命の値段 Ⅵ
翌日朝、一時的にリアをヴェイラン家に預けてエドワードと共に出立する。
エドワードは物凄い軽いノリで討伐の話を出したが、ぶっちゃけ目的地へと向かうだけでもかなり苦労する。
ご存じの通り、この世界はファンタジーであり未開拓な世界だ。だから高速道路なんて物は存在しないし、人通りの多い道しか舗装されていない。幸い今回の行き先である山は財源である為、資源を運ぶための道が存在しているからまだマシだが、それでも徒歩で3日はかかる距離だ。この距離感というのが割と曲者で、人によって移動速度にはばらつきがある。だがこれを解りやすい数値にしてみると、1日人間が徒歩で歩く大体の距離が25㎞から30㎞ぐらいになるだろう。
まあ、この世界の人間は魔力と魔法がある関係でもうちょっと強靭だ。1日35㎞までは歩けるとしよう。3日での移動距離は合計で100㎞を確実に超えるだろう。これは相当な距離だ。kmで表現しても良く解らない場合があるが、3日間という時間がどれだけ大変かを教えてくれる。
そして馬ならこの2倍の早さは行ける。いや、本来であれば馬と徒歩の1日で進める距離はそう変わらないらしい。速さが違うのにそこまでの差がないのは、馬を休めなければならないという理由があるからだ。だがこれを無視して、馬を使い潰すやり方で走らせれば徒歩の2倍の距離を1日で稼ぐ事が出来る。反面、2倍近い距離を稼いだ時点で馬が死ぬというデメリットがある。つまり帰り道を想定していない走り方なのだ、これ。だから最終的に稼げる時間や距離は徒歩と変わらないという話になるのだが、
この世界には裏技がある。地球では絶対に使えない手段だ。問題は馬が疲れて死ぬ事なのだ。だったら最初から疲れ知らずの馬を使えば良いという話になる。
そこで出てくるのがアンデッド系の馬だ。死なないし、疲れないから永劫に走っていられる。食費は生気を多少吸わせるだけ。それで存在が維持できるのだからコスパはかなり良い。問題はデュラハンとかモンスターから馬だけを強奪しなきゃならないという事実だ。だがそういう事も金さえあればどうにかなる。そして辺境では、というよりヴェイラン家は場合によって緊急の使いを出す必要もある為、アンデッドホースの1頭ぐらいは当然備えていたりする。この1頭も野生のデュラハンを大人数で囲んで虐めて馬だけを強奪したものであり、完全にデュラハン可哀そう案件の末に捕獲調教されたものだ。
それに騎乗していた。1頭しか使えない為、前の方に俺が座って後ろからエドワードが支える形だ。アンデッドホースであれば60㎞の距離を死ぬ事なく走り抜け、更に夜間も走れるので1日で70㎞の距離を踏破出来る。
無論、アンデッドホースは無事でも俺とエドワードが休みを必要とする。その為移動する時間というのには限度がある。それでも休憩を挟みつつ移動する事で1日目は予定通り60㎞の踏破を完了する。
2日目に現場に到着し、仕事を処理したら3日目には領主館で夜を過ごすというスケジュールだ。
当然ながら、飛行機や新幹線なんて存在しない時代、電車であれば数時間で行ける100㎞という距離もこの時代では数日かけて移動する距離になる。その為、テントや食料を積み込む必要だってある。
旅は、決して楽ではない。長く座っていると尻が痛くなってくる事だってある。
だけどそれ以上に、旅は楽しいんだ。
「明日には予定通り到着できそうだ」
エドワードの言う鉱山へと続く道、その横にキャンプを設置した。と言ってもテントを立てるのと焚火を焚くだけのキャンプだ。後は寝袋にくるまって寝るだけという簡単なもので、現代のレジャーの様な要素は一切ない。夜を越す為のキャンプだ。そしてモンスターがキャンプ周辺に出没する可能性もある為、その対策を行う必要もある……普通は。
俺がいる場合、俺という存在そのものを忌避しているのか恐れているのかモンスターはよって来辛くなる。相手の縄張りに踏み込んだ場合はまた反応が別なのだが、こうやってキャンプする場所の安全を確保してから大人しくしている分には絶対に来るような事はない。だから普段存在するモンスター相手の見張りや警戒みたいなものは必要ない。
だからエドワードと二人、小さな丸太を椅子代わりに焚火を挟んで座っていた。直ぐ近くの木には手綱を使って繋がれた全身に肉がなく、骨だけで構築されたアンデッドホースの姿がある。唯一、その目を覗き込むと蒼い炎が燃えているように見える。ちなみに普通の馬同様、命令するとしっかりと従ってくれる。
