炎魔王ベリアル
「―――で、昨晩はどこに行ってたの?」
お口をばってんにしながら朝、リアの尋問を受ける事になった。ネグリジェ姿のお姫様はどうやら俺がベッドの中にいなかった事が不満だったらしく、頬をむくれさせながらご機嫌斜めである事を主張していた。どうやら昨晩、俺が外出中である間に添い寝をしようと部屋に忍び込んできたものの、俺の姿が見つからなかった事が気に食わないらしかった。
「て、言ってもなあ……カジノにリアもロゼも連れて行けないしな」
「あら、稼げたの?」
「勝ちすぎない程度には」
テラスで朝のティータイムを楽しんでいるロゼへと向かって応えると、そう、とロゼの方は言葉を終わらせる。だが不服であるリアは未だにぷりぷりと怒りの表情を見せる。それを見てロゼが朝の風を浴びながらため息を吐く。
「リア? エデンは私達よりも年上だし、自分だけの時間ぐらい欲しいでしょ。あまり拘束するのは良くないわよ」
「むぅ」
「それにカジノは若い子禁止だよ。そうじゃない意味でもリアは出禁だけど」
「それはそう」
ロゼが俺の言葉に頷き、リアが首を傾げる。何を言っているのか良く解っていないリアに教える為に、魔力を固形化して生み出す侵食結晶を生成し、それをダイスの形に加工する。ちゃんとした6面ダイスだ。細かいディテールを彫り込むというのは中々細かい魔力操作技術が要求されて難しいのだが、この結晶で模型を作れたりしたら滅茶苦茶売れない? なんて発想から暇つぶしにちょくちょく練習している技術だ。
まあ、それはともあれ、イカサマも無し、普通の6面ダイスを5個用意する。首を傾げながらそれを転がすリア。
そして出てくる数字はオール6。
10回ほど繰り返しても出てくる数字は6のみ。まるで当然と言わんばかりに結果に疑問を抱かないリア、そして知っていた結果に溜息を吐く俺とロゼ。流石の俺でもこんだけダイスを振れば外すだろうが、リアはこの手の運試しであれば基本的に無敗だ。運と言う要素においては自分が知る限り、ほぼ最強の人類だと思っている。
自分の生活を彩る者を招き寄せる運。
災厄が自分に降りかからない運。
生活が苦にならない運。
目的へと邁進する機会を得られる運。
こうした、天賦の運というものにリアは恵まれている。俺に出会えたり、生活は苦しくても絶対に破綻しない所とか、運を求められる所では外した事が無い。苦しい事があっても最終的にはなぜか全部丸く収まる。そういう風に自分の周りの物事が説明もつかずに良い結果に至る。それをご都合主義と言えばそうなのかもしれない。だがリアはそういう天運を持って生まれてきている。だからこそ、彼女をカジノなんて場所に近づけてはならない。
たぶんその日のうちにカジノが破産してしまう。そんなラックモンスターを連れ出すわけにもいかんだろう。まあ、年齢的にそもそも入れないんだろうが。
「だから2人が眠った後にこっそり出たんだけどなぁ」
「私はエデンと寝たかったの」
「その甘え癖をどうにかしないと将来的に困るぞ。いや、本当に」
首を傾げるが、お前の将来的な結婚相手の話をしてるんだ、結婚相手の。将来的にどこの馬の骨と結婚するかは解らないが、このままの甘えん坊だったら結婚相手も相当苦労するだろう。まあ、見送るのは死ぬほど嫌だけど。グランヴィルという家を残す事を考えるとなると、何時かは見送らなきゃいけないんだよなあ……。まあ、その日の事はその日の事だ。今はこのお姫様の悪癖をどうにかしないとならないという話だ。現状、俺が徐々に距離を空ける以外の解決手段が見いだせない。
というのに。
「おい」
「むーん」
「駄目ね、完全に駄々っ子になっちゃったわね」
「笑ってないで助けてくれよ……」
「嫌よ。姉妹なんでしょ? 仲良くすればいいじゃない」
けらけらと笑うロゼには、俺にコアラの様に抱き着いているリアの姿が見えるのだろう。完全に顔に抱き着いてぶら下がっている辺り、確信犯なんだろうが。両手を脇の下に差し込んで持ち上げると、猫のようにだらーんと体を伸ばしてくる。
「リアー?」
「なんか、エデンがまた余計な事考えていたみたいなんだもの。私、そういうのなんとなく解るよ」
「この娘ったらもー」
持ち上げたリアをぶんぶんと振り回すと楽しそうな悲鳴が聞こえてくる。リアが俺から離れて暮らせるようになるのは果たして、何時頃だろうか。これでも辺境にいた頃のべっとり具合からはかなりマシになった方なのだが。まあ、20になる頃には自立できるかなあ、とは予想している。20になってもべっとりだったら少々やばいから荒療治必須になるんだろうけども。
