不協和音 Ⅸ
凄い真面目な話をすると、
“殺す”というのは莫大なストレスがかかる行いなのだ。
人は闘争本能を備えているが死を忌避する。だから闘争は心を満たすが死は心を疲弊させるのだと言う。人は根本的に死に耐えられるように出来ていない。だから傭兵や戦士はまず戦場に感覚を慣らして感覚を麻痺させるのだと言う。一般的に、修羅と呼ばれる人種はひたすら戦いを求める人々の事を指すが、それは間違っている。本当の修羅と呼ばれる者達は戦場に出て一切心が揺らぐ事も高揚する事もない者達の事を示すのだ。連中は戦う事が日常になっている。それが普通である状態に堕ちてしまった。だから死に動揺する事も、ストレスを感じる事もない。異常だ。異常者共だ。
俺は目の前の鮫を雪の中から蹴り出しながら思う。
こいつらを相手にするのに葛藤は感じない。良心の呵責を感じる事もない。こいつらは明確な敵で、そして生存競争の為に俺に襲い掛かってきたんだ。それが雪崩という極限まで環境を利用した戦い方であり、連中からすれば生き残るための戦術だったのだろう。それを決して責める事は出来ないだろうが、だけど同時に申し訳なく思う事もない。害と悪は違うのだと、ワータイガーから学べたからだ。命を脅かしてくる獣畜生を相手に心を痛めていたらキリがない。こいつらは俺を殺しに来た。だから俺には反撃する理由と動機がある。
そこに一切の遠慮はいらない。
悩みに悩んだ事だったが、こうやって戦闘に入る辺り、一切体が止まる事はなかった。ワータイガーで負った心の傷が疼く事はない。
―――何も問題なく戦える。
だから雪の中から鮫を蹴り上げて大剣で頭を両断する。その勢いのまま次に飛び出してきた鮫を蹴り飛ばして体を捻じ曲げ、蹴り込んだ衝撃で心臓を粉砕する。同時に飛び掛かってくる姿に白い斬撃を薙ぎ払って纏めて2枚下ろしにしつつ死体を雪に落とす。濃密な血の匂いが嫌でも風に乗って運ばれ、モンスター達が恐怖と興奮の混ざった気配を溢れ出させる。それでも生きるには全力で逃げ続けるか、全力で立ち向かう事しかないのは理解している。山の反対側まで逃げるモンスターが現れる中で、立ち向かうべく勇気あるモンスター達が俺の前に姿を現す。
全身が氷結した岩で構成されるゴーレムの様な魔導生物。
青く輝ける炎の様な冷気を全身に纏うライオン型のモンスター。
首が4つある大蛇。
尻尾が氷結した剣となった傷の多いティラノサウルスの様なモンスター。
それが全て決死の覚悟で立ち向かってくる。本来であれば肩を並べるはずもない別の種族のモンスターが圧倒的脅威へと立ち向かう為に団結している姿は恐らく自然界では絶対に見られる事のない景色だ。だが俺はこうやって対面する事で理解する。こいつらは賢い。人が思っているよりもずっと賢い。
エーテルは変異と同時に進化も促しているのだ。この大地が本当に大神の肉体より作られているのであれば―――エーテルとは大神の息吹の様なものなのかもしれない。それが人の、動物の、モンスターの成長を促進させるようなものであるのなら、それが知性の成長をも促している事に俺は納得できる。
まあ、そこら辺の細かい話は学者さんに任せよう。
「俺が怖いか」
ギロリ、と目を本来の形―――有鱗目のものへと戻せば、モンスター達が恐れる様な気配を見せる事が解った。動物たちは逆にこれに安心感を覚えるが、モンスター達はまるで天敵か怨敵を見る様な視線でこれを見る。不思議で、面白い話で、そして同時に、賢ければ賢い程モンスターと俺、人類は絶対に相いれないなというのを確信させる反応でもある。
「まあ、良いや。悟空みたいに山に閉じ込められた鬱憤と恨み! ちょっとした素材になって貰う事で晴らさせて貰うぞ」
大剣を肩に担いで一歩前へ出るとモンスター達の怯える気配を感じる。近くのサメの死体を蹴り上げて背びれを引きちぎって食い千切ってみる。
不味い。ぺっぺっと吐き出す。
「まっずっ! やっぱちゃんと処理しないと食えたもんじゃないんだな……ふかひれ……」
はあ、と溜息を吐いて俯いた瞬間、ライオンが飛び掛かってきた。左腕を前にすればそれにライオンが喰いつき―――食い千切れず、動きが停止する。そのまま喰いついたライオンを雪の大地に叩き落として大剣を持ち上げるとそれを助ける様にゴーレムと大蛇が襲い掛かってくる。ティラノサウルスも迂回するように剣尾を構えながら突進し同時攻撃を行ってくるが、
