狼たちの賛歌 Ⅱ
―――遠くに見える街は燃えていた。
赤く燃える炎、立ち上る黒煙。それが遠くからも見えた。それがどれだけの勢いで炎が舞っているのかを教えてくれる様で、心がざわついた。既にロック鳥は俺に配慮して出せる最大のスピードを出してくれている。全身で受ける風はそれこそ普通の人であればロック鳥の背から剥がされそうなものだ。だが俺は特別だ。その程度の風圧で引きはがされるようなことはない。だからロック鳥に速度を出して貰いつつ進んで行き―――景色が近づけば近づく程焦りは募る。
そして漸く、街の入口が見えた。
街から抜け出して逃げて来た人たちがバリケードで構築する防衛線、そしてそこに襲い掛かる異形の姿。それを目撃した瞬間にはロック鳥の背を飛び降りていた。
「ありがとうロック、お蔭で助かったよ。しっかり休んでおいてくれ」
言葉だけをロック鳥に残して結晶大剣を生成する。そのまま自由落下に任せて体を加速させながら一気に大地を粉砕するように降り立つ。何時も通り左手をポケットに突っ込んだ状態、右手で大剣を肩に担ぐようなポーズで体を前傾姿勢に倒し―――瞬発する。
人が集まり身を守るために街の入口を封鎖するバリケードまで、一瞬で到達する。逃げる様に、隠れる様に集まっている人々の間を抜ける様に一気に前へと進み、恐らくは魔法による土や木材で組み上げられたバリケードの背面に到達する。
だがそこで足を止めない。
バリケード、その後方を飛び越える様に一気に跳躍し街側へと乗り込む。一度バリケードの頂点を足場にし、加速するように体を正面の道路へと射出する。それから片手と膝をつく様に体を斜めに着地し、バリケードに相対する生物の姿を見た。
一言で言えばそれは人狼だった。全身に毛を生やし、頭が人ではなく狼のそれ。それだけなら獣人にも似たような種族がある。だがそれらと決定的に違うのは異様に裂けた口、それぞれが3メートルを超える身長を持っている事、そして禍々しいとしか表現できない黒いオーラを身に纏っている事だろう。まるで食が足りずにやせ細った姿は顔だけを残して全身がガリガリとでも表現できる姿をしている。
なのにその姿から感じられる威圧感ややばさは、それこそタウロ山の上層に匹敵するものだった。ゆっくりと立ち上がりながら大剣を肩に担ぐと人狼たちは振り返りながら頬を裂く程の長い口を開いた。赤く血に濡れた牙を見せつける様に大きく口をあけた人狼から洩れるのは、
「HAHAHAHAHA―――」
人を食ったような笑い声だった。
「1匹……2匹……3匹だけか? 良いぜ、笑ってても。もう笑えなくなるからな」
笑い声を響かせながら人狼が加速した。一瞬でトップスピードに乗り正面から1匹。それに合わせる様に側面からもう1匹。最後の1匹は遊撃するように他の2匹に隠れる様に動いた。肩に大剣を担いだまま迎え撃つべく一番近い正面の人狼へと向かう。人食いの笑い声が狂ったように響く中で人狼の異様に痩せ細った腕が爪と共に伸びてくる。
それに大剣を合わせた。白を纏った斬撃が人狼の爪先に触れ、その指を両断しながら腕に食い込む。それにわずかのひるみもなく腕を犠牲にしながら人狼が大口を開けて迫る。だがそれよりも早く腕から首へと向けて刃を跳ね上げて首を切断する事で即死させる。首を刎ね飛ばされながらも人狼の嘲笑が地面から聞こえてくる。
気持ち悪い。大して強くない癖に、ひたすら斬る感触が気持ち悪い。だからか、1匹殺した所で腕が止まってしまう。
気づいた時には直ぐ横に爪が迫っていた。
「戦闘中にぼさっとするな!」
「悪い」
飛来した矢が爪を弾く。刺さらずとも衝撃によって逸らされた爪を回避しつつ、そのまま刃を引き戻して横に薙ぎ払う。人狼の胴体を輪切りにして体を横へと動かし、続く3匹目の死角からの攻撃に正面から向き合って対応する。人のリーチ外から振るわれる異様に長い腕と爪、通常であれば凶悪だろうが、俺に取っては対応できる範囲でしかない。
爪が届くよりも早く大剣を振り上げた状態で懐へと踏み込み、その脳天に大剣を突き刺す。
「……」
そのまま頭から股を抜く様に両断した。真っ赤な返り血を浴びながら大剣をもう一度振るって死体を転がす。
「HA……HA……HAHA……」
「HAHあ……は……ひゃ……」
「……死んでも笑ってるのかよ」
なんだこいつ。強さだけなら上層クラスの怪物だろう、この人狼は。だが気持ち悪さと得体の知れなさはこれまで感じたことのないレベルにあった。斬っている時の妙な感触、そして野生のモンスターには見ない気味の悪さ。それらを含めて自分が今まで対峙してきたモンスターの中でも、最悪の部類に思えた。いや、実際に最悪なのは事実だろう。そうじゃなければ街が燃える事もないだろうし。
