アイシャ
魔族軍の侵攻を撃退して以来、しばらくの間平和な日々は続いた。王国側の賢者の石の魔力も、時折不安定にはなるものの結界自体は維持されている。クルトが石をどうにかする方法を見つけたのだろうか。そう思うと、ほっとしたような疎ましいような複雑な気持ちになる。
俺たちは動物を育てたり、菜園を育てたりと牧歌的な日々を送っていた。
そんなある日、俺が家の周りの森の中を歩いていると、遠くから「きゃーっ」という悲鳴が聞こえてきた。声から察するに若い女性のものだ。こんなところに来るなんてミリアの時のように何か訳有なのだろうか。
そう思いつつも、俺はとりあえず声のする方へと向かう。
するとそこにいたのはドレス姿の女性で倒れている女性であった。近くには尖った木の枝が落ちており、足からは血が流れている。転んだ拍子に足を怪我してしまったのだろうか。
「大丈夫か?」
「は、はい」
俺が声をかけると彼女はこちらを見て安堵した表情を浮かべる。
が、俺は彼女に近づくにつれて気づいてしまった。彼女が着ている白いドレスは元々丈が短く、しかも胸元が開いているものだが、森の中を歩いたせいであちこちが破れており、ところどころから肌が露出している。特に彼女の大きな胸が襟元からちらちらと見えており、俺は目のやり場に困ってしまう。
とはいえ彼女が傷ついている以上、俺が邪まな思いに囚われてはならない。俺は邪念を振り払って彼女に駆け寄る。間近で見ると彼女は顔もきれいで大人の色香のようなものが漂っている。ミリアやマキナとはまた違うタイプの美人だ。
「大丈夫か?」
「ええ、ちょっと怪我しちゃっただけだから」
そう言って彼女は立ち上がろうとするが、足に力が入らないせいで苦戦している。俺はそれを見て彼女に手を伸ばす。
すると彼女は俺の手を掴んで立ち上がる。が、足を怪我しているせいかそのままよろめいてこちらにしなだれかかってくる。
「あ、ごめん」
気が付くと俺は彼女の体を抱きかかえるような形になっており、その豊満な胸が俺の体に押し付けられる。服越しにも柔らかい感覚が伝わってきて、これまでの人生でこんなことはなかったので俺は興奮するよりも先に困惑してしまう。
とりあえず俺は冷静に彼女の体から離れ、一人で立たせる。
「大丈夫か?」
「ええ」
そう言って彼女は俺の眼をじっと見つめてくる。何というか、距離が近いというか無防備な人物だ。俺が男だというのに全く警戒していないのだろうか。
「こんなところで一体何をしていたんだ?」
「私は元々王宮に仕えていたのですが、エレナ殿下の逆鱗に触れてしまい、国から出て行けと言われてしまったの」
そう言って彼女は俺の方をすがるような目で見つめてくる。確かにエレナであれば自分に歯向かう者には平然と処罰を与えるかもしれない。それで同じく国外追放された俺を探していたということだろうか。
が、俺はその話を聞いて違和感を抱く。
「いくらエレナ殿下でもそうそう他人を国外追放になんてするだろうか?」
むしろそこまで怒っているのであれば処刑にしそうなものであるが。
国外追放というのは相手を国外まで送り届け、さらに国内に入った時に分かるように手配書を出すなど必要なことが多く、面倒な刑罰だったりする。
「実は私、元々名のある貴族家の生まれで」
彼女は意外な理由を語った。言われてみれば着ているドレスはぼろぼろになっているものの、元は高級なものだったように見える。
そしてそう言われて俺は一応納得した。伝統的に、貴族はよほどの大罪でなければ処刑されることはない。
「それで行くあてはあるのか?」
「いえ。この先に国を追放された錬金術師がいると聞いて、彼を頼ろうと」
「それが俺だ」
「えぇ!?」
俺の言葉に彼女は驚いてみせる。それが演技なのか本心なのかは俺にもよく分からなかった。