それに反応せず、攻撃を肉体で受け止めながら大剣をライオンに突き刺した。顔面に一度、心臓に二度。死亡を確認した所で死体を投げ捨てて無駄な攻撃を叩き込んできたモンスター共を白と黒の食い千切りで纏めて薙ぎ払う。体の調子はこの数日間、迷いに迷ってまともな休息を挟んでいなくても問題なく動き続けられる。戦う事に躊躇はない。周りに積みあがる屍の山は俺のスペック、どれだけ強いかというのを証明するトロフィーだ。
剣を振るえば振るう程怯えるモンスターの屍が積み上がり、それがこの後で金へと変わって行く。本来であれば命を覚悟して挑むべき環境。誰かを犠牲にし続けて漸く手にできる栄光。だが俺にはそれが簡単すぎた。誰かが命を賭けるべき環境で俺は無双とも言えるだけの戦闘力を発揮し、本来であれば金策には不可能と呼ばれる事さえも可能としていた。完全に弱い者いじめになっている。モンスター達は生き残るために必死になって希望を探す。
そうやって生き延びようとする姿は、果たして人間や動物のそれと一体何が違うのだろうか?
「思考がループしてる」
溜息を吐き出しながら援軍に来た屈強だった筈のモンスターを全て始末し、周囲に散乱する死体の山を見てもう一度溜息を吐いた。
「換金する為に死体回収して帰るか……」
あれほど感じていた怒りも何時の間にか霧散して虚しさへと変わっている。強すぎると何事も全部虐めのようになってしまう。龍が生物として地上でほぼ最強なのは解ったが……俺がこれだけの力を持つ意味って正直あるのだろうか? きっとこうやって地上に俺が生まれた事に対する意味はあるんだと思うんだけど―――その答えが神から来る事はない。神々も神々で、一体地上をどう思っているのかも良く解らない。
ただ解るのは、
俺が修羅になるのは無理で、戦う度に心が疲弊して行くという事実だった。
死体回収が完了して下山開始、中層までやってくると俺の事を待っていたらしいロック鳥に突撃されてめちゃくちゃ頭をガジガジされてしまった。どうやら俺の事を酷く心配してたらしい。そんな訳で頭をロック鳥にがじがじされてからロック鳥に乗って下山した。それから成果物を提出する為にも観測所へと寄った。そこで扉を開けて中に入れば、入口で厚着の眼鏡姿が見えた。
「おいーっす、エデン様ご帰還で―――あ、エドワード様」
「エデンっ!」
扉を開けた俺の姿を見るなり凄い速さで近づいてきたエドワードは両手でがっしりと抱き着いてきた。いきなりの事に驚き、硬直してしまった。
「良かった無事で……君を害せる者はいないと思っていたけど期日を過ぎても姿を見せないから本当に心配してたんだ……」
本当の自分の子を心配する様なエドワードの態度に驚かされつつも、心配させてしまった事実に今理解が至り、あ、と声が漏れる。
「え、そ、その……ごめんなさい」
「いや、無事で良かった……本当に」
そう言うとエドワードは体を少し放し、体の様子を確かめてくる。
「えっと、その、本当に心配させたようでごめんなさい。上層に向かった時にモンスターに勝てないと思われたのか雪崩を叩き込まれて……」
「雪崩!? 雪崩をモンスターが!?」
奥の方、観測員が驚愕の声を漏らすもんで、ソッチへと向かって頷きを返した。
「あぁ、うん。アレは間違いなく俺を狙ったもんだったよ。逃げる事も出来ないし避ける事も出来ないし。雪崩の上を滑って逃げようと思ったんだけど、雪崩の中に上層のモンスターが混じっててそれに喰いつかれて雪崩に呑み込まれて……それから地図に乗ってない洞窟の中に引きずり込まれて落とされて、ほぼずっと出口探して彷徨ってた」
「な、雪崩を受けても無事……」
観測員が驚愕した様な様子を見せているが、まあ、あれぐらいの物量だったら埋まった所で何とかなるだろう。問題は洞窟の方に終わりが見えない事だった。アレはマジで頭おかしくなるかと思った。エドワードがこっちにいるという事はエドワードの調査が終わってこっちへと来るだけの余裕があったという事だろう。そう考えると最低で調査の5日、移動に1日、そっから更にこっちへ来るのに1日が経過している様に感じられる。
つまり最低2日オーバー。
「……ちなみに、今日何日目ですか?」
「8日目だよ」
「本当に、本当に心配をおかけしまして申し訳ありませんでした」
たぶんラスト1日俺が上層で暴れてた分だわ!
