マキナと日常
翌朝、あんなことはあったものの俺たちは普通に食卓を囲んでいた。
自分の前に並べられたパンとスープを見てマキナは目を丸くする。
「人間の社会では毎朝こうして温かいご飯が出てくるのか!?」
それを聞いて今度はミリアが驚いた。
「むしろ魔族たちは朝食をどうしてるんですか?」
「上級魔族は下級が持ってきた肉とかを食っている。下級魔族はその辺の動物を狩ってそのまま食べているな」
「よくそんなところで暮らしていましたね」
料理好きなミリアからすると信じられない世界だろう。いや、俺から見ても十分信じられないが。とはいえ現在の我が家の光景も十分に信じられないものだ。
平凡な一軒家の内装なのに、王女のミリアだけでなく黒のゴシックドレスに身を包んでいるお嬢様のような風貌のミリアがいると違和感がすごい。もし魔族がちょっかいをかけてこなければ、マキナも来たことだし家をもう少し立派にしたい、と俺は思う。
「そう言えば、昨日以来どうもわらわは魔王の力の一部に目覚めたようなのだ」
食事をしながらおもむろにマキナが言う。
「もしかして、あれが意図的に制御できるのか?」
「多分だが、今のわらわがまた全身であの形態になるとおそらく暴走してしまう。だが、身体の一部であれば大丈夫そうなのだ」
そう言ってマキナは袖をまくると、突然右腕だけを変異させてみせる。その様子はまるで俺が前に倒した四天王ガウゼルのようでもあった。上位の魔族は皆そういうことが出来るのだろうか。
「ちなみにマキナはどんなことが得意なんだ?」
「そうだな、戦いで言えば魔法よりは剣の方が得意だったな。だからこの力があってもここで暮らすのには役に立たないかもしれぬ」
とはいえ、ミリアの力が異常なだけで普通はそうそう都合よく生活の役に立つ力を持っている訳ではない。
「一応、今日は外に出てどんな力が使えるか確認してみるか? 今後も魔族たちがちょっかいをかけてこないとは言い切れないからな」
「ではよろしく頼む」
今回はどうにか防いだが、マキナが魔王の娘であればまた誰かが連れ去りにくるかもしれない。その時にマキナが暴走せずに身を守れるようになっておいた方がいいだろう。そんな訳で、俺たちは朝食を食べ終えると家の外に出た。
色々あったものの、家の前では俺とミリアが作った家庭菜園が順調に、そして恐るべきスピードで育っている。これのおかげで毎日新鮮な野菜を食べられているのだが、そろそろ肉も食べたいと思いつつ俺は土に魔力を注ぐ。肉はラザルが持ってきてくれた物資の中に入っていた干し肉ばかりで、普通の肉はなかなか食べることが出来ない。
「もしやこの菜園はおぬしが作ったのか?」
「俺が、というよりは俺とミリアでだな」
「そうか、幼いころは人間の村で暮らしていたが、ここまで育っている菜園は見たことない」
マキナは目を丸くして菜園を見渡す。そう言えば彼女がここに来てからはずっとベッドで寝ているばかりで外に出るのは初めてだった。
が、そんな時だった。突然森の中からがさがさという音がしたかと思うと、数匹のゴブリンが菜園に向かってやってくる。この前の戦いで敗走したゴブリンが食糧を求めてやってきたのだろうか。
「よし、俺が蹴散らしてくる」
「いや、少し待ってくれないか?」
マキナは俺を制すると、ゴブリンたちの方を見てじっと集中する。するとゴブリンたちは畑に足を踏み入れる直前でぱたりと足を止めた。そして急にきびすを返して去っていく。
その様子はまるで誰かに命令されているかのようであった。
「こ、これは……」
「あれは……どういうことだ?」
俺たちがびっくりしている中、一人マキナだけが何かに納得したように頷いている。
「あのゴブリンたちを見てから、わらわは何となく命令できるような気がしたのだ。そこで試しに脳内で出ていけと念じてみたら彼らは出ていった」
「それは前から出来たのか?」
「いや、魔王軍にいた時はそんな力はなかった。おそらく昨日のあれが原因だと思う」
元々マキナには魔王の力が遺伝していたが、覚醒していなかったのだろう。それが憤怒をきっかけに覚醒し、力の一部が使えるようになったという訳か。
「おそらくだが、今のわらわであれば下級魔族だけでなく動物にも命令できるような気がする」
「そうなのか?」
「ああ……」
そう言ってマキナが目をつぶる。とはいえ近くに動物がいるようには見えず、俺は何が起こるのか少しどきどきする。森に隠れている小動物が反応するのか、それとも他の何かがあるのか。
