ワータイガー Ⅱ
迷わずワータイガーを追う。その為にスプリントをかけようとして、
「花畑だ! 花畑は地雷原だ! 近づいちゃ駄目だ!」
「―――サンキュ!」
背に声を受けて、それを追い風代わりに疾走する。生成した大剣を後ろへと向かって流すように、左手をパーカーのポケットに突っ込んで前傾姿勢になる。何時でも大剣を振り回せるようにしながらも突撃する為の姿勢。それで一気に大地を蹴って森の中へと突っ込む。軽く踏み込んだだけでも光が届かず暗くなるが、更に奥へと踏み込めば踏み込むほど暗く、視界が悪くなってくる。鬱蒼と茂る木々の影響で酸素が濃く、空気が重く感じる。それでも酸素に溺れる程じゃないし、この程度の変化に影響を受ける体でもない。
「ちっ、結構距離を稼がれたな」
初動が遅れたのが痛いな、と思いながらも駆ける。木々が邪魔になって移動し辛いし、足元には木の根と蔦が張り巡らされている。だが周囲を威圧するように魔力を纏っていれば、それだけで危機感に敏感なモンスターは俺を回避する。誰だって龍の逆鱗を踏み抜きたくはない、当然の理屈だ。だからあらゆる生命は俺から離れ、逃れようとする。だがその中にワータイガーの痕跡を見つける。
折れた枝、削れた幹、跳躍で抉れた大地。ワータイガーが焦って俺から逃亡している事を証明する足跡だ。森の歩き方、走り方、判断の仕方等のスカウトレンジャー技能をエドワードは仕事のついでに俺に仕込んでくれた。そのおかげで森の中であれ、平地と変わらぬスペックで移動する事が出来る。多少足が蔦に引っかかろうが、それはちぎって進めば良いのだ。何も気にする必要はない。
真っすぐ、ワータイガーを追跡する。距離はそれなりにある。だが龍としての知覚と感覚がしっかりとその存在を捉えている。
「逃げても無駄だ」
既にどこに向かっているかは知覚出来ている。走るだけ無駄だと威圧し、ワータイガーの咆哮が森に響く。鼓膜を揺らす様な声は威圧感と共に森をざわめかせ、その中で眠っていた者達を無理矢理活性化させる。静かにワータイガーのやった事に対して舌打ちをしながら、自分とワータイガーの進路、
その正面に虫型のモンスターが立ちふさがるように出現するのが見えた。
「邪魔」
足を止めない。すれ違いざまに一撃で叩きつぶした。減速する事もなく滅す。だが襲い掛かってくるのは一匹だけじゃない。無数に周囲から耳障りな羽音を響かせながら虫たちがやってくる。一体何がどうしてかは解らないが、ワータイガーとの間に共生関係か、或いは支配が成立しているのだろう。ワータイガーへの進路を妨害するように様々な昆虫たちが湧き上がってくる。
だが所詮は虫だ。
龍の相手じゃない。
飛翔するものは一撃で滅する。
地に伏すものは踏みつぶす。
正面に立つものはそのまま弾きつぶした。
毒なんてものは通じない。粘着の糸で止まる肉体じゃない。汚物? 浄化して結晶化すれば意味がない。この体は攻撃が通じない相手に対しては滅法強く、反則的といえるレベルで無敵に近い。故に昆虫程度が現れても、それは鬱陶しい以外の感情を生み出さず、結果を得る事がない。出没する雑魚どもでは時間稼ぎする事すらできない。
故に虫の包囲網を正面から粉砕して突破し、ワータイガーの背中を捉えた。
「龍の時間だ」
地面を蹴って跳躍し、木を足場にして更に加速するように跳躍する。三次元的な動きもこなせる事がこの身体能力の高い体の利点だ。決して地面だけに俺の脚を囚われる必要はないだろう。自由に動けるなら自由に動いた方が100倍効率が良い。だからシンプルにそうする。それだけの能力があるから。
ワータイガーの背面に向かって突撃し斬撃を繰り出す。それを察知していたワータイガーは跳躍しながら枝に逆さまに張り付き、そのしなりを使って戻ってくる。合わせて振るう斬撃を素早く戻して対応する。大剣の斬撃とワータイガーの蹴撃が衝突し、ワータイガーの姿を弾く。その足は今の一撃で浄化を僅かに受けて煙を上げているが致命傷には程遠い。一回転しながら着地するワータイガーは姿勢を低く構えながら四肢を大地に付け、低い声で睨みながら唸っている。
「流石に即死攻撃は抵抗されるか」