それから少し、休憩と説明に時間が必要だった。甘い紅茶を頂きながら椅子に座って、改めてこれまでを説明する事にした。
どうして俺が雪崩に呑み込まれたのか、そっからどうやって脱出したのか。俺が何を見たのか。それが観測所からすると重要な話でもあり、そしてエドワードからしてもモンスターの俺に対する必死なリアクションを知るという事でも重要な事だったりする。俺が雪崩を喰らった話、底からシャークアタックで引きずり込まれた話、それから光のない洞窟を歩き続けた話。最後に八つ当たりで上層の生態系を破壊してきた話。それらを上で狩ってきたモンスターの素材と共に証拠を提出すると観測員が頭を抱えた。全ての話を終えた頃には反応は様々だったが、横に座っているエドワードは終始心配したり頭を撫でてくれていた。こう見るとこの人は本当に俺の事を娘の様に思ってくれているのだろう。
ちょっと、というかかなり嬉しいが恥ずかしい。
「しかしそうなると、この山にはまだ我々の知らない謎が隠されていそうですね」
全てを話し終え、俺が洞窟内部で感じ取った事を口にすると観測員がそう言った。
「過去の観測からこの山には寒冷化エーテルを引き起こす何かがあると把握していました。ですがその具体的な理由は発覚していませんでした。今回の調査のおかげで変異モンスターもおらず、そして寒冷化現象の原因は山の中枢にあると知れました。ありがとうございます」
「いや、此方も仕事だったんで……それに上層荒らして来たし。頂上は行けなかったし」
「いえ、それでも我々には成せない事を成したんです。それだけで誇るべき成果なんです。エデンさん、貴女は凄い。出来る事、そして成した事に誇りを持ってください。そして出来たら安く素材を提供してください」
「サンクデル様経由で売りますね」
「ですよねー」
上層のモンスターはレアな素材だ。もう二度とあんな所に素材ハンティングにはいきたくないので、きっちりかっちりサンクデルに買い取ってもらってこれをリアの学費の資金にあてさせてもらう。本来であれば赤字覚悟で行くような場所なのだ、相当良い値段になるんじゃないかと思っている。後は放狼の団が討伐する前にマントラップの討伐へと向かう事だろうか? 流石に俺じゃないんだし昨日の今日で討伐に向かったりする事はないんじゃないかなあ……とは思っているが。
まあ、とりあえずはこれで調査依頼は果たす事が出来た。とんだ雪山探索となってしまったが、色々と考えさせられる事も含めて悪い体験ではなかったと思う。モンスターを攻撃する事に対して躊躇はないという事も解ったし、これからはワータイガーみたいな手合いが出たところで俺も手を緩める様な事はしないだろう。
「あー……こうやって一息つくとどっと疲れが出てくる……」
「お疲れ様エデン。こうやって1人でフィールドワークをするのは確か今回が初めてだったね。いささかトラブルはあったし心配もさせられたけど無事に終わったようで何よりだよ」
「うっす」
心配させた手前、そうとしか言えない。ただまあ、これで学費の件はぐっと楽になる筈だ。これでリアが勉強を止めるかどうかで、リアの本気度合いが見れるかもしれない。
しかし学費―――学園、中央への移動。
あの娘に親元から離れて勉強するという概念は大丈夫なのだろうか? なんというか今から既に旅立ちの日にびーびー泣いているイメージしか湧かないんだよなあ……。
そんな事を考えつつあの地獄の様な雪山から帰還した事実にホッとした。
これで漸く、日常へと戻れる。




