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マキナⅢ

「お前がマキナをほだそうとした元凶のようだな」


 俺が歩いていくと、家の前にいた魔族、シュトーゲンはゆっくりとこちらを振り返る。

 間に合ってよかった、本当に危ないところだった。


「アルスさん」「アルス」


 俺を見た二人が同時に安堵の表情に変わり、逆にシュトーゲンは露骨に顔をしかめている。


「お前がこいつを助けた人間か? 全く、魔族の娘と友達ごっことは趣味が悪いな。大体、お前も人間が醜い存在であるということは身をもって知っているだろう? 元宮廷錬金術師よ」

「そうだな」


 どうやらシュトーゲンは俺のことを知ってくれているらしい。俺が頷くとシュトーゲンはここぞとばかりに畳みかける。


「だったら彼女は魔族側にいた方が幸せだと思わないか? 優れた者の足を引っ張ろうとする人間と違って魔族は力ある者を崇めるという習性がある。彼女も我らと一緒にいた方が幸せだと思うが。それに我らもあえてお前を襲うことはない。人間を滅ぼすとは言ってもお前たち二人ぐらいは残しておいてやってもいい」


 シュトーゲンはもっともらしいことを言う。彼の提案にマキナが苦悶の表情を浮かべるのが見えた。それだけ聞くと確かにそうかもしれないが、しかしこいつの言うことには一つ重要な欺瞞がある。


「まあいい、結局のところ最後に判断するのはマキナだからな。だが、判断をするのであれば元になる事実を知っておくべきではないか?」

「……何が言いたい」


 俺の言葉にシュトーゲンは顔をしかめる。


「マキナの過去話、何かおかしいと思わないか? 普段群れを作って生活しているゴブリンがたまたま一体だけ人間の領域に紛れ込んでいたこと。そしてこれまで人間と同じように暮らしていたマキナの姿が急に変異したこと。そこからの村人の豹変は、不自然だが元から憎しみを募らせていたならありえないとは言えないかもしれないな」

「どういうことだ」


 シュトーゲンが苛ついたように尋ねる。

 そこで俺が疑問を元に調べてきたことを話してやる。


「俺はマキナが住んでいた村にいってそこの人に話を聞いてきた。ほとんどの人が口を閉ざしたが、一人魔物に詳しい男がいて教えてくれた。あのゴブリンはただのゴブリンではなく、特に魔力が高い種類であったと。当然そういう個体は部下を従えて生活しており、普通一体でのこのこやってくる訳はない」

「そんなことはない! それはそいつの勘違いだしお前の言っていることは全て妄想だ!」


 俺の言葉にシュトーゲンは声を荒げる。

 俺も数年前の目撃証言と状況証拠しかないため確証はなかったが、シュトーゲンの反応でかえって本当に正しかったと確信した。


「まあ最後まで聞いてくれ。さらにそいつの証言によると、村には普段いない男が一人紛れていて、騒ぎが起こった時にそいつがマキナのことをしきりに『魔王の血が覚醒した! 殺さないと村が皆殺しにされる!』と煽り立てたらしい。当然騒動後にそいつはいなくなっていた」

「……」


「要するにこういうことだ。元々マキナは平和に暮らしていたが、ある時それを魔王が見つけてしまった。気まぐれなのか手駒が欲しかったのかは知らないが、魔王はマキナに人間を憎ませるために知能の高いゴブリンに命令して、マキナ覚醒のための犠牲にさせたという訳だ。ただのゴブリンではなく強い個体だったからこそマキナの力は覚醒したんだろうな。後はそのマキナを見た村人の憎しみを煽るだけでいい」

「違う! それはただのこいつの妄想だ!」


 シュトーゲンは叫んだが、ぽっと現れたこいつと俺の言葉では二人がどちらを信じるかは分かり切っている。


 俺の言葉を聞き終えたマキナは燃え盛るような怒りをシュトーゲンに向けた。



「貴様……魔族がそのようなことをしていたと知って仲間づらをしてわらわを迎えにきたというのか!? 結局人間をクズ呼ばわりしておきながら魔族の方が酷いではないか!」



 そう叫ぶなりマキナの体から溢れんばかりの魔力が放出されていく。そして彼女の頭上には禍々しい角がはえ、身体を鱗が多い、背には翼が、手には鉤爪が、口から牙が生えてくる。その姿はもはや人間というよりはただの化物となっていた。

 それを見て最初は恐怖していたシュトーゲンも、やがて狂ったような笑いを浮かべる。


「ふはははははははは! すばらしい! 所詮人間の血が混ざった出来損ないと思っていましたが、まさかここまでの覚醒を見せてくれるとは! 予定とは違いましたがもういいでしょう! その姿ではもはや人間として暮らすことは無理! 我らとともに来る他な……」


「うるさい」


 が、シュトーゲンの言葉の途中でマキナはぞっとするような冷たい声を発した。

 そして。


「ぐわぁっ」


 マキナがすっと腕を振るうと、彼女の鋭利な鉤爪によりシュトーゲンの体はあっという間に真っ二つになってしまう。あまりに一瞬すぎる一撃に、上半身と下半身に分かれたたシュトーゲンは至福の笑みを浮かべたまま絶命していた。


