33.時の歪み、そして正史(4)
「……っ、しまった……!」
レンヴァントの空色の目が見開かれる。
あまりの情報量にすっかり忘れていたけれど、私たちはここにやってきた状況を思い出した。時を巻き戻そうとした彼女を止めるために、魔法を使った。
そのとき私は確かに彼女の腕を掴んでいたはずだったのに。
「あいつに関してはだいじょうぶ」
そういったのは、先ほどまで動かなくなっていたシャンプー。
「僕が目印をつけておいた。それにここは"神の目”だ」
「神の目?」
「そう。言葉通りの意味だよ。神がすべてを見通すための部屋。だから、その気になれば、あいつがどこにいたって調べられる。そうしたら捕まえればいいんだ。すぐにそばに行けるから」
「じゃあ、すぐに行きましょう」
レンヴァントが言うと、シャンプーはふるふると首を振った。まるまるとした体がともに揺れる。
「いや、神の目に入れたなんて幸運中の幸運だ。僕たちには情報が足りない。ここで補う必要がある」
「ここで?」
「君たちも気づいているんじゃない?」
「──もしかして、知りたいことを"検索”できるのですか?」
私の言葉にシャンプーが頷いた。
「そう。僕たちはあいつによって時を巻き戻されている。それから、交換したというのも気になる。ここで、きちんと何があったのかを把握してから先へ進むべきだ」
レンヴァントと私は顔を見合わせて、互いに頷いた。
「そうだな。僕たちの失われた歴史を正史と定義しよう。"Сеарчх”」
シャンプーが言うと、画面がひときわ明るく輝き、私たちの前に大きく広がった──。
「……ここは?」
レンヴァントの兄王子、オスカーが不安げにあたりを見回している。そこは病院。生まれたばかりの赤子が取り上げられたところだ。
「──ひっ」
『大丈夫、あれは人間の赤子だ。生まれたてはあのような色をしている』
黒猫がオスカーをなだめる。
『オスカー、あれが今代の落ち姫だ。ごらん。父母に愛されている。我々はあの子を、ベチルバードのために拐かすのだ』
「……」
場面が切り変わる。オスカーは、落ち姫フレージュビリーの成長していく様子を眺めている。
『なんだ? おまえが干渉することはできぬぞ?』
「──わかっている。でも、俺はあの子を助けたいんじゃない。あの子にいじめられている子を助けたいんだ」
フレージュビリー、いや、山田苺は苛烈な少女だった。
気に入らない者がいれば徹底的に排除する。そしてそれは大人には知られぬように。他の者に媚び、あるいは同情をひいて味方にする。
何人もの人生を狂わせた。
「あれが聖女だと? 悪女の間違いではないのか」
『……』
黒猫は答えない。
『あれが"落ち姫"なのだ』
しかし、そんなオスカーでも、彼女に同情する出来事が起こった。両親が事故で亡くなったのだ。
彼女は蒼白な顔で泣いていた。
苺を引き取るものはおらず、彼女は施設に入った。
「あれは……」
「千風さんが過ごしていた場所だね」
そこでも苺は問題ばかり起こしている。
しかし、職員たちは"良い目”を持っていた。家庭環境に問題があって入所する子どもたちやその親と出会うことも多いからだろうか、苺の演技に騙されなかったのだ。
彼らは苺の起こす問題に対処すべく、奔走することになる。思うように振る舞えず、苺はどんどんストレスを溜め込む。
そしてそれは過食に繋がっていった。
「──ああ、あの子……」
その姿を見て、私はようやく記憶が繋がった。
髪の色も、顔立ちも、体型も。すべてが違っていたから気がつかなかった。同じ施設にいた少女で間違いなかった。
「千風さんだ……」
苺の視線の先に自らが映り、どきりとした。彼女は憎々しげに"私”を眺めている。職員たちとも、年下の子どもたちとも打ち解けているところを。テストの結果を見せているところを。
やがて高校を卒業した苺は、施設から出ていくことになる。寮のある職場を紹介されて。そこから彼女は自らの容姿を磨き、髪を染め、色付きのコンタクトレンズをつけて、別人のように生まれ変わった。
職場は早々に辞めた。働かなくても生きていけたから。
ある日、男性と腕を組んで歩いていた苺は、有名大学の前を通りかかる。そして、自分と同じ施設にいた"私”と靖人が腕を組んで歩いているのを見つける。
「なんであいつだけ……」
ぽつりと漏れた声には、怨嗟がこもっていた。
『おい、オスカー。ようやく時間だ。二朔の日が近づいている。あいつを連れて戻るぞ』
黒猫が言った。
「……」
長い月日、苺に付き合ってきたオスカーは無感情になっていた。そんな彼を気の毒そうに眺めながら、黒猫は空中にしっぽを叩きつけるように跳ぶ。そこに虹色の穴があく。
「──え? なに?」
苺が目を見開く。そうして彼女は、この世界から消えた。




