硬貨の重み Ⅷ
「やべーなこの名刺」
名刺を頼りにジュデッカ商会へと向かおうとしたら、その名刺に具体的なルートが現在位置と共に表示された。つまりこの名刺、裏側がナビになっているのだ。これがある限り商会へと向かうのに迷う事はないだろうし、どうやら商会の店舗がある場所であれば、どの街でも利用できるらしい。これをぽんと渡してくる魔界連中にヤバさを感じるが……とりあえず、一度利用しないことにはどういう場所かは解らない。時間もある事だし、案内通りに行く事にする。
そういう事で名刺のナビゲーションに従って街の表通りから離れた区画までやってくると、隠れるように存在するジュデッカ商会の店舗があった。外観は―――あまり、良くない。人の気配もなく、どことなく寂れている様にさえ見える。だが扉に視線を向ければ魔力と魔法の気配を感じる。これは恐らく中と外でどこか別の所へと通じているタイプの魔法……ポータル系の魔法だろう。この手のテレポーテーション系の罠は致死性が多いからと術式を頭にエドワードによって叩き込まれている。
とはいえ、今更あの魔族ロッカーが俺を騙すとも思えないし、一切の躊躇なく扉を開けて中に入った。
その先に広がっていたのはシックな装いのバーだった。
全体を落ち着いた黒をベースとして、落ち着きとゆとりを演出した空間―――バーカウンターの向こう側には頭があるべき場所にホログラムの様な三角形を浮かべたバーテンダーがグラスを磨いている。更に奥には小さなステージがあり、そこで見覚えのあるロッカーがサックスを演奏していた。アイツ、もう既にジャズに鞍替えしてるの早すぎるだろ……。
「―――ようこそ。ようこそ、エデン様。貴女をお待ちしておりました。此方へどうぞ」
声がする方へと視線を向ければ店の一角、テーブルを挟む様に配置されたソファに座りながら声をかけてくる存在がいた。スーツ姿、黒の長髪に赤いラインが入った、片目を前髪で隠す特徴的な髪の女性はソファに座ったまま、歓迎するように此方へと呼び掛けてくる。決して立ち上がって迎えようとするようなことはなく、此方へと来るのを促すような声だ。これがプライドの高い商人だったら速攻で帰るんだろうなあ、なんて事を考えながら俺は対面側に座った。
「えーと、アンタが……?」
「ジュデッカ商会の会長、名前はルインを名乗らせて頂いています、エデン様」
「もう知られているみたいだけどエデンだ」
軽く握手をかわそうかと思ったが、そういう文化が魔界にあるのかどうか解らなかった。が、ルイン側が握手を求めて来た所で魔界にもそういう文化あるんだな、と納得して握手を交わした。それにしても後ろで演奏しているルシファーの野郎、サックスが絶妙に上手でムカつくな……。
「あー、そこのサックス奏者から名刺を貰ったんだけど」
「えぇ、存じております。我々魔族の中でも上位の者はそれこそ数百年どころか数千年単位で生き続けます。それゆえ、生きる時間の全てが娯楽で楽しみを求める様なものなのです。魔界は歩き回ってとうに飽いている。故に新たな世界へ―――という事で魔界はこの世界へと繋げる事にしました」
「しました、じゃねぇんだよなあ……」
どこまで環境と文化破壊すれば気が済むんだこいつら。
「ですので私達魔族は娯楽に飢えています。唯一無二の経験と体験に飢えているのです。私達は壮大で盛大な劇を最前列で眺め続ける生が欲しいのです。その為に我々魔族は様々な派閥を形成し、日夜好き勝手生きています。私の様に商業から異世界に食い込もうとするもの。或いは“イベント”を計画する事で世界を盛り上げようとするもの、はしゃぐ連中をしばく者……まあ、各々好き勝手やっています」
2人そろってサックス奏者を見る。視線を戻す。
「好き勝手やっています」
「せやな」
「その中でも私が商売という形を選んだのは、それが最も面白い瞬間をつまみ食い感覚で干渉し、立ち会える形だと思ったからです。さて、前置きは長くなりましたが当商会では魔界からの品をこの世界で適正な価格で販売しております―――無論、この適正な価格とはこの世界のヘレネ神によって定められた値段ですので、ぼったくりの類はご心配なさらずに」