 その様子にはさすがの俺とミリアも目を見張った。

 シュトーゲンもこのような重大任務を帯びてきた以上それなりの上位魔族だとは思うのだが、それをこうもあっさり倒してしまうとは。


 が、問題は全く解決していなかった。


「うわあああああああああああああああああああああ! かくなる上は人類も魔物も皆滅ぼしてくれるわ!」


 人間だけでなく魔族に対する絶望も生まれたマキナは、突如魔王の血に覚醒したこともあってか、完全に理性を失っていた。

 そしてぎろりと、傍らで恐怖のあまり足がすくんでいるミリアを睨みつける。


「手始めにお前だ!」

「やめろマキナ!」


 俺は必死に二人の間に割って入る。マキナは目にも留まらぬ速さで鉤爪を振り降ろす。ミリアをかばうことに必死で回避の余裕はない。


 死んだか、と思ったときだった。


 カキン、という音とともに防御魔法が展開されて鉤爪が止まる。


「い、今のうちにマキナを助けてください!」


 防御魔法を使ってくれたのは後ろにいるミリアのようだった。が、すぐに防御魔法には亀裂が入っていく。わずかではあるがミリアが作ってくれた時間は無駄には出来ない。

 俺は考える間もなくマキナに駆け寄ると、その体に抱き着いた。


「やめろマキナ! 他の奴らはともかく、俺たちは殺し合いなんてする必要ないだろ!? それにマキナだって出来るなら本当はそんなことしたくないはずだ!」

「うるさい!」


 そう言ってマキナの鉤爪がこちらに向かってくる。


 が、攻撃は間一髪で俺の横を通り過ぎていった。死が自分のすぐ横を通り過ぎていき、俺は全身が寒気に襲われる。

 俺はそんなマキナに必死で叫ぶ。


「頼む、正気に戻ってくれ。ここでこのまま呑まれたらお前は自分のことまで許せなくなるぞ!」

「……はっ」


 そこでようやくマキナがはっと我に返る。そして自分の姿と抱き着く俺、そして脅えるミリアを見て自分が何をしていたのかを理解したのだろう、悲し気な表情に変わった。


「わらわは……何ということを」


 そして突然、マキナの変身が解けて元に戻り、そのまま彼女はその場に倒れた。


「う……ここは……」


 それから数時間後。再び俺の家のベッドに寝かされていたマキナが目をこすりながら上体を起こす。それを見て俺とミリアはほっとした。起き上がったのも嬉しかったが、あの時の我を忘れたマキナではなく、いつものマキナに見えたからだ。


「大丈夫か?」

「ああ、わらわは何ともないが……は」


 そこでマキナは魔王化していた時のことを思い出したのか、愕然とした表情になる。


「わらわは何ということをしてしまったのだろう。アルス、ミリア、怪我はないか?」

「大丈夫だ、俺たちには傷一つついていない」


 マキナを安心させるためにそう言うが、彼女の表情は晴れない。

 あの時の記憶は彼女の中にはっきりと残っているのだろう。


「そうか……だが危うく取り返しのつかないところになるところだった」


 そう言ってマキナは肩を落とす。

 新事実が明らかになったとはいえ、当初は俺たちを殺そうとしていたマキナが今では危害を加えそうになったことを反省しているというのは大きな進展だった。

 マキナはしばし落ち込んでいたが、やがて大きく息を吸うと決心したように言う。


「命を助けてもらい、幼いころの事件の謎も解き明かされたというのにわらわは逆におぬしを傷つけようとしてしまった。だからわらわにもここで恩返しをさせてもらえないだろうか」

「あ、ああ」


 マキナは人間の社会に戻すことも出来ないし、かといって放っておけばまた魔族に絡まれる可能性もある。そのため俺はどの道マキナをしばらくはうちに置いておこうと思っていたが、マキナの方からそれを申し出てくるとは。


「ミリアも、それでも問題ないだろうか?」


 なぜかマキナはミリアに対して遠慮がちに尋ねる。


「大丈夫です。でも、だからといって譲るつもりはありませんので」

「わ、わらわは別にそういうのではない!」


 ミリアの言葉になぜかマキナは真っ赤になって狼狽する。二人の間では通じているようだが俺には何のことだか分からない。


「おい、何の話だ?」

「こ、こればかりは乙女の秘密です! アルスさんにも言えません」


 珍しくミリアははっきりと否定する。


「そうだ。おぬしは気にせずいつも通りにしていればよい」


 二人にそう言われてしまっては釈然としないが、俺としてはこれ以上突っ込むことも出来ない。


「ではマキナさんの快気祝いをしましょうか。実は、今日はカレーを用意していたんです」


 ミリアが言った瞬間、ぐぅ~、とマキナのお腹が鳴る。こうして俺たちは再び日常へ戻っていくのであった。


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