接触から即座に即死させられるルートは無理そうだ。生物としての位階が高くなると干渉系能力や魔法に対する抵抗値が上がる。つまり俺の魔力も、俺自身が未熟であるという理由で抵抗もされているだろうが、ワータイガー自身が己の魔力を使って俺の魔力浸透を阻止している。これが出来ない相手なら即死させられるが今回はそうじゃない。
面倒だ。
ぶった斬って始末する。そっちのがこいつは早い。
迷う事無く正面から切り込む。此方も前傾姿勢の突撃姿勢で踏み込みと同時に斬撃を放つ。黒と白の入り混じった顎の残像を生み出しながらワータイガーの肌を裂く為に行動する。素早く致命傷を判断するワータイガーは決してそれを受けようとせず、腕を使って斬撃を受け流そうとし、
その毛皮を裂いた。
血の線を描きながらワータイガーの姿が後退する。斬れたのは薄皮一枚程度の肌だ。だが毛皮が熱したナイフでバターを裂く様に切れた。それを瞬時に感じ取ったワータイガーが致命傷を避けるために受けては流すという形で斬撃を滑らせた。
上手い。
だがエリシア程ではない。
あの人なら薄肌も切らせる事無く斬撃を滑らせられる技量がある―――つまりそれと比較し、相手が自分の経験よりも劣る相手であると認定して、圧倒する。踏み込み、斬撃、乱撃。攻撃の圧力を踏み込みながら放ち続ける。一撃、二撃、三撃。攻撃を繰り出すたびにワータイガーが逃げるように下がり、その毛皮に切り傷が増えて行く。
それでもワータイガーは死なない。その脳と体のリソース全てを回避し、生存する事へと今は全部集中させているからだ。絶対に死なない、死にたくない。その意思がワータイガーからありありと溢れだしている。
だから問答無用で追撃する。斬撃から刺突、そして大剣で殴り飛ばす。素早く攻撃の質を切り替える事で対応をし辛くし、攻撃パターンを外して相手の対応のミスを誘う。回避動作に入っていたワータイガーの反応を上回って胴体に打撃を叩き込んで吹き飛ばす。木々を数本破砕しながら吹き飛んだワータイガーは一回大地にバウンドしてから体を起き上がらせ、一目散に逃亡する。
「逃がすか」
走り出すワータイガーの後を地を蹴って追う。その背中姿を即座に捉えて結晶剣に白を纏う。そのままワータイガーを両断するべく構えた技は直後、横から飛んできた一撃を回避しながら放ったため、見当違いの所へと飛んで行く。森の木々をなぎ倒す斬撃を放ちながら大地に転がり、視線を横へと向ける。
視界の中で、枝がゆっくりとしなるように力を込めるのが見えた。
「成程……成程?」
限界までしなった枝が加速を得て射出された。それこそ剣の様な鋭さを持つ、人体を両断出来るレベルの斬撃の枝。それが一直線に此方へと向かって放たれる。それを回避や防御する訳でもなく、此方も斬撃によってマッチングする―――そう、俺に防御や回避なんてものは必要がない。他の生物全てを凌駕する能力があるのだ。正面から打ち合った方が遥かに強い。
だから袈裟斬りで枝を両断しつつ、その奥にあった本体―――即ち巨木の姿も両断する。苦悶に満ちた震えと怨嗟の音を響かせながら裂かれた巨木の幹から血の代わりの蜜が溢れ出す。
それに呼び寄せられるように周辺の木々が動き出す。
周囲を見渡せば木、木、木。全てが木々で、顔に見える様な模様や傷跡があったりなかったりする。ただ共通するのはどの木も己の意思で動き出している事であり、そして縄張りの侵入者に対して実力差関係なく敵意を抱いているという事だった。己を脅かす存在を群れで戦い、追い払う。その意思が見えた。花畑じゃなくても地雷だったんじゃん、と溜息を吐く。いや、そもそも普通の人じゃ木々をなぎ倒しながら戦闘なんてしないか。
「トレントの巣窟かあー」
そりゃあ魔境だわ。誰だってこんな所へワータイガー探しに来ないわ。はあ、と溜息をもう一度吐き捨てながら大剣を肩に担ぐ。くんくんと空気を軽く嗅いでみる。腐臭と甘ったるい蜜の香り、その中にワータイガーの血の匂いが確かに混じっている。斬撃を与えた事で傷口に黒を付着させているからそれもマーキング代わりになっている。
どこへ逃げようとも、自分の魔力の反応を追えば追い詰められる。恐らくは流れからして俺にモンスターを押し付けて巣に戻る形だろう―――えげつねぇ。
