032
教室という名前の箱の中に放たれた少年と少女たちは、目の引く方向へと集まる習性があるかのように数個のグループを作っていた。
エトワールという話題性の強い話に惹かれる者や、顔見知り同士で寄り添う者…そして同じ年齢ながらに貴族という階級意識を強く刻み込む者。
シエールはぼんやりと、周囲から入ってくる情報に耳を傾けていた。
やはり人が集まると、それだけで会話が広がっていく。
「(私は学園へは頻繁に通うつもりがないのだから、今得られる情報は貴重ね…。)」
そんなことを考えているシエールの元へ、数人の令嬢と思われる人物が近づいてくる。
今年度この学園に入ること、そして目元をヴェールで隠している事で、シエールだということは認識しているはずだ。
何故…不幸の象徴として名前が通っているシエールの元へわざわざ訪れるのか?
シエールは目元を隠すヴェールの奥から、その令嬢達を垣間見る。
「シエール様、ですわよね?」
自分から名乗りもせずに、高圧的に声をかけてくる。
そうなるとカルネヴァルよりも、高位かもしくは同等の貴族ということになる。
事前にリジアンに頼んで入学する三十二人の詳細を調べてもらっていたが、そのどれにも彼女たちの風貌は当てはまらなかった。
そうなると目的が絞られてくる、シエールを知らないもしくはシエールを貶めて、自己満足に浸る…ディアンジュが良く使う手管だ。
前者はありえないので、後者の理由に違いない。
大きな騒ぎにしたくないシエールは、返事をせず相手にしないことにした。
令嬢を引き連れていた女子生徒は、焦った様子で続けてシエールに話し掛けた。
「私は紫の系譜、デルアットル伯爵が娘ヴェロニクですわ。是非シエール様を私達のお茶会にお誘いしたいと思いまして。」
シエールは少しだけ顔に角度をつけ、名乗ったヴェロニクを視界に留める。
豊かなダークブロンドの髪の毛を緩やかに巻き、濃い青に紫を混ぜた瞳を輝かせて、少し大きめな声で話す。
自信に溢れた表情、上から見下ろす視線…どれをとっても友好的には感じられない。
彼女の口調は、初めて会ったときのトレミエを彷彿させた。
紫の系譜…それもカルネヴァル侯爵家よりも爵位が劣る伯爵家の令嬢。
学園特有の親しさなのか、それとも礼儀を知らない者なのか。
なによりこの女子生徒は、シエールの事を…王陛下の処罰と呼ばれる出来事を知らないのだろうか?
青の系譜や紫の系譜がシエールに関わることは、禁止されているはずなのに。
「お誘いは嬉しいのだけど、辞めておいた方がいいと思うわ。」
様々な疑問を抱えながら、シエールは身体の向きを変えて、丁寧に断りを入れる。
「あらっ?だから…ですのよ?私達…紫に連なる者が困るのは貴女に有利なことをした時だけ。ですから貴女を身内や仲間だと思っていない私達には何の咎もございませんもの。」
くすくすと笑い声が、ヴェロニクと名乗る令嬢の後ろから聞こえてくる。
そうか…この人達は理解した上でシエールを馬鹿にしているのだ。
生きていくため、カルネヴァル侯爵家では大人しく過ごしている…しかし学園で、それも他人に我慢をするつもりはない。
シエールは効果的に相手にダメージを与える方法を考えていたが、途中でやめてしまった。
やはり初日に目立つことは避けたかった。
そんなシエールが戸惑っている、もしくは怯えているのだと捉えたヴェロニクは自分がいかに優位にいるかを語った。
「以前ディアンジュ様が我が伯爵家のお茶会にいらしていただいた時に、シエール様はもう二つの系譜に見捨てられた存在だとおっしゃっていましたわ。これからの紫の系譜はディアンジュ様やプリムヴェール様が率いていくはず。だからこの学園で貴女に大きな顔をさせるわけにはいかないのよ。言うことを聞くのであれば、私達の一番後ろにでも入れてあげないこともないのですけれどっ。」
最後の方は興奮気味に、語尾が上ずっていた。
ちょっとした騒ぎにも関わらず、誰も止めに入ろうとしない…彼女は、この教室の中でも爵位の高い方なのだろう。
たった十六人程度の室内の中で、すでに派閥が出来上がりつつあった。
シエールは得意げな面々に、気付かれない様小さく溜息をつく。
そして机に肘を付く格好で反対側の窓の外を眺める…その者たちを無視することに決めたのだった。
シエールのその態度が、ヴェロニクのプライドを小さく引っかく。
ヴェロニクは瞬時に顔を赤くし、シエールの方に手を掛けようとした…しかしその行き過ぎた行動に、静観していた男子生徒が慌てて口を挟む。
「おい、やめないか。時限令嬢と呼ばれる者に関わるな…これは俺達、系譜の者に言い聞かされているはずだろ?さっきの話だって、何かおかしい。カルネヴァル侯爵が言うならまだしも後妻の侯爵夫人に決定権があるわけないじゃないか。そんな勝手な事、碧眼公が黙ってるはずがない!」
周囲で静観している者の中に、青の系譜の男子生徒がいたらしい。
まともな道筋を話す男子生徒に、ヴェロニク伯爵令嬢は少したじろいでいた。
シエールは周囲の声が耳に入らないという風貌で、興味がなさそうに振る舞う。
これからしばらくはこのような環境で過ごさなければならないと思うと、体の中心に重い石を抱える様な気持ちだった。




