人理教会 Ⅳ
ソフィーヤの信者と言えば神本人、或いは本神のポンコツっぷりからこう……あまり頼りにならないイメージが湧きそうだが、最大宗派という看板は決して偽りじゃないのだ。
竜に対する殺意や異種族に対する排斥によるイメージの悪さは付き纏うが、そもそもこの世界自体の最大人口を担っているのが純人種なのだから、そこまでそれもマイナスという訳ではない。この世界全体で人類の覇権、安全領域を得るうえで一番活躍してきたのが人理教会であり、この宗教がどれだけ明日の平穏の為に屍を積み上げてきたかという事を考えれば、その存在の全てを責める事も難しいだろう。実際のところ、彼らの活躍が無ければ国家単位を亡ぼす様な怪物が野放しになっていたことだろう。俺が龍だからこそ余り良い印象を持っていないが、そういう総合的な人類に対する貢献度で言えばダントツだろう。
ただそれで異種族へと向けられているヘイトが無くなる訳じゃない。そもそもこの人理教会自体、もうソフィーヤの声が届いていないらしいのだから本当の意味での信仰は死んでいるのかもしれない。彼女の―――あのポンコツの声が聞こえていればむやみやたらに竜狩りしてたりするはずがないのだから。
だから俺の人理教会に対する感想は“頼むから近づかないでくれないか?”という言葉に尽きるのだ。近づいた所でメリットはないし、関われば関わるだけ俺の正体が露見するリスクというものが増してしまう。その事を考えると当然ながら接触というものをなるべく控えたいのだが……今回に限ってそれは無理だった。俺が異端の疑いをかけられたという事は半ば死刑宣告に近いだろう。
何せ、法整備こそされていても、地球の近代国家レベルのモラリティを求めるのは難しい。
嘘か本当か、その証拠なら魔法を使えばかなり自由にでっち上げられるし、証言や証人の真実性なんてどうすれば保証できるんだって問題もある。基本的人権なんて言葉、この宗教が政治に食い込みやすい世の中においては中々信頼するのは難しい概念になる。だから人理教会の俺を名指した異端の疑いがある、という宣告はつまりお前を異端にする準備はあるんだぞ、という宣告でもあるのだ。
まあ、実際のところ異端どころかご神体なので疑いもクソもないんだが。
頭を抱えるロゼに首を傾げるリア、そして申し訳なさそうにするプランシー。突然の宣告に対する困惑と頭痛は当然の結果でもあった。だから俺は片手で頭を抱えながらあー、と声を零した。
「えーと、でも人理教会は法的な力を国内では持てなかったはずだよな?」
「はい、そうなります。エスデル王は賢君ですね、政治と宗教が癒着した結果どうなるのかを良く理解しておられます。合理ではなく信仰で政治の舵を切ってしまえば残されるものは無法だけです。神の名の下、あらゆる行いが肯定されてしまいます。そうなればもはや何を崇めているのかさえも解らなくなってしまうでしょう」
「今の人理教会の事だな」
「……かなり危険な発言なので、出来れば外では控えてくだされば」
プランシーにサムズアップを向けて解ってると伝える。少なくとも表立って批判なんてするもんじゃない―――街中で暗殺とかがあり得る世の中で、どんな発言が命取りになるとかマジで解る訳もない。それはそれとして割と頭を悩ませる状況だ。
「貴女……何をしたのよ」
「はあ? 俺が何かやった事前提? いや、割と真面目に何かやった覚えはないんだけど……あっ」
プランシーの方を見ると、静かに頷かれた。そう言えば人理教会と魔族はバチバチに睨み合ってるし、そんな状況下でベリアルにVIP待遇でエスコートされて会いに行けば当然だけど睨まれるか。睨まれるにしてもいきなり異端容疑で襲い掛かってくるとは思いもしなかったが。普通、もっと段階を踏んで警告とかしてくるもんじゃないのだろうか?