まあ、今は限りある時間を楽しもう。悲しい事だが時間とは無限に有限なのだ。俺にとっては無限でも、人にとっては有限のリソースなのだから。だけどここでしゃーないなー、と言って甘やかしてしまう俺にも問題があるのはちょっと自覚した方が良いのかもしれない。
まあ、それはそれとして―――今日はベリアルに会いに行く日だ。
昨日のアレで今日はこれ。胃が痛くなるなあ、と思っていると。
「エデン」
「ん?」
リアの声に視線を持ち上げた。
「―――今日は、無事に帰ってくるよね」
傷は残っていない、血の臭いも跡も残していない。俺が昨日刺されたという証、証拠、それは一切残っていない。だけどまるで見透かしている様な言葉でリアはそれを聞いてくる。だから俺は笑みを浮かべ、答える。
「俺を誰だと思ってるんだ」
誤魔化す様にリアの体を振り回して、無理矢理言葉を区切らせた。
いや、まあ、なんというか。
正直な話、解らないかなぁ……無事でいられるかどうかは。
駄々っ子を引きはがして朝食を終える頃には俺もベリアルの所へと向かう為の準備に入る。
と言っても、やる事と言えば着替える程度の事でしかない。相手は態々俺達をこんなサービスと大金をかけて歓待してくれている人物なんだ。それに見合った格好をしなくてはならない。なら昨晩着たパーティ用のドレスはどうなんだ、となるがまず駄目だ。あれはあくまでもカジノとかそういう場所へと着て行く為のドレスであり、露出が多すぎる。
こういうフォーマルさが求められる場所では露出を控えた方が良いので、もっとフォーマルなドレスを着る事になる。そしてそれに関しては既にエメロードのブティックで購入済みだったりする。此方はよくアニメや漫画で見る様な貴族の令嬢が着るタイプのフォーマルドレスだ。フリルやら何やらが付いた、貴族らしい着飾ったタイプだが、それでも外出用に煌びやかさを落としたもの。正直貴族でもない俺がこういう服装を着る意味がどこまであるかは解らないが。それでも見た目、服装というのは一番誠意を見せられる場所だ。
髪だってめんどくさくてストレートにしているが、今日ばかりはちょっとだけウェーブをかけてみたりする。普段とはちょっと違う装いというのは気合が入っている証でもあるのだ。まあ、これで多少は女性らしく見えもするだろう。何時も通りのカジュアルな格好で出向いたらどれだけの失礼をやらかすか解らない。だから見せられる範囲では失礼がないようにする。
そうやって精一杯おめかしをしたら出かける準備は完了する。
「私も行く―――!」
「駄目よ。流石にエデンの身分とかに関連する事なんだから、信じて待ちましょう」
「やだ―――!」
駄々をこねるリアを見てロゼが溜息を吐き、数秒程、落ち着く様に呼吸を整えた。次の瞬間には低空タックルで一気にリアに組み付いていた。
「ヴェイランプリンセスフォール!!」
「ぐわ―――!」
地面に薙ぎ倒す様に関節技でリアを封じ込めてくれるロゼに感謝しつつ素早く部屋から脱走してロビーへと向かう。
事前にコランが教えてくれたように、今度やってきたのは女性だった。エメラルド色の髪を短く切った軍人風の女性、見た事のない軍服を着ている辺り、所属はこの国ではなく魔界なのだろう―――何よりも背から生える同じ色の翼が人ならざる種族である事を証明しているのだから。
ちなみに、この世界にも有翼族は存在する。高地に生息する種族なのだが、連中と魔界人の見分け方は少々難しい。まあ、でも簡単に見抜く方法があるとすれば社会性だろうか。
より野蛮なのがウチの世界ので、洗練されてるのが魔界人。
悲しいなぁ……文明レベルもうちょい……いや、今でも急成長してるしなぁ。
そんなこんなで迎えに来た魔族の軍人は俺の前まで来ると綺麗な一礼を取ってくる。
「お迎えに上がりましたエデン様。本日の護衛を担当させて貰うプランシーです、宜しくお願いします」
「宜しくプランシーさん。今日は世話になるね」
「いえ、私も貴女の様な美しい人をエスコートできる栄誉を得ているので」
男装の麗人、とまでは行かないがそれでも格好良いタイプの女性だ。そういう紳士的なポーズはどことなく絵になるモノがあった。とはいえ、それでときめくような感性を持つ俺ではないので、手をひらひらと振る事で対応する。
