033
大きな河川の流水のように、教室の中の時間はゆっくりと穏やかに流れる。
先程あったヴェロニクによる行動が、河川の途中に突如できた激流ならば…すでにその原因は流れ去り、また穏やかな水の流れにと戻るのだった。
生徒達のほとんどは、教壇の近くへと移動して談笑を続けている…もうすぐ訪れるであろう担任教師を、歓迎するためだ。
今後の自分の立ち位置を決める力のある大人…フロワヴィフクラスを受け持つ教師に良い印象を持ってもらいたい。
それぞれの生徒達は貴族としてはまだ幼い、しかしほとんどの者が貴族としての考え方を学んでいる。
いかに自分が相手に信頼を寄せているか、自分が相手にとって有益な人物であるかをアピールすることが肝心なのだ。
シエールは教室の後方から目の前に広がる、貴族世界の縮図であろう光景をを眺めていた。
そうしていると隣ですっと動く人影が、視界に入る。
女子生徒が一人隣の席へ座ると、シエールに向かって姿勢を正し胸へと手を当てて頭を下げる。
先程の騒ぎを見ていないはずがない…それなのに、あえてシエールの隣に座るとは…よほどの要件があるのか…それとも好奇心からなのか。
「お初にお目にかかります、シエール様。よろしければ発言をお許しいただきたく存じます。」
丁寧にシエールに対し、許可を求めてくる女子生徒。
その様子には少しの余裕を感じさせる、動作は硬質だが綺麗な所作だ。
名前を把握していること、爵位に相応しい礼を尽くしていることを考えて、シエールが何者であるかを理解した上だと判断する。
普通の貴族の令嬢は先程のヴェロニクのように、単独で動くことはほとんどない。
目に入るのは真っすぐで綺麗なブラウンの髪の毛…シエールは一人で考え行動できる女子生徒に少し興味を持った。
「許可は必要ないわ。」
そう言い終わると同時に跳ね上がるように、顔を上げる。
きらきらとした大きな青い瞳と、丁寧な細工が施された眼鏡をかけた女子生徒と視線が合う。
「申し遅れました。私、ユニヴェール商会の娘エタンセルと申します。一介の商人の娘で至らない点もございますが、以後お見知りおきくださいませ。」
そう名乗り終わるとエタンセルは、満面の笑みを浮かべた。
貴族の間では決して見ることのない、微笑み方だった。
「シエール様は、商人の娘に話し掛けられるのはご不快でしょうか?」
今度は次にシエールから返ってくる言葉が否定的なものなのではないかと、少し悲しそうな表情へと変わる。
見るたびに感情がわかりやすく、ころころと変わっていく。
貴族の含みのある言い回しや、裏表のある行動よりも好感が持てる…シエールはエタンセルと少し話してみようという気になった。
「そんなことはないわ。そんなにかしこまった話し方をしなくても大丈夫よ?ただ…どういった目的で私に声をかけたのかはわからないけど、侯爵家と近づきたいのなら私に話しかけても意味はないわ。」
シエールが少し申し訳なさそうに、エタンセルに答える。
商人という人種の考え方は単純であると聞いたことがある…『利益につながる』かそれ以外か。
現在のシエールは侯爵令嬢でありながら、貴族の世界では不幸の象徴である…そんなシエールと話しをしたところで、利益はないだろう。
シエールの返事を聞いたエタンセルは、表情を大きく崩し身体の力を抜く。
大きく息を吐くと、何故かにこにことシエールまでの距離を詰めてきた。
「そんな目的なんてないですよ?ご存じかもしれませんが、私の家のユニヴェール商会が主に使う商品は、魔石なんです。魔石商ユニヴェール…聞いたことはございませんか?」
シエールは、更に申し訳なさそうに返事をする。
「…ごめんなさい。」
知識として魔石を主に取り扱っている業者がいることは知っている。
ただその商人や商会の名前までは知らなかった。
「うーん、ご存じありませんか…困ったな。では改めて申し上げますが、私魔石商の娘なんです。さまざまな商売があるの中とりわけ魔石商は、貴族の方から敬遠されるんです。需要はあります、重宝していただいてもおります。ですが…なんでしょう、人間性としてこの国の貴族の方は魔石商がお嫌いなんですよねぇ?」
エタンセルの話によれば、たいていの貴族はエタンセルが魔石商の娘だとわかると、蔑み敬遠するらしい。
「魔石はなくてはならない、生活の一部よ。どうしてそんなことになるのか…理解できないわ。」
エタンセルはシエールの返事に、泣き出しそうな笑顔で見つめながら詳細を教えてくれた。
「この国の特徴なんでしょうね。この国には魔法がなく、魔石の販売は主に他国からの輸入に頼っています。魔物や魔獣から獲れないこともないんですけど、獲れたものを凝縮したり精密度を調整したりの技術はこの国では無理なんです。この国には加護という素晴らしい恩恵があり、その力に皆が誇りを持っています。しかしそれでは生活は豊かにならない。そんな葛藤を商売にする魔石商は『加護よりも魔法や魔石に魅了された者、エートゥルフォイユの恩恵を軽視している者』として蔑みの対象なのです。」
自分の事情を語りながら照れ笑いを浮かべるエタンセルに、シエールは身の内に静かに怒りを感じていた。
魔石の能力はふんだんに使っておきながら、自分たちの誇りを保つためにそれを販売する者を蔑む…それもまた、理不尽だと思う。
「貴女の家族は、この国を豊かにするために大事なお仕事をされていると思う。貴女が負い目を感じる必要なんかないはずよ?貴族の視線なんて、気に留める必要はないわ。」
ヴェールに隠れたシエールの瞳は、怒りに満ちていた。
そんな風に他者を貶める貴族たちに呆れ果て、淡々と口から言葉が零れ落ちていく。
エタンセルはシエールがたくさんしゃべる姿を見て、ぽかんとした表情を浮かべていた。
だんだんと頬に赤みが差し瞳を大きく輝かせる、そしてシエールとの距離がじりじりと近づいていた。
気がつけば拳ひとつあけた程度の真隣まで迫っている。
「シエール様って…いえ、私シエール様とお友達になりたいです。」
できればお友達としてお近づきになれればと、お声をおかけしました…などと頬を紅潮させて言い放つエタンセルに、今度はシエールが言葉をなくしてエタンセルの顔をじっと見つめるのだった。




