい。
「これは時間かかりそうだな」
「貴族列とかありませんか?」
「いや、なさそうだ。今、前の方でどこぞのお貴族様が行儀よく並ばされた所が見えた」
「それは残念」
「暇だから降りて良い?」
「駄目」
「エデン! 私良い事を思いついたわ!」
「却下ですお嬢様」
リアとロゼは未知の世界を前にテンションがかなり上がっている―――ナイーブになるとか、ホームシックになるとか、そういう世界とはまるで無縁の様に振舞っている。あれほど家を出る時は泣いていた癖に、今じゃ顔を期待と好奇心で輝かせている。本当にしょうがない娘達だなあ、と苦笑しながら御者台の上で、足を組んで時間を潰す姿勢に入る。
女になって楽になった、と思うのは脚を組むときだ。男の時だったら股間のマイサンを挟まない様にしなきゃいけなくてポジションを調整しなくちゃいけなかったが、女になるとここら辺すっ……と足を組む事が出来る。地味だけど凄い楽になった事だと思う。
逆に似たような問題で女になって大変だなあ、と思ったのはブラジャーの位置ずれ直しだ。ブラジャーというかパイポジと言うのか。体を結構を動かすタイプなので胸が揺れたりするとどうしても位置がずれて気持ち悪さがある。それを軽く手を突っ込んだりして位置を修正するのが地味に面倒だ。何よりも俺がパイポジ直しているのを見ると目からハイライトが消えるリアが一番めんどくさい。
俺が一番大きく、ロゼは普通に大きめに育って、リアが虚無。そう、我らの中で唯一胸が育たなかったのがリアだったのだ。
悲しいなあ、リア。お前の胸に未来はねぇんだ。いや、ほんと悪いな。
ディメンションバッグからドライフルーツを取り出してもちゃもちゃと口の中で転がしつつ、馬車を引いてくれている馬たちにも軽く投げて与える。後ろからコートを引っ張る感覚に、振り返りながらドライフルーツを渡せば、直接餌付けされるようにリアが口で摘まんだ。
「行儀悪いですよ……エデンさんも、そこはちゃんと注意しませんと」
「この行儀の悪さが男除けになる。リアは俺が連れ帰って結婚するから行儀が悪くて良いの。というか俺が一生面倒を見る」
「どうしようもない……」
「でも良物件よ、エデン」
ロゼが続ける。
「家事完璧、金も稼げる。お父様からの覚えはめでたくて、辺境の英雄って呼び声もある。最近はランクも上げてるから社会的な地位も得つつある。考えようによってはスーパーダーリンじゃないかしら? 性別間違えているだけで」
ロゼの言葉に両手を上げてストロングスタイルのガッツポーズを取ると、リアが後ろから声を上げてくる。
「エデン、私ずっと食っちゃねして生きてたいの! 結婚しよ!」
「ええぞ!」
「類に見ないレベルの酷い告白を見た」
「エデンさんも脊髄反射で答えないでください」
「はぁ!? 考えてるがー? 考えた結果この世の男子共にリアをくれてやるのは勿体ないと判断している……そう、リアと結婚したいなら俺とエドワード様とエリシア様を同時に相手して勝てるぐらいじゃないとな……」
「武神と結婚でもさせるつもりかしら???」
「ロゼお嬢様はあの二方を反面教師にしましょうね」
「相当酷い事言うな、お前」
笑い声を零しながら徐々に門へと近づいて行く。
―――俺達の、新しい生活がもう、直ぐ傍までやってきていた。