あぁ、値段の監視までしてるのか神様……本当にお疲れ様です。異世界からの物の流入はストップさせなくても、市場の破壊はしない様に監視しているのか。となると魔界の商人、実は色々と制約を背負いつつやっているんじゃないか? と思えてしまうのだがどうだろうか? やっぱり干渉は結構ある感じ? まあ、あえて聞く内容でもないか。
「とりあえず欲しいもんがあったら売ってくれる、と」
「魔界産限定ですが。この世界の物を転がすのは禁じられていて、破ると神罰が落ちて来るので……」
「ヘレネ様本当にお疲れ様です」
ガチ守護神じゃん。経済界のマジもんの神様じゃん。見えないところで滅茶苦茶働いている神様も世の中にはいるんだなぁ、と知れた所でそれじゃあと話題を切り出す。
「ダメージジーンズ探してるんだけど」
「勿論ありますよ! 1万ヘレネです」
「さ、帰るか」
迷う事無く席から立ち上がると凄まじい速度で腕を掴まれた。
「まあまあまあ、まあ、お待ちください。待ちましょう、ねえ? 魔界産となると転移輸送になるのでどうしてもコストが跳ねあがってしまう上に魔界税がつくのでどうしても高くなってしまうんです。技術とか魔界由来の製品が地上で溢れない様にする対策らしいんですけどこれ以上は安く出来なくて」
マジで文化汚染とか経済破壊されないように頑張っている神様の定めたルール、こういう所で感じるとは思いもしなかった。だが流石にダメージジーンズに1万とかいう値段はぼったくりにも程がある。だってこれ、日本円で言うと10万だぞ? 流石に服に10万を出す事は出来ない。いや、ヴィンテージだったらそれぐらいはするか。
「……ヴィンテージ?」
「新品ですが」
「解散ッッ!!」
「あー! 待ってください待ってください! お待ちくださいお客様―――!」
ソファから素早く立ち上がるとルインが腰に抱き着いてきた。黙ってればキリっとした美人の癖に、何故こうもダメ人間臭がするのだろうか。腰に縋り居ついている駄目な魔族から視線をルシファーへと向けると、サックスの演奏を止めたルシファーが満足気な表情で浮かべた。
「―――ほら、放っておくと干からびそうだろう?」
「世話役として紹介してるんじゃねぇぞお前」
このまま外まで逃げるのも簡単だが、このまま見捨てるのはどことなく良心が痛む。ゆっくりとソファへと戻るとおずおずとルインが反対側へと戻り、
「では購入、と」
「全て破壊してやる」
「あー! 冗談です! 本当に冗談ですからなんか怒りでパワーアップしないでください! 店内整えるのに借金したんですから私! こっちで店の準備したり店内整えるのって物凄いお金がかかるんですよ!?」
「断言するけどお前商才ないから火傷する前に止めた方が良いぞ」
「が、ガチ声ですね」
「とりあえずとか、プランもなしに高額商品を売りつけようとする感じがまず才能ない。需要のある所に供給を与えるから商売ってのは成立するのに、金策に奔走している人に高額のヴィンテージでもないジーンズを売りつけようとするのは愚かの極み」
「……はい」
言葉にしょんぼりとするルインを見て、俺、一体何をしにここに来たんだろう……? なんて事を考え始める。確か最初はジーンズでも買おうかなあ、なんて思っていたんだが……この感じだと普通のをタイラーの所で購入して、それを履き続けた方が良さそうな感じがして来た。まあ、帰りにスキニージーンズでも買って帰るか。それはともあれ、目の前でしょぼくれている人を俺はどうすれば良いんだろうか。視線をルシファーの方へと向けると、此方の視線に構う事無くサックス演奏に戻っている。本当に好き勝手やりやがるなこいつ。
……まあ、折角来たんだし。このまま何もせずに帰るというのもアレだ。
「その、ルインさん? はなんで商売を始めようと思ったんだ?」
「私ですか? 私も他の魔族同様娯楽を求めて……って所でしょうか。ですが魔族が地上で活動する上では色々と制限があるんです。これは私達から見て異世界で活動するから強制的に縛られるルールとも言えるものなので、しょうがないのですが……あまり派手に活動せず、異世界の空気や生活に触れられて外貨を稼げるものとなりますとやっぱり商売するのが一番なので」
