間章 王都にてⅠ
「何? ミリア殿下が戻って来た? 思いのほか早かったな」
ミリアが戻って来たという報告を受けてコールは少し驚いた。彼女が王都を出てから約二十日ほど。そこそこの時間が経っていたが、エレナからは「戻ってこられる訳がない」と聞いていたので意外だった。それとも石の解析に失敗したと音をあげるのだろうか。
とはいえ、この二十日ほどでエレナ一派はおおむね王宮内への根回しを終えた。現国王ガンドⅢ世は少し前から病床におり、政務をとれない。代わりに国政を動かしている大臣のムムーシュは己の栄達と引き換えにエレナと手を結ぶことを確約。王太子ケインは今年で十三歳になるが、若年のためエレナを止めることは出来なかった。
そして王宮内の要職にはエレナに味方しそうな貴族を配置。もはやミリアが戻って来たところで大した影響はないだろう。
コールは部下を引き連れて、ミリアが住んでいた森の離宮に向かう。離宮とは言いつつも母の生まれが低いミリアには小さな家が一軒与えられただけで、彼女は実質放置されて育っていた。いい加減アルスの件をつつくのはやめて大人しくしていればいいのに、とコールは思う。
コールが離宮の前に着くと、ドアが開いてミリアが出迎えた。
「ミリア殿下、お帰りなさいませ。ご苦労でございます」
そう言ってコールは慇懃に頭を下げる。
「精霊石の問題は解決しました。お渡ししますので、元のように厳重に保管しておいてください」
ミリアは石が入った小箱を差し出す。解決したと聞いてコールは驚いたが、石がどのようなものかはエレナに聞いていないので案外この王女はすごいんだな、と思っただけだった。
コールがちらっと中身を確認すると、渡した時はきらきらと輝いていた石は鈍く暗い光を発していた。正直コールに魔法の知識は全くないので、それが何を意味するのかは全く分からなかった。
とはいえ、下手な小細工で誤魔化そうとしてもエレナであればすぐに見抜くだろう、とコールは思い直す。
「ありがとうございます。殿下のおかげで王国の平和は守られました。長旅お疲れ様でした、ゆっくりお休みなさいませ」
「そうですね、結構疲れたのでしばらくお休みをいただきたいです」
コールが相変わらず慇懃に頭を下げると、ミリアは少し疲れた表情で答えた。
その答えにコールは少しほっとする。この雰囲気ならこれ以上アルスの件をつついてくる気はないだろう。もっとも、休みをいただくも何もエレナはミリアに王族としての職務を割り振ることはほぼないだろうが。
「もちろんでございます、私からエレナ殿下に申し上げておきましょう」
「ありがとうございます」
自分から王宮の外へフェードアウトしてくれたようで手間が省けた、とコールはほくそ笑みながら離宮を後にした。
そして石の入った小箱を持ってエレナの元に向かおうとする。が、途中で使用人がこちらに歩いて来るのが見えた。
「ご主人様、ムムーシュ大臣から領地特産のいい酒が入ったので酒宴を催すとのお知らせでございます」
「何!? それは是非とも参加させていただかなければ」
国王の病気がこのまま治らなければ当面の権力者はムムーシュになるだろう。エレナは第一王女であるが、基本的に表で政治を動かすのはムムーシュである。コールとしてはムムーシュとも仲良くなっておきたかった。
ムムーシュは大臣であるため王宮内の敷地内に執務室を兼ねた屋敷をもらっている。アルスの追放が起こってからはエレナ派の貴族たちを集めて毎晩のように酒宴を繰り返していた。
もっとも、この酒宴は遊び惚けているというよりは自分と仲のいい貴族を増やすため、という私欲のためという側面が強い。
コールが屋敷に向かうと、すでに顔を赤くした貴族たちが大勢酒を飲んでいた。
「おお、コールではないか。遅かったな」
そんなコールを見て声をかけてきたのは四十ほどの着飾った少し小太りの男だった。彼が酒宴の主であるムムーシュである。
「ムムーシュ様、本日はお招きいただきありがとうございます」
「うむ、そなたもエレナ殿下のために頑張っていると聞いてねぎらってやらねばと思ってな。今宵は存分に飲むと良いぞ」
最近のムムーシュはいつもこのような感じで、国政よりも自派閥の貴族のねぎらいに精を出している。
