アイシャの事情
その時だった。
「ただいま戻りました……って、えぇっ!?」
ドアが開く音と叫ぶ声、そしてどさりと手に持った籠を落とす音が聞こえてくる。
ドアを開けて俺たちを見て呆然としながら立っていたのはミリアだった。
「嘘……アルスさん、私たちがいない間によその女を連れ込んでそんなことをしようとしているなんて!」
「ち、違うんだこれは誤解なんだ!」
咄嗟に俺は叫ぶ。俺は助けを求めて傍らのアイシャを見る。
が、なぜか俺を誘惑しようとしていたはずのアイシャまでこちらを冷たい眼で見つめてくる。
「まさか追放されて早々女を侍らせて優雅な暮らしをしているの?」
「違う! 俺とミリアはそういう関係じゃない!」
「ミリア? もしかして……」
が、俺が咄嗟に叫んだ言葉はさらに藪蛇となってしまった。
アイシャは入口で絶句しているミリアに目をやる。そして気づく。
「……もしかしてあなたはミリア殿下?」
「え、ええと……」
正体を尋ねられてミリアは言いよどむ。この謎の女が正体を打ち明けていい相手なのかそうでないのか判断がつかなかったからなのだろう。
が、アイシャは余計にこちらに鋭い視線を向けてくる。
「確かにミリア殿下は行方不明だったけど、まさかこんなところに囲い込んで下働きをさせているなんて!」
「違う! というかそもそもお前は一体何者だ!?」
実際は事実だけ見ればそこまで間違ってもなかったが、俺は懸命に話題をそらそうとする。
が、間の悪いことにそこへさらにもう一つの足音が近づいて来た。
「戻ったぞ……ってアルス!? おぬしは一体何ということをしているのだ!?」
帰宅したマキナが俺とアイシャの姿を見てさらに絶句する。
「王女殿下だけでなくあんなきれいな子まで囲っているなんて……」
一方、なぜかアイシャまでマキナを見て絶句している。本当に彼女は何をしにきたのだろうか。
「マキナも、これは違うんだ」
「違うも何も、見たままではないのか!」
「いや、多分それが違うと言ってるんだ! というかアイシャ、そろそろ俺に近づいてきた目的を教えてくれ」
俺の言葉にアイシャはしばし真剣な表情で考え込む。そして諦めたようにため息をついた。
「仕方ないわ。王女殿下とこんなにきれいな娘がいたら私なんかの付け焼刃のハニーとラップに引っ掛かる訳がないもの」
ハニートラップ、という言葉を聞いて俺はやっと納得がいく。もっとも、追放された俺を篭絡して何をさせようとしているのかはよく分からないが。
「はにーとらっぷ?」
一方、言葉の意味がよく分かっていなさそうなミリアが訊き返す。
すると先ほどまでの色気はどこへやら、急に冷めた口調になったアイシャが説明を始めた。
「知らないの? 女性が男性を誘惑して近づき、自分の望む目的を達成しようということよ。ていうか殿下もここにいるってことはそうではないの?」
「わ、私は別にそういうのでは……でもそういうのが望まれるなら……」
ミリアは突然変な話題を振られて恥ずかしくなったからか、急に小声になる。
「分かった分かった。じゃあ改めてこんなことをした理由を教えてくれ」
「そこまで言うならここに来たことを話すわ。あなたは色仕掛けよりも泣き落としの方が効果がある気がするし」
「そういうことを仕掛けようとしている本人に言うな」
どうも彼女と話しているとこちらの調子が狂わされてしまう。
一方、ミリアとマキナはアイシャの方を警戒の眼差しで見つめている。
「アルスさん、この人には気を付けた方がいいです」
「そうだ。色仕掛けしてくるやつがまともな訳がない」
二人の視線を受けてアイシャは苦笑した。
「まあそれはそうかもね。でもこの人が泣き落としに引っ掛からないような冷酷な人だったら二人と一緒に暮らしていることはないんじゃない?」
おそらくアイシャは追放されてからの俺のことを詳しくは知らないだろうからその言葉はあてずっぽうなのだろうが、実際ある程度当たっていた。
「……」
アイシャの言葉に二人も思い当たることがあるのか押し黙る。
「では話すわ。実は私はケイン殿下の婚約者だったの。だけど……」
そうか、道理で彼女の名前に聞き覚えがあったはずだ。
そして彼女は婚約者を解放してくれるようエレナに求めに行ったときのことを話す。
「……と言う訳であなたが帰ってきてくれないと殿下の命はない。だから助けて欲しい」
「ちょっと待て。ということは賢者の石は今暴走状態にあるということか!?」