俺以外が相手だったら詰みだろう。俺の場合? まあ、服をぼろぼろにしないようにする事が一番かな。
と、足元を這っていたトレントの木の根が足に絡みついてくる。そのまま体を這い上がろうとする木の根を蹴り飛ばして粉砕し、触手プレイを断固拒否する。そのまま木の根の主のトレントを大剣の殴打でウッドチップに加工し処理する。だが今ので一体処理しただけだ。周りを見れば無限にいるんじゃないか? と言わんばかりに気配を感じる。或いはトレントの蜜の匂いに誘われて虫型モンスターがやって来たか。
何にしろ、全部破壊すれば結果は一緒だ。
正面に突貫するようにトレントに突進し、その勢いで粉砕しながら蹴り飛ばして貫通、反対側のトレントを斬撃処理、振り返りながら背面を取ろうとしていた連中を纏めて大斬撃・白で薙ぎ倒す。少なくとも相当高濃度の魔力を持っている存在でなければ触れた瞬間で即死が確定する斬撃だ。勢いも生命力もあるが、特別でもなんでもないモンスターで耐えられる事はない。
足元から迫ってくる蔦や木の根、触手を踏みつぶして処理、手身近なトレントを斬撃で解体し、そのまま刺突を繰り出して破片を散弾の様に細かい雑魚に叩きつける。それで足が止まった所を薙ぎ払って追撃。足を止める事無く加速して突進する。ピンボールの様にトレントからトレントへと連続で移動を繰り返し、斬撃を繰り出して処理しながらワータイガーの方へ移動を再開する。
こいつらの相手をしていればしているだけキリがない。
だというのにトレントを振り切ってワータイガーの気配と匂いを追跡して疾走した先―――出現したのは広い花畑の存在だった。
点々と続く血の跡はワータイガーが受けた傷を証明し、追跡ルートが正しい事を証明する。
「マジで賢いんだな、流石人食いトラ」
ここまで連続でトラップゾーンに引き込まれると笑うしかなかった。ギルドでの賞金首の討伐、それがパーティ単位で推奨されてソロが自殺宣言だと言われる理由が良く解った。人間がやる様な苦行じゃねぇもんこれ。明らかに殺人的難易度の高さだし、それぞれの専門分野を複数用意した上で行う挑戦だわ。
スカウトレンジャーで追跡と森の歩き方を、回復と解毒の出来る薬師とヒーラーを、戦闘用の人員に……と考えると必要な人数は増えるし、その分報酬も頭割りで安くなる。
そう考えるとワータイガーの懸賞金も実はかなり安い類なのかもしれない。
まあ、俺は最強なのでソロでやるが?
「どんとこい魔境!」
口にしながら駆けこむ様に一気に花畑に踏み込む。次の瞬間感じたのは脳を揺さぶりにかかる濃い甘い匂いだ。龍としての肉体が一瞬の時間も与えずに影響をシャットアウトするが、普通の人間が吸い込めばどうなるか解ったもんじゃない―――恐らく匂いからすると催淫か催眠の類だとは思う。細かい判別はつかないが恐らくはそのあたりだろう。
そしてそれが通じないと発覚するや否や、花畑の大地が轟いた。
花畑から花を纏った怪物が、花そのものが動き出し、花に寄生されたモンスターの姿が溢れ出す。そう、溢れ出すという表現しか当てはまらないだろう。地雷原という言葉も正しいだろう。
この花畑の全てがモンスターかもしれないのだから。
毒、麻痺、催淫、睡眠、入り混じったガスが花畑を満たす。神経だけではなく脳味噌さえも狂わせる地雷原たる所以、それが一斉にモンスターの動きと共に襲い掛かってくる。
知るか、死ね。
その意思を剣に乗せて斬撃を薙ぎ払った。正面を白い斬撃が二閃、三閃、四閃、広域斬撃として重ねるように放たれる。本来であれば呼吸もままならない環境、魔力を豪快に使用する事は出来ない筈。だがその理屈は通じず、魔力を圧縮して放つ必殺技の片割れが花畑の怪物どもを薙ぎ払い、
醜悪な悲鳴と共に花弁を散らす。
点々と続く筈のワータイガーの血の痕跡はもう見えない。
だがまだ、龍の感覚は逃亡者の存在を完全に捉えていた。奴は確かにこの花畑を抜けた。或いはルールがあったのかもしれない。興味はない。
龍には龍らしい戦い方が、振舞い方がある。人前では決して出来ないそれを、今は、一切の躊躇なく、全開で披露する。
今は龍の時間なのだから。