「はい、ありがとうございます」
「時にミリア殿下の方はいかがであったかな?」
「すっかり政争に関わる気持ちはなくなったようにございます」
「そうか。面倒な奴らが沈黙し、これで大分快適になったな。これからは我らでたくさんいい思いをしようではないか」
「はい、殿下ともども一生ついていきます」
コールが頭を下げるとムムーシュは満足げな笑みを浮かべた。
その後コールは他の貴族たちに挨拶をしつつ酒を飲むのだった。
「ふぅ、今宵は少し飲み過ぎてしまったな」
ずっと気になっていたミリアの一件が片付いたことに安堵したコールはついつい羽目を外し過ぎてしまった。
ふと、もしミリアから精霊石を回収した場合はすぐにエレナの元に返すよう言われていたことを思い出す。しかし今のコールは完全にただの酔っ払いだ。とても王女の前に姿を現せる状態ではない。
「まあ自室に鍵をかけて厳重に保管しておけば大丈夫だろう。明日朝いちばんに持っていけば問題あるまい」
そして自室に戻ると倒れるように寝込んでしまった。
「うっ……苦しい」
翌朝目を覚ましたコールは頭が割れるように痛むのを感じた。さらに全身から嫌な汗が噴き出し、悪寒が走る。布団を被っているはずなのに震えが止まらない。一体何の病気だ、と考えようとしたが頭痛がひどすぎて思考もままならない。
「う、薬……」
そう言ってコールは布団から出て立ち上がろうとする。が、足を床についても力が入らない。そのままバランスを崩して頭から床にたたきつけられる。
「ぐあっ!」
目がくらむような痛みとともにコールは気を失った。
「コールのやつ、遅いわね」
一方、エレナは自室にて執務をしながらコールがいつまでたっても出仕しないことをいぶかしんでいた。
有能な人物ではないが他人のご機嫌とりだけでのし上がったコールは、基本的にエレナの不興をかうようなことはしたことがないので珍しいことだ。
仕方なく彼女は他の家来に問いかける。
「コールが昨日何していたか知る者はいない?」
「そうですね、確か帰還したミリア殿下から精霊石を受け取り、その後ムムーシュ大臣の酒宴に参加したと聞いておりますが」
「何だって!?」
家来の一人が何気なく答えると、ガタッと椅子を蹴ってエレナは立ち上がる。その表情には焦燥が滲んでいた。
あの石は宝物庫から見つけた呪いの魔力が込められた石だ。膨大な魔力を持つミリアはともかく、コールのような一般人が呪いに耐えられるとは思えない。
「あいつ、石を受け取ったらすぐに渡しなさいとあれほど言っておいたのに酒にうつつを抜かしやがって……」
そう言ってエレナは急いでコールの部屋へと向かう。
突然のエレナの豹変に部下たちは慌てた。
「い、一体どちらに行かれるのですか!?」
「コールの部屋に決まっているでしょう。ついでに兵士を呼んで彼の部屋には誰も入れないようにしなさい!」
「は、はい」
エレナの言葉の意味が全く分からないながらも家臣たちは言われるがままにする。
「間に合うといいけど……」
エレナは到着するなりドアを開ける。そして中の光景を見て嘆息した。
部屋の真ん中で倒れたコールは白目をむいて息絶え、全身は闇の魔力に侵食されて黒ずんでいる。精霊石、もとい闇呪石の影響であることは石を渡したエレナにはすぐに分かった。
さらに部屋の隅の引き出しから闇の魔力が漏れ出ているのにエレナは気づく。そして引き出しの鍵を破壊して石を回収した。
「ミリアの呪殺に失敗したばかりかこんなことになるなんて」
エレナは小さく舌打ちする。彼女にとってはコールの死よりも、この状況が露見するリスクの方が嫌であった。第一王女の家臣が呪いにより死んでいたことが分かれば大騒ぎになり、最悪自分がミリアを呪殺しようとしていたことが露見する。やむなくエレナは証拠を全部隠滅することにした。
「ファイア」
エレナは部屋の隅にある暖炉に火をつける。
宮中で起こった火事騒ぎとコールの死はエレナによる情報統制により大事件に発展することはなかった。そしてこの事件に紛れるようにミリアは再び王宮から姿を消したが、誰もそれを気に掛ける者はいなかった。