「うーん、でもエデンは悪いことしてないし証明すれば大丈夫なんじゃないかな。異端じゃないし」
龍だけど、という言葉をリアは最後に飲み込んだ。異端じゃないけど汝ドラゴンデース! とかやられたらまあ、勝ち目ないもんな。そうじゃなくても汝は異端! 罪ありき! とかやられたらガチ目にどうしようもない。冤罪アタックは魔女狩り時代から続く伝統の処刑方法……回避のしようがないんだよなあ。
「そこが難しいのよ。無実を証明する事は有罪を証明するよりも遥かに難しいわ。エスデルでの法を参照するなら裁判を起こす必要があるけど、無罪を主張する場合は用意された証拠に対して否定する要素を揃えて、それが1つ1つ間違いであることを証明しなくてはならないわ。この時神々の前で真実のみを語る事を約束するから基本的に嘘をつくことは出来ないんだけれど……」
流石領主の娘、政治や法の事に関してはロゼが良く理解していたが、同時にその穴も理解している。
「法務官を身内で固めれば抜け穴を作る事は容易いですからね」
「でも、ここはエスデルだよ? 人理教会ってそこまで力を持っている訳じゃないよ」
「それでも潜在的な信者やシンパってのは割とそこらにいるのよ。聖人を信仰していなくてもその記念日は祝うでしょ? 馴染みがある分何かの呼びかけがあると反応しやすいのよ。まあ、それでもウチはそういう宗教色が薄い方だけど」
「証明は難しい……という事?」
「そうね。こういう風に仕掛けてくる時は大抵の場合でそのまま認定できる所まで用意してあるって事だろうしね。そう考えるとエデンが直接対応するのが一番の悪手じゃないかしら? 対応すればする程言質を取られたりして悪い方向へと持っていかれるわよね」
「実際、私達としてもエデン様にはこのままここでお過ごしいただく方が助かります。対処に関しては私達の方でしますので」
「うーむ」
餅は餅屋という言葉もある通り、この手の事はその手のプロフェッショナルに任せるのが一番だろう。実際、ベリアル一派はアルドの言葉が正しければこの国の中枢に手を伸ばしているのだろうし、このエスデルが連中の手に落ちる未来も見えてきている事だろう。正直な話、アルドの戦力とバックを見てあの魔王に対抗できるとは思えない。数年後、或いは数十年後にこの国を掌握するであろう魔王に庇護されているという状況は平和な人生を歩む上では悪くないんじゃないかなぁ、とは思う。
「だけど舐められっぱなしってのはムカつくよなぁ」
「ステイ……ステイよエデン、ステイ。暴れちゃ駄目よ。頼むから暴れないでよね」
ロゼが両手でどうどう、と俺を落ち着かせに来る。両肩を押さえられながらもまあまあ、と言葉を挟みながら俺は顎に手をやるポーズを取り、にんまりと笑みを浮かべた。
「俺に良い考えがある」
「絶対嘘よ。絶対にろくでもない事よ。私知ってるわ、こういう顔をしている時のエデンはろくでもない事しかやらかさないって」
「あの……エデン様? あまり荒唐無稽な事はなさらない方が宜しいのでは……」
まあまあまあ、とロゼとプランシーを抑え込みながら俺は拳を作って胸を張る。
「なんと言ったってこのエデン、生まれてから悪い事はほぼせず、善良なエスデル国民としてずっと人生を過ごしてきた。平穏を愛し、善良である事に努め、そして日々を良くすることに尽力してきた。人格も顔も性格も良い美少女人生を過ごしてきた」
「急にどうした」
うむ。
「つまり俺は何も悪いことしてないのにこのまま黙って通り過ぎるのを待つのは間違っているのでは、という至極真っ当な話を持ち出している訳だ」
「よっし! そろそろ大人しくしましょう! ねっ!」
絶対に何かをやらかそうとしているなこいつ、という視線が突き刺さってくるのを無視する。まあ、見ているが良い凡人共。確かに大当たりを超えて突き刺さっちゃいけない所に人理教会の予測は突き刺さっているだろう。だけどお前らは根本的な事を忘れている。お前らが宣告した異端者は実はこの世で最も正しい位置に立っている存在であるという事実を。
だからあえて言おう。
「俺に良い考えがある」
ホテルのロビーへと降りてくる。後ろでは必死に俺を止めようとするプランシーの存在があるが、立場上俺を無理矢理止める事が出来ない彼女からすれば今の状況はひたすらに居心地の悪いものだろう。そんなプランシーに申し訳なく思いつつも、俺はロビーに集まっていた集団を見た。そこではプランシー以外のベリアルの部下たち……つまり俺の護衛がこれ以上ホテルの奥へと立ち入らせない様にガードに入っており、その前では何名かの姿が見えた。その先頭にいるのは一人の老神父の様で、その背後には数名の騎士を連れているのが見えた。聖騎士か、或いは神官戦士なのか、ぱっと見ではどういう立場なのかは判別がつかないがそういう知識は俺には不要だ。
