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加護を手繰る時限令嬢  作者: 羽蓉
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「ノヴァーリス公爵、カルネヴァル侯爵、両名及びその系譜に連なる者が、このシエール=カルネヴァルに対し、直接関わるもしくはその者の為になるよう動くことを禁じる。但しその期間はシエール=カルネヴァルが成人するまで。加護を発現した場合はその場で終了とする。」


   ・

   ・

   ・


「(いつの間にか、少しずつ…私の持つ意識が薄れていたのかもしれない。)」


シエールは自室の窓から、晴天の中薄暗い影を落とす景色をぼんやりと眺めていた。


カルネヴァル侯爵別棟の自室から見える景色は、本邸の中庭に見られる初夏の彩りとは正反対だった。


細く黒くそびえ立つ木々の隙間を埋める様に、低く霧が立ち込めるその場所は…足を踏み入れる者を拒む森の入り口のようだ。

陽が届かず視界が効かない足元は、霧によってぬかるみ、留まる者の動きを奪う。

そして明度を抑え湿度を含んだ苔と、人の手に触れたことのない尖った石が重苦しい雰囲気を漂わせる。


「(まるで社交界そのものね…。)」


細く黒くそびえ立つ木々…身を寄せ木の葉を揺らして囁く様は、貴族の姿そのものだ。

その表情は黒くて見えず、近くにいる者でも本当の姿を見ることはない。

そしてその足元で周囲の境界を崩すように漂っている霧は、貴族の胸中なのだろう。

苔のように陰鬱な視線で見つめ、尖った石のように触れる者を拒む。

じわり…またじわりと、シエールの動きを奪ってゆくのだろう。


シエールは小さく溜息をつき、窓の枠に手をつきながら椅子から立ち上がった。

見下ろす景色へ向かって、言葉を告げる。


「…私は、そちらへは行かない。」


自分を偽り続け、虚栄を纏い、人の不幸を囁く。

シエールを拒絶する景色へ別れを告げると、自分の気持ちをはっきりと知ることができた。


部屋の内側へと戻り、ソファまで近づき居室内を眺める。

清潔に保たれ、調度品なども良い物を置いてはいるが…やはり石の壁は冷たく、日差しの入らない部屋は常に重い影を落としていた。

赤く腫らした重い瞼を凝らし、目を細めて、自分では掴むことの出来ない何かを探していた。


頭では理解していても、気持ちの中では違う一面を願っていたことは確かだ。

多くを望まなければ、皆と同じ生活が送れるのではないか。

貴族たちの嘲りや蔑みさえやり過ごすことができれば、穏やかに生きて行けるのではないか。


人に認められ、同調し、友人を作ることもできた。

自分に課せられた誓約を忘れたわけではない…ただ、普通という環境に憧れていたのだ。


大事にしたいと思える人達と、小さな幸せを噛みしめ穏やかに過ごしたい。

これは過ぎたる望みだったのだろうか?


   ・

   ・

   ・


シエールはどうしても、リューンの噂をそのままにしておくことはできないと考えていた。


この先、リューンはますます綺麗になるだろう。

喜ばしい事だ。

世間から揶揄されているシエールにも優しく接してくれる、自慢の姉だと思っている。


しかしその輝く容姿も、貴重な種類の加護も、リューンを放っておいてはくれないだろう。

五忠侯であるカルネヴァル侯爵家で侍女をしているとはいえ、身分は平民のままだ。

シエールに何かがあった場合、リューンもただではいられないだろう。


加護を目的とした、誘拐や監禁。

それともその美しさならば、娼館へ売り飛ばすことも、どこかの貴族の愛人として取引の材料となるかもしれない。


その昔、孤児院の院長が言っていた通り…信頼できる、それも高位な貴族の庇護下に入る。

もしくはリューンが慕う貴族と、婚姻を結ぶことが一番安全なはずだ。

そして貴族との婚姻は、障害が多い。

未婚の女性ならば、清廉である方が好ましい。

悪い噂はない方がいいに決まっているし、噂次第ではその後の社交界にも影響してくる。


それなのに。


シエールが起こした行動は、悪手としか言えなかった。

幼い頃から軽くあしらっているつもりでいた、ヴォルビリスに…あのようにやり込められるとは。


あれから噂は更に良くない方へと広がっているだろう。

あの場でヴォルビリスから噂を否定する言葉が引き出せなかった以上、周囲はこのように考えているに違いない。


ヴォルビリスとリューンの関係に気がついた、時限令嬢…カルネヴァル侯爵令嬢は興奮した様子でアヴァンセまで乗り込んできた。

そして怯えるリューンの前でヴォルビリスは、毅然とした様子で侯爵令嬢の態度と言葉を窘めた。

悔しさに震える侯爵令嬢は、言い返すことも出来ずにすごすごと帰って行ったのだと。


「…半分位は、当たっているのかもね。」


自分が愚かなことが、こんなにも悔しいとは思わなかった。

あの日から睡眠をとることすらできず、ずっと考え続けていた。

目を閉じるとあの日のヴォルビリスが、シエールに語り掛けてくるのだ。


シエールは、奥歯を食いしばり力を込めて瞼を閉じる。

すでに目の奥は熱く重い。

自分はどんなに酷い顔をしているのだろうと、自嘲しようと思ったときに再びヴォルビリスの姿が脳裏に浮かぶ。


『お前は俺の事を、何か勘違いしているんじゃないか?』


シエールの正面に立ち、ヴォルビリスの幻はそう問うてきた。


『何故俺が、お前の願いを聞かねばならない?』


さらに一人増え、シエールの隣で見下すように口元を釣り上げる。


『…良ければ我が伯爵家で、リューンを待遇よく迎えてやろう。』


更にまた一人増え、可笑しくてたまらないという表情でシエールを嘲笑う。


『また会おう、婚約者殿!』


最後に現れたヴォルビリスの幻は、シエールを楽しいおもちゃかのよう突き飛ばし、すべての幻たちは高い声でシエールを囲み笑い続けていた。

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