「本当に頼むぜ。昨晩は何で襲われたのか解らなかったし」
「それに関してはご安心ください。昨晩以降は影より常に護衛した上で犯人の捜索を行っているので。もう貴女が傷つくような事はないでしょう」
「お、おう。そっすか」
目の色からして言っている事は本当なのだろう。おぉ、怖い……とは思う反面、この人たちの俺に対する好感度の高さは割と怖い部分がある。一体俺に何を見ているのだろうか? 利用価値か? まあ、確かに利用価値を見出しでもしない限りはここまでの対応はしないだろうとは思う。
ともあれ。
迎えに来たプランシーにエスコートされてホテルを出る。そのまま表で待っている馬車に騎乗し、王都アルルティアを行く。今日は護衛であるプランシーが一緒に客室に、そして専用の御者がいる形になっていた。此方の御者もどうやら女性の異種族のようだ。というより、俺の周りの人間を女性で固めてくれているらしい。なんともまあ、行き届いた配慮だ。
―――それこそ神経質にさえ感じられる程に。
そこまで気にする事でもないのになぁ、なんて事を考えつつ馬車に乗り、窓際の席へと移動して座る。そのまま視線は窓の外へと。護衛として馬車にいるプランシーとは正直、どんな事を話せば良いのか解らなかった。それ以上にこれから逢いに行くベリアルなる人物がどういう人なのか、何の目的があるのか……そういう事が心配で不安で、気になっていてあまり余裕がないのも事実ではあった。
結局の所、龍がなんなのか。他人から見てどういう価値があるのか。それがはっきりしないのが悪いのだろう。自分に一体どういう価値があるのか、どういう風に扱おうと考えられているのか。それを知らなくてはならないのだ。だってそうだろう? 俺に価値があると思っているからこそこんな厳重な警戒と警備を行っているのだ。
俺自身、ここまで普通の少女のように育てられてきた。
グランヴィル家の人々は優しく、俺を普通のヒトとして扱ってくれた。お蔭で俺も変に擦れる事もなく育ったと思っている。だがそれは、逆に言えば自分がどう特別であるのかというのも良く解らないという事だ。
俺が環境を良くする、と言っても今一ピンとこない。
「エデン様、憂いているご様子ですが」
「ん? あぁ……」
どうしたもんかなぁ、と考えているとプランシーから声がかかった。視線を其方へと向けることなく、窓の外へと向けたまま馬車の外の景色を見て言葉を返す。
「ベリアル氏が何者とか、ちょっと不安で」
「成程、確かにベリアル様の事は何も伝えていませんでしたね」
そう言うプランシーは数秒、言葉を選ぶように目を閉じる。悩ましい、そんな感情がちょっと感じられたので視線を向ける。目を開けたプランシーはそうですね、と呟いた。
「ベリアル様は……とても誠実で、しかし容赦のない方ですが、同時にとても情の深い方です」
「うーん?」
誠実で、容赦はなく、情が深い―――身内には優しく、敵には厳しいという事だろうか? そういう風に並べたらまあ、そこまで珍しい特徴ではないように感じられる。だがプランシーは少し違いますね、と否定する。
「ベリアル様をこれ、と表現する言葉がちょっと見つからないですね。しいて言うなら……真面目、でしょうか?」
「真面目……」
頭の中で眼鏡を装着したイケメンがイメージされる。流石に真面目という印象で眼鏡を装着しだすのは安直か。いや、だが俺に対する対応を考えると真面目って言葉はある意味正しいかもしれない。
いや、でもなあ……。
「詳しい話はベリアル様からなされるでしょうから、私からは何も」
ただ、とプランシーは付け加える。
「あの方をお嫌いにならないでください。ベリアル様は自分の為、そしてみんなの為に出来る最善を取っています。それをどうか……」
「おう」
リアクションにも返答にも困る。だがプランシーは心からベリアルを案じている様に見える―――少なくともコランやプランシーの様な人間を心酔させられる人物である事は解った。
成程、解らん。
やはり会わなきゃ何も解らないわ。それを理解したところで馬車は徐々に速度を落とし、とある建造物の前で止まった。
それはこの王都を散策している時に目撃した建物の一つ―――ギュスターヴ商会の商館だった。商館の前で到着した馬車を見て、プランシーを見て、商館を指さした。
「マ?」
「マ、です」
マジかぁ。
もしや今日、死ぬのでは。




