間章 王都の惨劇Ⅱ
それから数日後のことである。
こんこん、と離宮のドアがノックされてエレナはため息をつく。
国は大騒動になっているが、役に立つ人間があまりにも少ない。クルトのように役に立たない人間でもまだ魔力があるだけましだ。大臣のムムーシュは特に有能でもないのに魔力がないから石の供物にぶち込む訳にもいかず、相変わらず大臣を務めている。
魔力が高い者と反抗的な者がいなくなった結果、王宮は無能の集まりになりかけていた。
さらに最悪なのは日頃からエレナに恨みを持っていたり、今回の件とは特に関係なく冷遇されていたりした者たちがここぞとばかりにエレナに文句を言ってきたことだ。面倒になったエレナはそういう人物を見つけると片っ端から牢にぶちこむか、魔力があれば賢者の石の供物部屋にぶちこむことにしている。
まさに恐怖政治であったが、止めることが出来るほどの者が皆石によって魔力を吸われている上、現状エレナのやり方に代わる方法を考えつく者もいなかった。
「誰かしら」
疲れ切ったエレナが問いかける。
「はい、私はアイシャと申します。今日はケイン殿下の件で参りました」
アイシャというのは有力貴族の娘で、エレナの兄にあたる王太子ケインの婚約者でもある。そして王家の血をもっとも濃厚に引き継いでいるケインは優れた魔力を持つため、最初に石の供物にされていた。
どうせそれについて文句を言いに来たのだろうし追い返そうとも思ったが、何度も来られるのは面倒なので適当に理由を付けて牢にぶちこんでしまおうか、とエレナは思い直す。
「入りなさい」
「失礼します」
言葉尻は丁寧だったが、アイシャの眼はエレナへの敵意に満ちていた。
アイシャは王宮ではエレナと並ぶ美貌の持ち主であるという評判が高く、どちらかというと近寄りがたい美しさを持つエレナに対し、アイシャは女の色香があり、スタイルも良い。今も純白のドレスから胸の辺りがしっかりと自己主張をしている。ケインの婚約者に収まったのも色仕掛けのせいではないかという悪評も一部ではたっているほどだった。
もっとも、アイシャ自身はケインを本心から愛しているが。
「エレナ殿下、ケイン殿下を解放してはいただけないでしょうか」
「そうはいかないわ。ケイン殿下の魔力は他の王族とは桁が違う。彼を解放すれば再び石が暴走して大変なことになるわ」
実際のところ、エレナの本心は本来この状況で一番発言力があるから黙らせたということだったが。
するとエレナは悲痛な表情を浮かべ、あろうことか宿敵であるはずのエレナに頭を下げる。
「お願いします、私に出来ることでしたら何でもします。ですから殿下を解放してください!」
「ふーん、何でもねぇ」
そう言いつつエレナはアイシャを見つめる。魔力を持たないアイシャは石の供物には向かないが、同性であるエレナから見ても彼女の体は魅力的に見える。特に頭を下げたからこそ緩い胸元からのぞく大きな胸はエレナも触ってみたいと思ってしまうほどだった。
「そこまで言うなら考えてあげてもいいわ」
そう言ってエレナは彼女に近づいて胸に腕を伸ばす。エレナにしてみれば彼女に恥辱を与えようというぐらいの軽い気持ちだったが、アイシャにとっては待ち望んだ瞬間だった。
「女狐め、覚悟!」
突然エレナは胸元からナイフを取り出すと目にも留まらぬ速さでエレナに向かって突き出す。エレナは驚いたが、あまりに一瞬のことに回避も間に合わない。アイシャのナイフはまっすぐにエレナの首筋に迫り、そして。
カン、と音がして目に見えない壁に防がれる。
「う、そ……」
それを見てアイシャは呆然とした表情になる。
「ふざけるな!」
すぐに護衛の兵士が殺到してアイシャの腕を抑え、床に組み伏せる。非力なアイシャは屈強な護衛たちによって瞬く間に腕をねじり上げられて床に組み敷かれた。
それを見てエレナはつまらなさそうに言う。
「うーん、あなたは一大決心でやったのかもしれないけど、同じようなことをしてくる奴はすでに三人ぐらいいたから私からすると今更って感じなんだよね。だから常に自分には防御魔法をかけてるって訳」
「な、何だと……」
それを聞いてアイシャは愕然とする。失敗したこともそうだが、すでに三人から刺されそうなほどの恨みをかっているというのに平然としているエレナの本性に対してもだ。
「殿下、こやつをいかがいたしましょう」
兵士がエレナに向かって問いかける。
それを聞いてエレナは首をかしげる。
「どうしよう。特に使い道もないし、腹いせに慰み者にしてもいいけど……そうだ、あなたさっき何でもするって言ったね」
「そんなの聞く訳ないでしょ!?」
アイシャは嫌悪感を露にするが、エレナにとっては自分から言うことを聞いてくれるか、強引に聞かせるかの二択でしかない。
「この前手違いで追い出しちゃったアルスっていう錬金術師が国境のすぐ外に住んでいるらしいからどんな手段でもいいから連れ戻してきなさい。別に本人が望むなら金も名誉もクルトの首も何でも差し出すわ」
「そ、そんなこと出来る訳ない!」
そもそもお前が元凶じゃないか、と思うアイシャだったがさすがに言葉には出せない。
拒否しようとするアイシャにエレナは切り札を切った。
「もし失敗したらケイン殿下は亡き者になるから」
「そ、そんな」
この女はやると言ったら本当にやりかねない。その思いがアイシャを絶望へと突き落とした。しかも今更どれだけ金をつんだところで、アルスがのこのこ戻ってくるとは思えない。
そんなアイシャにエレナは気のない声で言う。
「無理そうなら、殿下と同じように彼もたぶらかせてきたらいいんじゃない?」
「わ、私と殿下はそういうのじゃ!」
「はいはい、手段は何でもいいからそういうことで頑張ってね」
そう言われてしまえばアイシャにはもはや選択は残っていなかった。エレナの言うことは信用出来なかったが、アルスを連れ戻して賢者の石がどうにかなれば少なくとも魔力を供物にする必要はなくなるはずだからケインは解放される。そう考えたアイシャは唇をかみしめながら頷いた。
「……分かりました」




