サマー・バケーション Ⅲ
「―――え、王都に行きたいの? いいわね、それ。私も一度は見に行きたかったし」
燃える様な赤毛を持つ幼馴染にして辺境領主の一人娘、ローゼリア・ヴェイランはあっさりとそう答えた。
「となると一時的にここを空ける必要が出てきますね。準備してきます」
ロゼのあっさりとした言葉に我が家の雑用を一手に担っているメイド、クレアが頷く。そう言えばロゼも辺境の出身者だ、王都というこの国の中心に対してはそれなりに期待や夢みたいなものがあるのかもしれない。しばらくの間この館を空ける為の準備をし始めるクレアの仕事を眺めつつ、俺達はこの夏、王都というこの国最大の都市で過ごす事が決まった。ロゼの素早い返答にリアが目をきらきらと輝かせながらテンションを上げるのが見える。
「王都のブティックとか見て回りたかったのよね!」
「有名店巡り!」
「行列の出来るレストラン!」
「いえーい」
リアとロゼがハイタッチを決めるのを見て溜息を吐くと、クレアが此方へ、と手招きしているのが見えるので王都のどこへと向かうか、という話で盛り上がる2人を置いて離れる。近づいた所でクレアがそれで、と言葉を作る。
「ここをしばらく空けますが、いない間は誰か別の者に管理を任せようかと思うんですが……正直、任せても大丈夫だと思いますか?」
「うん? 動物たちに? 大丈夫じゃないかな……任せても良い?」
足元からやってくるにゃあ、という鳴き声はいつの間にかそこにいた黒猫から返って来たものだ。軽く膝を折って顎を撫でてやると喉をごろごろと鳴らし、それからキリっとした表情を見せてくる。その表情には無論、大丈夫だという意志を強く感じさせるものがある。
「こいつ、ここら辺の縄張りのボスだし任せてれば大丈夫だと思うよ。賢いし。今は番犬もいるし」
戻の外を見ると元はマフィアで運用されていた魔犬達が番犬として配置されている。あれでも結構な戦力になるのだが―――まあ、何故か黒猫には頭が上がらないから、黒猫に任せてれば大体なんとかなる不思議がある。
「賢さとかは別に疑っている訳ではないんですが……いえ、普段から頼っていますし、今回も頼らせて貰いましょう」
折れたようにクレアが黒猫を頼る事にした。黒猫の為にちょっと良い餌を買ってくるかなあ、なんて事を俺も考える。いや、留守番を動物たちに任せて良いのか? って疑問には割と普段から連中に頼ってるし……って事でしか答えられない。そもそもこの館の維持はサンクデル・ヴェイラン伯爵から出ている予算の範囲内でやってくれと言われている。そしてこれはたぶん、ロゼに社会勉強をさせる為のもんでもある。
こっちに来たばかりの当時はこの少人数での維持は大変だなあ、と思ったし実際そうだろう。だから貰った予算の範囲内で人を雇ったりする事を覚える事を期待したのだろう。だがそれはそれ。俺達は動物に作業を任せるという反則を駆使する事で人件費を抹消する事に成功した。いいや、こんな手段で人件費削減できたよ、って手紙で報告したらサンクデルから確認のお手紙貰ったんだがね?