エドワードと二人、焚火を使ってシチューを煮込みながら俺達は最初の夜を過ごしていた。
「初めての馬での旅は結構疲れるもんなんだけどねー。エデンはそこまで疲れた様子を見せないね」
「まあ、流石にちょっとお尻が辛いのはありますけど、思ったほど疲れてはいないですね」
「うーん、流石龍。体が強靭で羨ましいね」
そう言いながら軽くシチューの味を確かめながら香草をエドワードが増やした。
「エドワード様が料理する、って結構意外なイメージですよね」
「そうかな? まあ、家にいる間はアンかエリシアに任せてるからね。こう見えて学生時代とかは僕の方がエリシアに作ってたんだよ?」
「えぇ、本当ですかぁ?」
「本当だよ、本当。その頃のエリシアは武芸一辺倒だったからね。家事も何もかも駄目だったんだ、本当に。だから僕がお弁当とか作って差し入れに行ったりしてたんだけどね」
エドワードが懐かしむ様に目を閉じるのに、ふと思った。
「エドワード様とエリシア様、どうやって結婚なされたんですか? 過去の話を聞く限り、絶対結婚できそうにない組みあわせの様に思えたんですけど」
「うーん、これはまた長い話になるからもうちょっと落ち着いた所でしたいかなぁ。でもそうだね、実は僕の方からエリシアにアタックした結果なんだよね」
そう言って恥ずかしそうに頬を掻いたのに、俺は結構驚いていた。昔のエリシアは話を聞く限り、相当の難物だった筈だ。それをエドワード側のアタックから陥落させたって、
「相当の英雄的な行いだったのでは……?」
「うん。当時の僕のあだ名は勇者だったよ」
「はわー」
意外と、というかなんというか凄い事してたんだな、この人。でも今のエリシアを見ている限り、その後でかなり落ち着いたんだろうけど。いや、落ち着いてはいないんだけど。少なくとも見た目と表面上は大人しいママになっている。世の中の大人しいママはクレイモアを投げて人を殺すのか?? ねぇわ。
「ま、まあ、この話はまた今度。何時か、ね。こほん。それよりも亜竜の話をしようかと思うんだけど」
滅茶苦茶解りやすく話題を切り替えようとするエドワードの姿に今度はリアと一緒に迫ってやろうと心の中で計画しつつ、足を軽く組んで手をその上に乗せる。恰好はこれまたヴェイラン家で借りて来た動きやすさを重視したチュニックとジーパンだ。流石にこれから亜竜退治に向かうのに外出用のちょっと着飾った服装のままというのは気が引けたからだ。
とはいえ、やはりちょっと小さいかも。ロゼの服、借りっぱなしだし帰ったら感謝しとこ。
「じゃあ誤魔化されてあげますから、亜竜に関してお願いします」
「良し、それじゃ亜竜という存在について軽く語ろうか」
エドワードは魔力を使って空中に”亜竜”と”龍”とこの世界の文字を描く。
「僕らは龍という存在を無意識的に特別視している。だから亜竜を亜と付ける事で龍ではないと区別するし、竜という別の文字を使う事で龍とは違う事を強調する。それだけ僕たちにとって龍という存在は大きいんだ」
「気になってたんですけど、結構龍に対する認知や意識って大きいですよね」
「そうだね……神話で最初に出てくる生き物であり、同時に現在人類の敵……って考えがどうしても強く残っているのかもしれないね。だから龍と亜竜はまずは区別されるんだ。これらは違う生き物だ、と。そして実際の所龍と亜竜はとんでもなく違う。それはエデン、君の存在そのものが証明してくれている」
エドワードの言葉に頷く。
「伝承や調査によると亜竜は実質的な龍たちの眷属、その子孫みたいな存在だ。龍が消えた事で自由になった亜竜達は自由に繁殖し、その強靭な生命力と能力で環境に適応しながら現代にまで数多く増えて行った。そして同時に、彼らは人に対して強い敵愾心を抱いている。中には群れ規模で活動し積極的に人を襲うタイプまでいるね」
「あ、それは初めて聞きました」
「結構地方での話だからね。人口密集している大陸や国だとこの手の敵対種は基本的に根絶やしにする事で生活圏を確保するから、この手の被害が大陸中央とかで見る事はないんだ。……よし、そろそろシチューも良い感じかな」