傲岸不遜に、或いは自信満々に胸を張って人理教会の者達の前に立った。自分から出て来た俺の姿に護衛の者達は驚きの視線と困惑を見せ、逆に神父たちは驚きの中に喜びの様な物を見せた。俺の姿を確認した老神父は真っ直ぐにその視線で俺の角を捉え、そして言葉を向けて来た。
「現れたな異端者エデン。貴殿には弁明の機会が与えられている。もし己が真に異端ではないと言うのなら、自身の潔白を証明してみせるが良い!」
「黙れ宗教屋。貴様らの見苦しいこじつけは見飽きた。権力争いも欲望に溺れるのも貴様らの内々で済ませていろ」
「黙れ魔族、異界より来た貴様らに弁明の機会があるだけ有情であると思え。本来であれば我らが神々より頂いた神聖なる地に貴様らの様な害虫を入れる事すら許しがたいのだからな……!」
こらえる様に老神父は残りの言葉を己の喉の中で抑え込んで見せた。或いはこの老神父はまだマシな部類なのかもしれない。本当に狂信者と呼ばれる様な連中はそれこそ会話なんてものは通じないだろうし。こうやって会話が出来ている時点でまだ語り合える理性のある部類なのだろう……そう思うと前にエンカウントした聖騎士を含め、結構出会いの運は悪くないのかもしれない。
「成程、つまり爺さん……俺が自分が完全に潔白である事を証明すれば良いんだな?」
「無論、我らとて好んで血を浴びようとする血狂いではない。我々が裁くのは異端であり、神の理に反する愚者だけだ。異端共は理から外れ、世の均衡を崩そうとする背徳者共だ。連中は増えすぎた人を減らすことが世のために繋がる等と嘯き混沌と死を齎している……無論、今の貴様にはそれと同じ嫌疑がかかっている」
「成程、言いたい事は解った。だから解った、今ここで俺が潔白である事を証明しよう」
「何?」
「今言っただろう? 俺が潔白である証明が成されれば何も問題がないって」
その言葉に老神父が眉を顰める。何せ、潔白の証明というのは悪魔の証明に近いのだから。何をすれば潔白、何をすれば無実と決めるには相手が完全に納得する必要があるのだ。そしてそれを納得させるという部分が最も難しい所でもある。何せ、相手は頭の上から完全否定する為にそこにあるのだ。そして俺が異端であると、頭のてっぺんからそう信じている―――こんな龍みたいな角を生やした女を見て、怪しいと思わないわけもないだろう。たぶん。
だけどまあ、あるのだ。
たぶん全人類は使えないけど、俺だけ使える手段が。
「ああ―――俺の身の潔白を女神ソフィーヤに誓おう! そしてそれが偽りだった時、ソフィーヤ神によるいかなる天罰をも受ける事をこの場で約束する!」
俺の言葉にホテルのロビーが騒然とした。神への誓いは軽々しく出来るものではないし、それに神々が簡単に応じる事はない。だがそう、それは一般人に対してのみの話だ。俺はこの世で唯一無二の最高位オラクル技能持ち―――地上生物で最も神々と交信、交流を行えるドラゴンだ。他の生物であれば深い瞑想状態に入り、神殿や祭壇がある場所でなければ欠片でも声を受け取る様な事は出来ないだろう。特に、
「愚か者が、ソフィーヤ神様は有象無象の呼びかけには答えぬ! 本国の神殿でのみ今では声を頂けるものを……この場で立てた誓いになぞ意味はない!」
憤慨する老神父を無視して、俺は目を閉じた。静かに意識をソフィーヤの方へと向ける。
『私は応えませんよ』
意識を向けた先、当然のようにソフィーヤは絶対に干渉しないぞ、というスタンスを打ち出してきた。彼女は今までずっとそうだった様に、積極的に下界へと干渉する気は皆無の様子だった。それが彼女の過去の失敗に由来するものであるのは良く理解している。だがこうなった以上、この神様には少しだけ協力して貰おう。
『駄目です。神は声の一つでも力が強すぎます。たった一声……それがかつて龍を絶滅に追い込みました。貴女の苦境は解りますエデン。ですが、そこに易々と私が介入してはなりません』
当然のように此方の意思を読み応えてくるソフィーヤ。だが元々彼女がこんな事を言って干渉拒否してくることは既に理解していた。だから俺はこういう時の為にソフィーヤのポンコツっぷりと俺への偏愛っぷりを理解し、最終兵器を用意していた。
今こそ、この最終兵器を使う時だと信じている。
静かに俺からの返答を待つソフィーヤの姿を感じ、俺はあらゆる感情を込めてその言葉をソフィーヤへと送った。
―――ママ大好き―――!
瞬間、ホテルの天井をぶち抜いて祝福の光が降り注いだ。
呆然とするホテルのロビーに集う魔族、神父、騎士、巻き込まれただけのホテルスタッフ。
その中央で俺はドヤ顔を浮かべてソフィーヤから送られてくる祝福の光の中で輝いていた。騙す事も隠す事も出来ない神気が降り注ぐ中で水戸黄門になった気持ちになり宣言した。
「これが俺の潔白の証明だッッ!!」
勝ったな。風呂入ってくる。