アイシャには申し訳ないが、俺はケイン殿下の話よりも賢者の石の話に気をとられてしまう。俺が急に凄い形相になったこともあってアイシャは動揺した。
「そ、それはそうだけど……作った癖に知らなかったの?」
「細かい検証とかをする前に追い出されたからな。もしかすると魔力を増幅する回路に問題があるのかもしれないな」
王国全体を守るには当然大きな魔力が必要になってくる。そのための魔力を全て供給すると大変なことになってしまうため、与えられた魔力を増幅し効率的に利用できるようにする魔術回路を組んでいたのだが、そこに不備があった、もしくは使っているうちにショートしたことが原因だと思われる。
それで時折結界が点滅していたのか、と俺は納得した。
「そうなんだ。とにかくそれを直して欲しい訳なんだけど」
アイシャの言葉に俺たち三人は顔を見合わせる。
俺たちとしても王国がそのような状況になっているのは痛ましいし、出来ることなら直したいという気持ちもある。しかしだからといって卑怯な手段で俺を追い出したエレナと何事もなかったかのように仲良くすることはなかなか出来ない。
かといって放置してはアイシャが可哀想だし、それにそういう話を抜きにしても魔力がある人々が皆賢者の石の供物になっているのはまずいという考え方もある。
もちろん、石をどうにかしたらエレナがそれらの人をきちんと解放して国政がきちんとした形に戻るかと言われると、そこにはまた疑問がある。
要するに大小さまざまな問題が複雑に絡み合っているせいで、俺たちがどうするのが最善なのかが分からなかった。
「当然だが俺が戻って石を直してもエレナは今の地位を降りるつもりはないんだよな?」
「あなたを連れ帰れば何でもするとは言われたけど、それを飲むような人には見えないけど」
「そうだよなあ」
俺は肩を落とす。王国を助けたいのは山々だが、だからといって助けた国をそのままエレナに引き渡すのは割に合わない。
「いっそのことエレナを倒してはどうだ?」
マキナが魔王の娘らしい乱暴な解決案を言う。もちろんそれが出来るならそれでいいのだが、俺が一対一で勝負しようと言って応じてくれるとも思えない。
とはいえ、その考え方は一つの道筋を示してはくれた。
エレナを倒して石を直す、というのがとりあえずの目標にはなるだろう。
「仮にエレナに不満を持つ貴族とかを集めて王宮に軍を進めたとしてもエレナは賢者の石の供物にしている人たちを皆人質にしているから無傷で倒すのは難しいと思う」
アイシャも実現には否定的だった。
だが、エレナ個人を倒すのであれば軍勢を集める必要はない。
「倒すとしたら俺がエレナと会ったところで襲い掛かるしかないのか」
「アルスさんなら勝てますよ」
ミリアはそう言ってくれるが、それはエレナが俺に対して無警戒だった場合である。俺と会う時は護衛を連れているだろうし、もしかすると魔術的な防護を事前に施してから会うかもしれない。
「大丈夫だ。その際はわらわも助けになろう」
「はい、私も微力ですがお手伝いします」
「いいのか? 正直相手の戦力がどのくらいかは分からないぞ」
そうは言いつつも俺はこの二人が味方してくれるなら、という気持ちが芽生えてくるのを抑えきれなかった。敵は優れた魔術師は皆賢者の石に魔力を吸われているだろう。普通の兵士であれば何人か集まってもミリアや俺の魔法で吹き飛ばすことも出来る。
もちろんエレナがそもそも俺と会ってくれない可能性や俺たちが予期せぬ魔術防護を用意している可能性もあるが。
「よし、分かった。とはいえその作戦を実行するには俺たちの戦力も整えないといけないし、エレナも油断させないといけない。悪いけどアイシャにも手伝ってもらうぞ」
「え……本当にいいの?」
俺の言葉になぜか頼んできたアイシャが呆気に取られている。
「別にこんな面倒なことに首を突っ込まなくてもあなたはここで楽しそうに生きていたみたいなのに?」
「まあな。だが、俺もエレナとは決着がつけられるならどこかでつけたいとは思っていた」
「……ありがとう」
「別にお前のためじゃない」
そうは言いつつも、もしアイシャがやってこなければ俺はわざわざエレナとの決着をつけようと思っただろうか、と少し考えてしまう。これまで石の不具合や、何となく王宮で良くないことが起こっているのは知っていても俺は動かなかった。
とはいえ、動くと決めた以上は絶対に勝たなければならない。
俺はまず、エレナが俺と会うように仕向ける策をうつのだった。