まあ、普段から掃除、洗濯、そしてついにはガーデニングにまで手を出す様になる動物たちだ。ホームセキュリティぐらい任せても大丈夫だろう。寧ろ家主がいない間街の動物を集めてホームパーティーでも開催しないかどうかの方が不安だ。一応、楓辺りに偶に様子を見に来るように頼んでみるか。
「しかし慣れていいのか、悪いのか……辺境に戻ったら動物が働いてない事に違和感を抱きそうなのがなんと言うかもう、怖いですね」
「安心して。グランヴィル家では現役だから」
「辺境のスタンダードになったら嫌ですね……」
ロック郵便始まってるしたぶん辺境の生活も変わってきてるよ。ロック鳥の一家が育ってきたら真面目に高戦闘力の飛行生物が複数空を飛んで高速で郵便物配達するんだから、地上を移動する人間は廃業せざるを得なくなるんじゃないかな。
まあ、何にせよ俺達の王都行きは決まった―――このベリアル閣下が一体誰なのかは解らないが、それはそれとして花の王都へと向かうのだ。興奮しない理由は存在しないだろう。
それから諸々の準備を重ねる。手紙を貰ったら返事を。メールに返答するのは社会人の基本である……無論、スパムメール以外に限るが。なのでまずはベリアルに誘いを受けるという旨を丁寧に返答すると、此方が指定する日に迎えの馬車と宿泊先を用意すると伝えてきた。王都に特にコネらしいコネがある訳でもないので、これはありがたく利用させて貰う事にした。手紙の文面から相手が生真面目で慎重な性格であるのは見て取れたので、罠を張る様な人物ではない事は信用していた。
手配の心配がなくなると今度はちょっとした挨拶回りになる。簡単に言えばしばらくここを空けますよ、という報告である。市長であるワイズマンの他には帰省せずに学園に残った知り合い連中に話を通して、後はジュデッカの連中にも声をかけておく。そうすればいない間に探されるという事もない。後は向こうで過ごす為の荷物を纏めれば準備は完了する。
手紙を貰った日から約10日という期間を経て、こうやって俺達は数か月慣れ親しんだエメロードを一時的に出る事にした。
そして約束の日俺達は馬車の停留所で迎えを待つ事になった。
「しかしエデンがどこぞの貴人である可能性が出てくるって、世も末よね」
馬車が来るのを待つ間、ロゼがそんな事を言う。手紙の件、俺をどうしてもお茶会に招きたいという話に関して、幼馴染であるロゼは俺が龍である事を知らない。その為、同郷である魔族が俺の生まれを知っているかもしれないという形で話を通す事にしたのだ。実際のところ、俺の生まれを知る事はつまり、俺がドラゴンである事を知るという事でもあるのだ。あながち、嘘でもない。そして俺に対して向けられた待遇を見れば貴人だと思われてもしょうがないだろう。
俺が龍である事を知るリアは寧ろそうかなあ、と首を傾げた。
「エデンは昔から博識だったし、どことなく良い生まれのヒトって感じはしてたよ」
「うーん、言いたい事は解るわよ? エデンって足運びに音を立てなかったり、昔から所作に品があるのよね。食べる時とか凄い綺麗だし。そういう所を見ているとやっぱりどっかの貴人なのかもしれないってのは思えるんだけど……」
「だけどー?」
「でもエデンよー?」
「あー。解る」
「それで納得するの止めんか?? お前らは俺を何だと思ってるの? 攻撃は物理的なもののみにしてくれ」
所作や動作がどうしても教育された物のそれ―――というのは基本的な常識やマナーを何年間も日本で学び、育った人間の証だ。誇る様な事でもないが、長年培ったそれはもはや体にしみ込んだ癖でしかない。教育が一般的ではないこの世界において、高度な教育を受けた人間の動き方や話し方というのは非常に解りやすい。そういう意味で俺の所作は目立つらしい。ただそういうのを抜きにして好き勝手してるからなあ……まあ、貴人になんて見えないだろう。
格好も男物がベースだし。
ふりふりの可愛い系とかゴスロリ系とか、嫌いじゃないんだけどやっぱり機能性を取って男物の様なデザインばかりを選んでしまう。角に付けるアクセも基本メタル系ばかりだし。やっぱ可愛いとか綺麗よりもカッコいい系のが馴染みが深いからそっちのが好ましい。いや、でもスカートを手渡されてそれを1日中履けるのはもう相当幼馴染の趣味に毒されてる気がする。
「ですが、それも今回で漸くお披露目という事ですね。私個人としましても、同僚が一体どこの未開拓地出身なのかは気になっていましたので」
「お散歩してたら川で見つけて拾ってきたからなあ、エデンの事」
「散歩してたら道に聖剣が刺さってたレベルの珍事よね」
「くそぅ、くそぅ、ぼろくそ言いやがってこいつらくそぅ……って来た来た」
何時も通りふざけていると馬車が停留所の方にやってくるのが見える。それが一目でこの都市で運営されている組合のものではないとわかるのは、単純にその馬車が他とは違うからだ。サイズは変わらずとも乗り心地を意識したサスペンションに馬車そのものに彫られた装飾、引いている馬でさえ見た事のない特殊な種の様だった。明らかに普段見ている、そしてこれまで見た事のある馬車とは似ても似つかないレベルの高級車だった。車で言うならロールスロイスとか、そういうレベルの馬車がやってきたのだ。その威容に4人揃って黙ってしまった。
黙り込んでいる間にも馬車は俺達を確認するとゆっくりと迎える様に進み、そして目の前で止まる。御者台には金の短髪をオールバックに流した上で帽子を被った、或いは軍人にも近い気配の御者がいた。だが彼がただの御者ではないのはその見た目と、そして何よりも強い魔力の気配を感じれば解ってしまう。彼は決して、人間等という弱い種族ではない。
彼は、魔族だ。
「お待たせしました、お嬢様方」
魔族の青年はそう言うと帽子を取りながら御者台から降りて礼を執る。
「我が王ベリアル様の使い、コランと申します。お嬢様方―――そしてエデン様を丁重に持て成す様に申し付かっております」
感心する程綺麗に礼を執る姿にえー、ととぼけた顔を浮かべてしまうが、横からクレアの肘が脇腹に刺さる事で漸く彼、コランの意識が此方へと向けられている事に察した。あ、そういえば俺が主賓なんだっけ? マジで? 俺何時も添え物の方だったじゃん? 待遇違くない?