「おーい、エデンー! 無事かー!」
「こっちは無傷だ。そっちは?」
呼ばれてバリケードの方へと視線を向ければ、5メートル程の高さはある土と木材で作られたバリケードの上から手を振る衛兵の姿が見えた。此方も白の魔力で体に付着した返り血を蒸発させつつ手を振り返す。それを見て衛兵は安堵の息を吐いている。その手の中にある弓を見れば、戦闘中に援護射撃してくれたのが彼だというのが解った。
「良かった……いや、援護なんて必要なかったかもしれないが。気を付けてくれ。連中は酷く強く、そして凶悪だ。賢さもあって人の声を真似て誘い出してくる事もある。何よりも……」
「何よりも?」
「噛まれると増える。お蔭で数が減らない」
―――止めろ。今は考えるな。結論に思考を飛ばすな。
頭を横に振る。
「大丈夫だよ、たぶん俺なら一瞬で免疫が出来て弾く」
「こういう時はグランヴィル家のとんでもなさが頼りになるなあ」
衛兵の声にそれよりも、と声を返す。
「それじゃあ俺は事態解決に乗り出すよ。安心してくれ、俺は領主様に頼まれて先行してきたから本隊が後から来る事になってる」
「ありがとう、助かる。悪いが出来たら他の所を見て回ってくれると助かる。住民も衛兵団も散り散りになっちまってどうなってるのか全く分からないんだ……ただ事態の元凶はどうやら街の中央広場で発生したらしい。何かがあるとすればそこだろう」
「ありがとう。身を守る事だけ考えて領主軍を待っててくれ」
「あぁ、そうさせて貰うよ……幸運を祈ってる」
背を向けて軽く手を振りながらバリケードを離れる。正面にあるのは未だに燃え続ける街の様子で、少しずつ家屋が灰になって行く。少し前までは何時も通りの街の姿だったのに、もうここにはあの面影が存在しない。そこにいるはずの街の住民も今では―――。
「考えるな」
考えるな。
行け。
前に進む。左手はポケットの中、大剣を担ぐ何時も通りのスタイル。何事もないかのように、俺の背中を見ている人たちが不安に思わないよう何もないような様子で―――歩く。炎の中へと、燃え盛る街へと向かって進む。バリケードが後ろへと徐々に遠のいて行くのに気にせず歩いて進めば、やはりすぐに人狼と出会ってしまう。今度出会った人狼は先ほどの裸の奴とは違い、まるで人の様にチュニックを着ていた。ただし内側から破ける様にぼろぼろとなっていて、着るというよりは引っかかっているとでも言う方が正しいだろう。こいつはバリケードの方へと向かうな。そう思うと自然と足は人狼の方へと向かって進められる。
嘲笑する様な、もはや笑うしかないような。そんな笑い声が人狼から聞こえてくる。その服装をもう一度見て、目を瞑りながら進む速度を上げる。
「……せめて安らかに」
目を開き一気に加速する。顎を振り下ろして一気に上半身を刃で食い千切った。顎の残像だけを空間に残して人狼を即死させ、残された死体を結晶化させる。それに振り返る事無く進もうとすれば、横の家の影から、屋根の上を飛び越え、後ろの道路から回り込む様に。囲む様に人狼たちが現れてくる。その数は5匹ほど。どいつもこいつも千切れた服装を纏っていたり、或いは松明を、武器を片手に握っている。
目は瞑らない。
「神よ……ソフィーヤ……何故っ……どうして……!」
ただ怨嗟の声だけを零して大剣を振るい、血を弾いた。包囲を狭めて明確に俺に対して敵意を―――或いは願いを抱いて迫る人狼たちを見た。
突貫。
反応するよりも早く正面に現れた人狼に接近し、素早く袈裟斬りに振り抜いて即死させる。その勢いのまま人狼の体を弾き、その衝撃で速度を得て加速する。そのまま2体目の人狼へと接近し、反応するよりも早く縦に断ち割る。白と黒の顎の軌跡を生み出しながら舞う血を弾き、後ろへと向かって斬撃を振るう。反応出来た人狼は1匹だけ。残り2匹は無言で放たれた白い延長斬撃に呑まれて上半身と下半身が食い千切られる。
そのまま、大剣を掲げて振り下ろす。
黒い大斬撃が唯一回避に成功し、反撃に入ろうとする姿を呑み込んで結晶化させた。
「……これで、いい。犠牲者がこの分増えない」
自分にそう言い聞かせて炎の中へと向かって行く。先ほどの斬撃を受けて家が倒壊する。炎がそれで舞い、更に視界が悪くなる。それでも何度も何度も買い物や遊びに訪れた街だったんだ。だからここがどういう道で、どう行けば中央広場へと行けるかなんて良く知っている。良く知っている筈なのに―――今はその見知った光景が完全に消え去っていた。胸中に訪れる痛みと苦しみは常にどうして、という疑問に満ちている。どうしてこんな悲劇が起きているのだろうか? それだけの理由があったのか? 必要があったのか? どうして穏やかで静かな日々だけではいけないのだろうか……?