彼女を今後本当に面倒を見るのかはよく分からないが、何にせよ怪我を治すのであればミリアの手を借りる必要はある。それならば一度家に招く必要はある。
「まあ怪我しているというならいったん来るか? 王宮の話も聞いてみたいしな」
「ありがとう。私はアイシャ」
俺の言葉にアイシャはそう言ってにっこりと笑う。どこかで聞いたことのあるような名前だったが、王宮のことにはあまり関心がなかったたために思い出せない。
「あの、ちょっとこの辺り歩きにくいから腕を借りてもいい?」
「あ、ああ」
俺は何となく頷いてしまったが、すぐに後悔する。
アイシャは俺と腕を組むようにして歩くのだが、その際に胸を俺に体に押し付けるようにしてくるのだ。それが歩くたびに揺れて俺を悩ませる。足が痛むから俺に体重を預けているのだと思うが、ここまでされるとわざとではないかと思えてくるほどだ。
うちに着くまでの辛抱だ、と自分に言い聞かせながら俺は家へ戻るのだった。
俺がアイシャを連れて自宅に帰ると、ミリアとマキナの姿はなかった。今日は俺たちはばらばらに森を探索し、素材になりそうな植物や食べられる動物がいないかなどを探してみる日だったからまだ探索を行っているのだろう。
「治癒魔法が使える人が出払っているから少し待っていてくれ」
俺も素材さえ集めればポーションが作れるのだが、ミリアがいるならなくてもいいやと思って真面目に準備をしていなかった。
「ええ、ということはアルスさんはここで誰かと同居しているの?」
アイシャは意外そうに尋ねる。
言われてみれば、国外追放された人がすでに誰かと同居しているとは誰も思わないだろう。
「まあな。君みたいに色々事情がある人は多いんだ」
俺はそう言って二人の正体をごまかす。もっともミリアは王女である以上、アイシャが見れば正体が分かってしまう可能性は高いが。
「とりあえずこのベッドを使ってくれ」
「ありがとう」
俺は彼女をベッドまで連れていく。アイシャがベッドに入ると俺は離れようとした。
「あ、ちょっと待って」
が、彼女は俺の腕を掴んだまま俺の体を引き寄せる。予期しない彼女の行動に俺は体勢を崩し、そのままベッドのアイシャの上に倒れ込んでしまう。
「な、何するんだ」
「ちょっと私心細いの。しばらく一緒にいてくれないかしら」
彼女は震える目でこちらを見る。
「いや、俺は別に出かけたりしない」
「そういうことじゃなくて」
そう言ってなおも彼女は俺を離そうとしない。
事ここにいたって俺もさすがに違和感を覚えた。確かに国外追放されて心細いとはいえ、初めて会った男に誘うような態度をとるとも思えない。
ということはもしかして彼女は誘っているのか?
しかしどう考えても彼女とは初対面で、面識もない。
最初に考えたのは彼女がサキュバスのような相手を誘惑する魔物ではないかということだった。しかし彼女から魔物のような魔力は感じられない。巧妙に擬態しているのかとも思ったが、そこまでの力があるならこうして話している間に俺を暗殺すればいいはずだ。
……ということを俺はベッドに引きずりこまれながら必死に考える。真面目なことを考えていないと彼女の少し熱っぽい吐息や豊満な胸に意識がいってしまいそうだ。
「なあアイシャ、まだ言ってないだけで何か事情があるんじゃないか?」
「そんなことはない。でも、あなたならいいかなと思って」
台詞だけ見れば完全に誘っているが、俺はその言葉を言う直前にアイシャが一瞬目を伏せたのを見逃さなかった。やはり彼女には何かある。
「何か事情があるなら先に……」
「ねぇ、だめ?」
そんな俺に彼女は熱っぽい口調で言う。その熱い吐息とうるんだ目、そして俺に押し付けられる柔らかい体に俺の理性が飛びそうになる。