「いえ、人違いです……」
「え?」
「こら! 日和るな!」
「気持ちは察しますけど、そこで話をややこしくしないください」
ロゼとクレアから背中を叩かれ、助けを求めてリアへと視線を向ける。だが助けを求めた先でリアはくすりと笑って助けてくれなかった。なので素直に両手を上げて降参のポーズをとる。
「はい、エデンですー。俺の事ですー。ちょっと日和りましたぁー!」
「緊張させてしまった様で、申し訳ありません」
「あ、いや、うん。こっちがネタに逃げたのが悪いから……あー、それよりも馬車、乗って良いのか?」
「えぇ、どうぞ。お手をどうぞ」
「お、おう」
え、なにこれ。なにこれ? 手をどうぞ、と差し出してくるコランを見てから残りの3人へと視線を向けるとにやりと笑っているのが見えた。くそぉ、こういう時だけ敵に回りやがって……でもここで手を出してくれる好意を無視するのもどうかと思うしなあ、なんて考えがある辺り、俺もはっちゃける側には振り切れない。
イケメンに手を貸して貰って馬車に上がる……とはいえ、それを欠片も嬉しくも面白くも思わない辺りが自分の精神性がどういうもんかを証明していた。
ただそれも、馬車に入ると考えが吹っ飛ぶ。
馬車の中に待っていたのは部屋だ。室内。つまり馬車の客室ではなく、家にある様な部屋だ。それだけ広い空間が馬車の中に用意されており、驚きと共にその奥にまで進んでしまった。ソファやベッド、小型冷蔵庫まで置いてある。いや、待って、小型冷蔵庫は流石に世界観的にあかんくないか? そうは思ってしまうものの、ついつい冷蔵庫を開けて中身を確かめてしまう。なんか魔界産っぽい清涼飲料が並んでいるのが見えた……一応、見慣れたコーラみたいなものはなかった。
「うっわ、広ッ!」
「なにこれー! これもしかして館の部屋よりも快適になってない……?」
「このレベルのものは初めて見ました。王室でさえこの様なものはあるかどうか……」
後からやって来たリア達も馬車に乗り込むと驚きの声を隠せなかった。明らかに馬車の中身は空間拡張によって広げられ、まるでホテルの一室を再現したかのようなしつらえをしていたのだから。この馬車に乗っている間、俺達は実質的に移動するホテルを利用しているようなものだから。流石におったまげた以外の言葉もないだろう。だがこれを実現するだけの技術力と余裕が魔族側にあるんだ。そう思うと魔界が文明としてどれだけ優れていたのかが解る。
「それではお嬢様方。ここから王都まではこの馬車で約2日程の旅となります。どうぞ、ごゆっくりとお過ごしください」
「お願いします」
外から確認してくるコランに軽く頷いて頼むと、笑みで返答されて御者台に戻って行く。
改めて、このベリアルなる人物が俺に対して向けている感情やら待遇を鑑みると……言葉には出来ない恐ろしさがあった。
王都についたら、俺、どうなっちゃうの……。
そこはかとない不安を感じつつ、夏休み、王都への旅が始まった。