胸にそんな疑問を抱いても、答えは人狼の声だった。槍持ち、剣持ち、松明持ち。知性ある獣らしく武器や防具を手にしながら気色の悪い笑い声を響かせて人狼たちは進む道を邪魔するように出現する。明らかに俺を狙って行動している様にさえ感じられる集まり方に出てくる言葉は軽い笑い声だった。
「あぁ、寧ろそっちのが楽だ。その方が守れる」
そんな建前がなければとっくに逃げ出してる。ここに来たことを心底後悔している。だが同時に逃げてはならない事だった。何時かは向き合う事実でもある―――殺すという事実には。それでもこうやって人狼が誰だったのかを、それを考える度に担ぐ大剣を握る手が震える。それで剣先がぶれる事も、歪む事もない。それでも手は軽く震えていた。
「……助かりたいとか、そういうのはないのか?」
質問してみても帰ってくるのは笑い声だけ。まるで壊れた蓄音機みたいだ。入力された音をひたすらリピートしているだけ。元々の残滓を残して、それ以外を存在全てで凌辱している。気持ちが悪く、そして吐き気のする悪意だ。感染し、増える辺りも救いがない。
あぁ、それでも戦わないといけない。俺がやらないで誰がやるんだ。
肺の中の空気を入れ替えて―――踏み込んだ。振り上げる。振り下ろす。突き刺す。薙ぎ払う。シンプルな攻撃動作は最も対処が解りやすく、そして極めれば全てが必殺となる動作だ。つまり全撃必殺が目指すべき領域であり、俺のスタイル。それはモンスターに対して効果的である事を証明していたし、今も人狼相手にこれ以上ない強さを発揮していた。どれだけ腕が長く伸びようが、相手がどれだけ早かろうが、
俺の方が速い。俺の方が力が上だ。だから攻撃をカチ合わせればそのまま俺が押し切って食い千切れる。だというのに俺の振るう刃は未だかつてないレベルで重く感じられた。まるで見えない重しを乗せられているかのような重み―――肉体ではなく精神にかかる負荷。その原因が何であるかを言う必要はないし、考える必要もない。理解はあった。
それでも考えたくなかった。
俺が■■■だなんて。
―――ひとを、ころすのは、わるいことだ。
「人じゃない。狼だ。糞ったれの狼だ」
自分に言い聞かせて次の人狼を求めて街中、中央へと続く大通りを進もうとする。だが大通りは馬車やら家屋が倒壊した影響で封鎖されている。大通りをそのまま抜けるなら障害物を飛び越えれば良いだけの話だが、脇道に誰かがまだ逃げ隠れているかもしれない。それを考えてそのまま直進せず、火が舞う横道へと入り込む事にした。
「タイラーさん、ウィロー、アイラちゃん……ギルドの皆……頼む、無事でいてくれ……お願いだ」
俺が出来る事は事態の解決と、彼らの無事を祈る事だけだった。それ以外の手段が俺には解らなかった。だから俺は無事を祈り、誰かが逃げているかもしれないと周りを見渡しながら、
元凶を探るために街を進んだ。
見慣れていた筈の街を。




