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教員である二人…ヴァーグとアスフォデルは、この後学園に戻り謝罪の状況を学園上層部へ報告をすることになっていると言う。
その報告で今日行った流れを話すのであれば、こちらから早めに動いた方がいいというリジアンの助言も考慮して、シエールとリジアンは一緒に学園へと向かうことにした。
最終的にはリジアンは匿名者として扱われることになるが、この訪問はヴィリディ伯爵として名乗ることになる。
「少しだけ…身支度の時間をいただけますかな?」
そう言うと、綺麗に執事としての礼を取りリジアンは客間を退出していった。
今回はリューンは邸へ残ることになるので、待っている間にと紅茶を淹れなおしてくれている。
教員の二人は、どうやって学園の上層を説得するか…知恵を出し合っていた。
学園へ戻れば、シエールは大勢の中にいる一人の生徒でしかない。
上層への説明や実証、その他の事はこの二人とリジアンへ任せるほか方法はなかった。
自分の仕事は終わったのだと、シエールはゆっくりと紅茶を待つことにした。
視界に入る、短くなった髪の毛を避けようと視線を上げた時、こちらを伺う視線とぶつかる…その相手はグルドゥだった。
「…さっきのこと…。」
シエールはまた加護のことについてなにか質問があるのかと、興味を持って次の言葉を待っていた。
少し口ごもり、言いにくそうにグルドゥは切り出した。
「その…だいぶ前に話した、婚約のことなのだが…。」
シエールはすっかり失念していたことに気がつき、この話が今まで忘れられていたことに申し訳なさを感じた。
それと同時に、戸惑いを覚える。
「あの…グルドゥ様は、私の事情をご存じなのでしょう?でしたら、私に既に婚約者がいることも御存じなのでは…。」
バルカロール侯爵家の子息が自分だけの判断で、婚約を申し込むわけがない。
それも同じ系譜であるならばまだしも、他の系譜の侯爵令嬢だ…相手の背景を綿密に調べているに違いなかった。
「知っている、アヴァンセにいるハイルヘルン伯爵子息だろう?白鳥がなんとか…とかいう二つ名を持っている。」
とたんに、シエールから表情が消えていった。
自分のことでもないのに、すごく恥ずかしい事を言われている気がした。
「いや、すまない。シエール嬢の婚約者を侮辱しているわけではないんだ…ただそういう二つ名だと偶然覚えていて。」
グルドゥが焦れば焦るほどに、シエールは恥ずかしさが込み上げる。
シエールの婚約者ヴォルビリスは成人まであと数年というのに、未だ周囲の御令嬢達に『陽光の中の白鳥』と呼ばれていた。
だが…シエールは知っている。
容姿だけは整っており、魅了される者も多いのだが…中身が伴わない。
学問は苦手ですぐに放り投げるし、剣術は剣に振り回され足運びがまるでできない程だ。
何故シエールと同じ、国立フテュール・ジヴロンへ入学できたのかが、不思議でしょうがない。
「シエール嬢がどうしてもと言うのであれば、諦めもするが…もし考える余地があるのであれば、私との婚約を考えてもらえないだろうか?たしかにきっかけは今回のことで互いの評判を落とさないという目的もあるが、話してみてとても楽しかった。本の趣味も合う。青の系譜に事情があるのはわかっているが、私は赤の系譜だ…干渉を咎められる立場にはない。ここに来る前に父上とブリランテ公爵夫人へ話をして納得をしてもらったつもりだ。何より貴女は…。」
自分の想いを次々と並べていくグルドゥに、シエールは途中で遮った。
グルドゥは本気でシエールへと謝罪をする…償いをするつもりでシエールを婚約者にと言っているのだ。
シエールは少しだけ目を伏せ、記憶を辿る。
いつでもすぐに思い浮かべることができる、あの光景…煙った建物の影で母ロヴェリアが波のように髪を揺らして、馬車の下敷きになっている。
あの日の痛み、あの日の匂い、肌に刺さる風の冷たささえ忘れることができない。
シエールは、じっとグルドゥを見つめた。
視線に気がついたグルドゥは、シエールの表情から言葉を止め耳を傾ける。
「…私には、目的があります。今はまだ道の途中で、なんの力も持ちませんが…いつか成してみせようと思っております。それまでは現状を…それがどんなに酷く苦しいものでも甘んじて受けようと思っております。」
はっきりとしたことは、言えない。
だが言葉を選び、大切な事を伝えようとする意志を乗せて…シエールはグルドゥへと告げていた。
そして少しだけ困った笑顔をのぞかせて続ける。
「なにより、私のこの婚約は王命なのです。」
伝わっただろうか…謝罪として、色々と考えを巡らせてくれたグルドゥの気持ちは嬉しかった。
ただシエールは、自分の決めた道から外れたくはなかった。
系譜から離れ、新たな居場所でグルドゥの背中に隠れ護られて生きる…それはとても穏やかなのかもしれない。
しかしその道の先に、シエールの望むものはないのだ。
「…ひとつだけ、教えてほしい。」
グルドゥの言葉に、シエールは紅茶を受け取る手を止めた。
「彼は…ハイルヘルン伯爵子息は、貴女の想い人では…。」
「それは、ありえません。」
シエールはグルドゥの問いに、言葉が終わる前にきっぱりと答えた。
もしかすると、今日の会話の中で一番早い返答だったかもしれない。
返事をした後から、どんどんとシエールから表情が消えてゆく。
はじめは驚いていたグルドゥも、だんだんと理解ができたのだろう。
シエールの行動を、微笑ましいものであるかのように目を細めていた。
「それは良かった。」
グルドゥの返事を聞き、二人は少しだけ心の距離を縮めて待ち時間の間中、紅茶を楽しんだ。