待つこと十数分、俺たちの元へ一頭の牛が何かに導かれるようにしてやってくる。そしてようやくマキナは目を開いた。
「何だこの牛は。近くにいたのか?」
「いや……おそらく大分離れたところにいた。だが、相手が動物で、かつ無理のない命令であれば操ることは可能そうだ。逆に相手が魔族で、自分のために戦わせるというような命令だと相当近くでないと難しい気がする」
なるほど。一般的に魔法は術者から近ければ近いほど効果が大きい。
今回は何となくこっちに来させる、という動物にとってあまり抵抗のない命令だったからこそ言うことを聞かせられたのだろう。
「すごい力だな」
基本的に他人の精神に干渉する魔法は難度が高い。これは魔法とは違う種類の力のような気もするが、何にせよすごい。
「わあ、久しぶりに牛を見ました」
そこへ家の外に出てきたミリアが牛の姿を見て驚きの声をあげる。
「ああ、どうもマキナの力を使えば集められるみたいだ」
「なるほど! すごいです、牛がいれば牛乳料理や肉料理も作れますよ!」
そんな牛を見て眼をきらきらさせるミリア。
「言われてみれば俺も新鮮な肉料理が食べたかったんだ」
「そうだな、わらわもやはり野菜より肉の方が好きだ。せっかく来てもらったところ悪いが……」
そう言ってマキナは牛の方へ歩いていくと、鉤爪を振るう。マキナの攻撃になすすべもなく牛はその場に倒れた。さすがは一部とはいえ魔王の力だ。
「任せてくれ、これでも動物の解体は慣れている」
そう言ってマキナはその場で牛を解体する。魔族は狩った獲物をその場で食べていると言っていたが、この様子を見ると本当だったらしい。しかしドレスを纏ったマキナが返り血を浴びながら牛を捌いているというのはなかなかにすごい光景だ。
「というかマキナは魔族軍の中で偉い立場じゃなかったのか?」
「うむ。ただ、魔族軍は完全に実力主義でな。最初はわらわも大して強くなかったから、下級魔族と同じところからスタートしたのだ」
そういうところは世襲の王族や貴族と、彼らにコネがある人々だけで世界が回っている人間社会よりも風通しはいいのかもしれない。
そんなことを言っている間にマキナはいくつかの肉を切り終える。ミリアはミリアでそれを受け取ると、台所に持っていき、料理する分と保存する分に分ける。
「でも牛一頭分の肉なんて一日じゃ食べきれないぞ」
三人いれば食べきることは出来るかもしれないが、さすがにもったいない気がする。
「ご安心ください……ウンディーネ」
ミリアは精霊を呼び出すと、肉をしまった箱の中に一緒に精霊を詰める。
「これで大丈夫なはずです」
「精霊ってそんな使い方して大丈夫なのか?」
「はい、後でウンディーネ用にもお料理を作っておくので」
何でもないことのように言うが、相変わらずミリアの気配りはすさまじかった。普通の人、というか上級精霊術師でもなかなか真似出来ることではないだろう。
「とはいえ、今はお肉を焼く方が先ですね。それっ」
そう言ってミリアは軽く下処理をして塩を振り、フライパンで肉を焼き始める。最近久しく聞いていなかったじゅうじゅうという肉の焼ける音が聞こえて来て、一、二時間ほど前に朝食を食べたばかりだというのに早くも俺はお腹が空いてくる。
ぐぅ~
音がした方を見ると、そこではマキナが顔を赤くしていた。
「こ、こっちを見るな。魔族たちはろくに調理しないで肉を食べるからちゃんと焼いているだけでおいしそうなのだ」
「はい、出来ました。ちゃんとした料理は夕飯の時にするとして、とりあえずこれはただのステーキです」
そう言ってミリアは熱々のフライパンから三つのステーキを食卓によそってくれる。
見た感じ油と塩胡椒しか振られてないが、それでも目の前に置かれているステーキはのどから手が出るほどおいしそうだった。
「「いただきます」」
俺とマキナは競うようにフォークとナイフを手に取る。ナイフを入れると、切ったところからじゅわっと肉汁が溢れ出す。口の中に入れると肉が溶けていくようだった。
「うまい……」
「こんなものを食べてしまったらもう魔族には戻れぬ」
「それは良かったです。では私も……これはなかなか」
焼いてくれたミリア本人も一口口に入れて目を丸くする。こうしてしばらくの間俺たちは無言でフォークとスプーンを動かすのだった。
こうして俺たちは新たな同居人を加えて再び穏やかな生活をする……と思っていた。




