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フュテュール・ジヴロンの放課後、アヴァンセクラスの棟に続く廊下でその会話は行われていた。
令嬢らくしゆったりとした足取りで進むシエールの後ろから、焦った様子で追うヴェジュ。
その行動は突発的なものだった。
「本当に…本当に行かれるのですか?」
「ええ、その通りよ。」
振り向くこともなく姿勢よく進むシエールの揺るがない返事に、困惑をするヴェジュ。
あれから多くの噂を耳にし、訂正できるところはその場で訂正をしてきたが…埒が明かない。
おおよその者は、シエールの言葉が耳に入っていないようだ。
それもそうだろう…噂の渦中にいるものが、穏便に済ませようと真相を話したとしても、より話題性のある方が浸潤しやすい。
シエールには気軽に話せる者も少なく、エタンセルやヴェジュに頼んだとしても、次の日には新しい情報が追加され更に大きく広まるのだ。
その喜劇の舞台は、アヴァンセクラス…そして主役はヴォルビリス。
シエールは噂の根であるヴォルビリスと、対峙することを決めたのだった。
「シエール様っ!」
アヴァンセクラスの棟へと入ると、制服の形が違う二人はとても目立つ。
一つ先の角を曲がる頃には、話を聞きつけたリューンがシエールの元へと駆け付けていた。
「どう…されたのです?アヴァンセに突然来られるなど、私の事を心配されているのでしたら…。」
シエールの侍女であるリューンは、自分がミリュークラスへ赴くことがあってもその逆はないと思っているようだった。
リューンを一瞥してもなお、シエールは足を止めることはない。
「リューン。」
「はい。」
「彼はどこ?」
「…っ!」
不安が的中したかのように、リューンは軽く息を飲む。
リューンが嫌がることは想像していた…それでもシエールは行動せずにはいられなかった。
「シエール様。私の事でそのように感情的になられているのであれば、深く謝罪させていただきます。ですがシエール様がヴォルビリス様へ問いただすようなものではないのです。何か考えがあるのであれば、どうか私に命じてください。」
困惑したままシエールについてきたヴェジュよりも、リューンの方が必死であった。
アヴァンセクラスはミリュークラスと違い、目前に貴族としての世界が広がっている。
すでに爵位を継いでいる者もいれば、貴族同志の人脈も繋いでいたりする。
こんな場所でシエールを好奇の目に晒したくはない…その想いがリューンを突き動かしていた。
「リューン…大丈夫、感情的になってなどいないわ。ただ噂の元凶を立たねば、だめだと思ったのよ。」
リューンは悔し気に、下を向いた。
シエールが言っていることは…正しい。
しかし噂は噂、真実ではない…ひたすら沈黙を守り、いつか人々の記憶の底へと沈むのを待つことができれば、曖昧なものとして風化していくだろう。
そうしているうちに、シエールはゆっくりと足を止めた。
どちらに行くのか、迷っているのかとリューンは顔を上げ前方へ目をむけるとそこには、女生徒たちと移動をしているヴォルビリスがいた。
シエールは、再びヴォルビリスの元まで歩き出す。
「お久しぶりです、ヴォルビリス様。」
婚約者であるヴォルビリスに向かい、ゆったりと気品を持って挨拶をするシエール。
それに対してヴォルビリスは、嫌な者をみるような表情を取り繕うそぶりも見せずに顔に浮かべた。
「婚約者殿か…突然、何の用だ?予告もなく訪ねて来るなど、はしたないと思わないのか?」
「あら…婚約者を訪ねることの、どこがはしたないのか教えていただきたいですわ?それで…そちらの寄り添ってらっしゃる方は、ご紹介いただけないので?」
シエールの言葉を受け自分の姿をすっかり忘れていた令嬢は、慌ててヴォルビリスに絡めていた腕を離そうとした。
しかしヴォルビリスはその令嬢を抱いていた手を離さず、もう一度引き寄せたかと思うと、愛おしそうに指で頬をそっと撫で放した。
「婚約者殿が知る必要はないよ。…それで、なんの用でここまで来たんだ?」
「ええ。こちらの学年で…ありもしない噂が流れているとかで、確認をしに参りましたの。」
シエールはこちらの感情を読まれまいと、澄ました表情で答えた。
しかしヴォルビリスは確実に思い当たることがあるようだ…シエールが不快になるよう、口元を持ち上げ笑いを堪えているようだった。
「噂?…さあ、どの噂か。私に関わることなのかな?」
自分には心当たりがないとばかりに、核心を反らして話を続ける。
その時黙っていられないと、ヴェジュが声を上げた。
「私が…シエール様へと、お伝えいたしました。」
シエールの後ろから、頭を下げヴェジュが一歩前へと出てきた。
年齢が若くミリュークラスであること、そして男爵令嬢であることがヴェジュの行動を縛る。
この場所には多分…ヴェジュよりも爵位の高い令嬢がたくさんいるのだろう。
「嘘っ、パンタードじゃない!なんで彼女がこんなところに?」
「このような者に関わり、悪評を流されてはたまりませんわ。」
ヴォルビリスの周囲にいた女生徒たちが、一斉にヴェジュに向けて蔑みの声を上げる。
小さな囁きは、やがて数を集め、その場を包む熱となった。
その集まった声達は、シエールやヴォルビリスを置き去りにしたまま…しばらくの間、反響し続け止むことはなかった。