エドワードにシチューをボウルに移して貰い、パンを頂く。これが今夜の晩御飯だ。昨晩と比べると大分質素なものになったが、空を見上げれば満点の星空がそこには広がっている。存在する光源はこの焚火と空の星々と近くの木で食事欲しいアピールをしているアンデッドホースの炎だけ。自然に囲まれた環境はまた普段のダイニングで食べる食事とは全く違う感触がした。
エドワードが作ったシチューもしっかり味が付いていて美味しい。道中移動する間に採取していた香草の類がこういう使い方をされるとは思いもしなかったが……そう言えば、エドワードはちょくちょく仕事で家を出てはこうやって1人で旅をして討伐をするのだろう。その度に1人で料理をしているのだと思うと、納得できる技術なのかもしれない。
硬いパンを手でちぎってシチューに浸し、軽く柔らかくなった所を食べる。
「亜竜は人を憎んでるんですね」
「大半は積極的に関わろうとはしないけどね。1度竜王クラスが動いて国が1つ消えた事があったね。それ対策でドラゴンハンターやら龍殺しやらが亜竜を定期的にハンティングするようになったかな……まあ、本当に大半は縄張りの防衛に努めてるだけ、だけどね」
ずずず、とシチューをエドワードが飲む。
「それだけに今回、これまで無事だった山に亜竜が湧いて人を追い出すというのは結構珍しいケースなんだよね。どこから逃げて来たのか。或いは山そのものに何かあるのか。どちらにせよ興味深い事ではあるよね」
「鉱山なんですよね?」
「うん。辺境の財源の一つだね」
なら、まあ、と呟く。
「……鉱山の奥に何かあって、それが掘り起こされそうだから守りに来たとか?」
「着眼点は中々面白い。だけどその場合はたった1頭でやって来た事が説明できない。守る程重要な物だったら1頭ではこないでしょ?」
「あ、成程。それは確かに」
亜竜……龍の眷属。立場からすると俺の部下の子孫みたいなもんなのか? いや、ちょっと表現に困る関係だ。とはいえ、俺が龍だと気づけるのだろうか? 何にせよ、龍と亜竜の邂逅が何らかの真実や事実へと繋がれば良いなあ、とは思うが……結局、これは討伐依頼だ。最終的には追い出すか殺すかをしないとならない。
「ちなみに亜竜って強さはどれぐらいなんですか?」
「強さかい? 基本的に弱い亜竜でもシルバー級のハンターパーティー……うーん、大体中堅クラスの実力を要するんだけどこれじゃあちょっと解りづらいかな?」
頷く。ちょっと階級での強さの基準値はまだ見えてこないレベルだ。
「シルバー級ハンターは巨大生物、突発的な事象、奇襲対応が出来るクラスだね。8時間を超える連続探索を遂行可能、人型モンスターとの戦闘可能……まあ、言ってしまえば実力に対してギルド側からでも信用が置けるってレベルだね」
エドワードが言葉を探すようにうーん、と唸っている。
「この基準、解る人には一瞬で解る基準だけど、関わってない人にはピンとこないからなあ……そうだね、数値にしてみれば解りやすいか。上限の数値を10として、駆け出しのリーフ級冒険者の強さが1だとしたら、シルバー級は4ぐらいかな。亜竜は弱いものでも単体で6はあるよ」
それ、説明が正しければ亜竜側が相当強い事になる。いや、実際に強いからそれだけ困っているのか。しかしシルバー級、思ってたよりもなんか……弱くない?
「だからシルバー級のパーティー単位、って話なんですね」
「そういう事。シルバー級への昇級には年間100を超える依頼達成数が必要なのと、ギルドからの推薦状が必要なんだよね。そして推薦状の取得には人格や協調性をテストする部分があるから、超強いけど協調性皆無……ってタイプの人は絶対に昇級出来ないようになってるんだよね。だからパーティー単位で連携して動けるレベルの人材の証明でもあるんだよね」
地雷率がググっと減る、とエドワードは説明する。ギルド側も、結構質の維持とかに頑張ってるんだな……なんて事を想いながら、ふぅーと息を吐いてシチューを食べる。満天の星の下でエドワードの話を聞きながら食べる夕食は、これまでにない経験を満たす物で非常に楽しい。
これまで見たことのない世界、聞いたことのない世界、それを知りながら一歩ずつ未知の世界を踏破している感触が、どうしようもなく楽しかった。
或いはこういう旅人生活、実は俺に合っているのかもしれない……。
そんな事を考えながら初日の夜は更けて行った。