「特にこだわりがある訳じゃないけど一番稼げそうだから?」
「はい」
「さ、才能がねぇ……」
その言葉にルインが突っ伏した。
「というか魔族の間では大体何が人気なんだ?」
視線をサックス奏者へと向けて聞けば、演奏を止めてそうだな、と声を零す。
「あまり派手に干渉すると神々の怒りを受けるからな。だから基本的に文化や生活に馴染む方向性でアプローチをかけている。とはいえ我々から見ての外貨を稼がなくてはならないからな。魔界から持ち込んできたノウハウを利用して第二の人生をウハウハで過ごそうという者は多い。強くて人生ニューゲームだな」
「魔族お前らほんとによぉ……」
うむ、とルシファーは頷く。
「だから基本的に商業方面に進む。魔界から品を輸入すれば珍しがる富豪や貴族から稼げる。まあ、俺の様にそれが面白くない一部の魔族は身一つで突撃して好き勝手やっているが。ああ、この大神の大地にロックの魂を根付かさないといけないという崇高な使命が俺にはあるからな……!」
「まあ、今はガチガチのクラシック・オペラ系メインだしね。ストリート行けば面白い演奏とか聞けるけどそれでもまだそこまで音楽文化発達している訳じゃないしなぁ」
発達というか多様性だよなぁ、と思う。異なる文化で生まれた音が混じり合う事で音には多様性が生まれる。それがジャズやブルースというものをアメリカに根付かせ、そっからロックが、ヘビメタが、デスメタルが生まれ、更に技術の発展によってテクノ等も生まれたのだ。今のこの世界は基本的な楽器がクラシック向けのものばかりが主流として出回っている。が、おかしな魔族の布教の結果かストリートでは偶に軽快なバイオリンを使った演奏が聴けたりする。タップダンスの様なステップを演奏に組み込んだバイオリン演奏、それはクラシックの潮流から外れるもので俺は嫌いじゃなかった。
まあ、クラシック自体そこまで好きって訳じゃないけど。
「というかいっそのこと、るっしーとルインさん組んでさ、富裕層向けに商売するんじゃなくてこのバーをそのまま利用して中層向けの音楽バーでも作れば良いじゃん」
「ふむ、その発想は面白いな」
ルインが突っ伏しているテーブルの上でピクリ、と反応した。お前の在庫が不良在庫化してる事実には何の変化もないんやで。
「ぶっちゃけ富裕層に持ち込むよりも中流階級というか平民に口コミで広めてもらう方が文化の発展と流行速度では早いでしょ。魔界から輸入するから高くなるんであって、輸入せずにこっちで調達した材料使って魔界風の酒や料理をこっちで出せるようにしつつ展開すればイケない?」
「どうだろうな……フレンドの発想は悪くはないが詳細を詰めようとすると神々と魔界の間での規約を読み返したりチェックする必要があるだろうし―――」
「やりましょう」
死んでいたルインが拳を握りながら復活した。
「やりましょう! 私達3人でここから始めましょう」
ガッツポーズ取って気合入れてる所悪いが、
「勝手に巻き込まれてるんだが?」
「経営者、私! 顧問、エデンさん! 出資、ルシファー!」
「勝手に出資者にされてるんだが?」
「完全に俺らを使い倒そうって腹積もりじゃねぇかこいつ」
でもなぁー。ルシファーの言っている事はなんとなくわかる。このルインとかいう女、見た目は物凄いクール系なんだ。だけど実際のところ、中身はポンコツの塊でしかない。さらっとはぶられているバーテンダー君はそろそろ怒っても良いんじゃない? と思ったりしても、なんとなく見捨てられない哀れさがあった。なんというか……目を離した隙に連帯保証人になってそうな空気がこいつにはあった。
「これが本場の魔族かぁ」
「魔族ロールプレイするならちゃんと学んでおくんだぞ」
「学びたくねぇ手本だ」
「ルシファーの出資さえあればこの不良在庫もさばける筈……!」
「それはもう諦めろ」
なんだかなぁ……思ってたのとは違う方向に進んでいる気がする。とはいえ、どうせ魔族も寿命が気の遠くなる程長い存在だ。長い付き合いになる相手は仲良くした所で悪くはないだろう。はあ、と溜息を吐いて頬杖をついた。
人間も、龍も、魔族も。
1ヘレネ硬貨稼ぐのに死ぬほど苦労しているな……。




