060
エートゥルフォイユという国は、比較的に年間を通して雨の多い国だ。
雨の隙間から日差しが覗くといった、胸の踊るような風景は少なく…どちらかというと頭上に逃れることのできない暗雲が今日も広がっていると表現することが正しいといった風景が日常だった。
その為、一般的に栽培して咲く花は多くはない。
色が鮮やかで大きな花は高級品で、他国から持ち込んだものを魔石の力を借りて管理し栽培している。
市場に出回る数も少なく、ほとんどが高位貴族の邸へとおさめられている。
国民の花への憧れは強い…そして、花に例えられるということは最大の賛辞である。
今目の前にいる頬を赤く腫らした義妹、プリムヴェールも周囲に囁かれる一人だった。
――― 「桃桜の妖精」。
甘い色の髪の毛をふわりと靡かせ、弾けるほどの笑顔を浮かべる…人の心を惑わせる小さき妖精。
それがプリムヴェールを愛らしく飾り立てる、二つ名だ。
その「桃桜の妖精」である義妹…プリムヴェールが目を細め睨みつけている。
・
・
・
ふと肩の力を抜き、つまらない者をみるように息を吐くと、プリムヴェールはシエールに対してあまり興味がないように語り掛ける。
「お姉様がどう足掻き、この侯爵家を手中に収めようとしたところで…次期侯爵はもう決まっているの。今は形式的に年上のお姉様を立ててはいるけど…成人すると同時にお姉様はこの侯爵家を出されるわ。王陛下のご不興を買わない様、市井に出すそうよ?カルネヴァル侯爵を継ぐ私がヴォルビリス様と婚姻を結んで、爵位を継承する。お姉様はそれまでお父様のお情けでこの邸にいるの。ちゃんと聞き分けてちょうだい?」
年月が立つほどに、プリムヴェールの表情や仕草はディアンジュと似てくる。
ただひとつ違うのは、その背後に隠し切れない計略が見えることだった。
視線をはずさずにシエールは、プリムヴェールの言い分をしっかりと聞き取っていた。
推測するに、プリムヴェールは昔からこのように言い聞かせられ育ってきたのだろう。
的外れの内容を、さも当然のように話すプリムヴェールを可哀そうだとは思わない…ただただ周囲を見ることを教わらず、自分の都合に合わせた物事の見方をするその性格が哀れだと思った。
「そう…貴女はそう教わって育ったのね?」
投げやりに話を躱そうとするプリムヴェールに対し、シエールはそう一言告げた。
「どういう意味かしら?まさかお姉様は本当に自分が侯爵家を継ぐつもりでいるの?」
堪えきれないとばかりに、プリムヴェールは手で押し殺しながら笑い続けた。
「ヴォルビリス様に、相手にもされていないというのに!…お姉様は御存じかしら?実はお姉様の方が、お父様の実子ではないという噂まであるのだけど。引き籠ってばかりで理解できないかもしれないけど、貴族の社会はね…噂ひとつで、その存在を消されることもあるのよ。」
じっとみつめるシエールを他所に、プリムヴェールは笑い続けた。
「…はあ。」
シエールはプリムヴェールにわかるように溜息をついた。
そのシエールの余裕が気に入らないプリムヴェールは、すぐに笑うことをやめ、視線を流すようにシエールの次の言葉を伺う。
「これをご覧なさい。」
テーブルに投げ出された手紙の用紙を、プリムヴェールは怪訝そうに見つめていた。
興味はあるが、手に取るには抵抗があるようだ。
シエールの後ろにいたリジアンが動き、手紙をプリムヴェールへ手渡す。
少し嫌そうに手紙を手にしたプリムヴェールは、中身へと目を通す。
「…これは?」
「そう、それはバルカロール侯爵夫人から届いた茶会への招待状よ。」
プリムヴェールは手紙より顔を上げ、再びシエールに対してきつい視線を向ける。
「…お母様宛じゃない!まさかお母様の手紙を漁ったの?下品な真似をするのね…ただで済むと思っているの!」
「今はそのことを話しているのではないわ。でもまあ、知りたいのなら…この手紙はお父様の指示で探させた手紙よ。疑うならこちらがそのお父様からの手紙。」
ぱさっ、と渇いた音が再びテーブルへと落ちる。
そこにはカルネヴァル侯爵しか扱えない、封蝋がほどこしてある手紙があった。
実際にはその手紙はシエール宛ではなく、リジアン宛ではあったのだが…。
鼻を鳴らし眉間に皺を寄せ、プリムヴェールはバルカロール侯爵夫人からの手紙を読み続けた。
・
・
・
「たしかにここに書かれている事を考えれば、お母様の配慮が足りないように見えるけど…それだけだわ。今の様な仕打ちを受けるほどではないもの!」
プリムヴェールは、手紙を読んだ後もシエールに対する不遜な態度を変えなかった。
「そうね、それだけであったらここまでの事にはならないでしょう。」
シエールが同意したことに対し、プリムヴェールは好機とみて言葉を重ねるづける。
「…みとめましたね!やはりお姉様が、お母様を陥れたんだわ!」
今度こそ興奮に立ち上がり、テーブルを挟んだシエールへと寄っていく。
「いえ、原因は貴女よ…プリムヴェール。」
視線だけを上げ、真っすぐにプリムヴェールを射抜く。
口元だけ笑ったままのプリムヴェールだけが、その場で時間が止まったように動かなくなっていた。




