025
宵闇に近い時間帯なのだろう、気がつけば茜から紫に変わった空は、ぽつりぽつりと輝く星をその姿に縫い留めていた。
肌にひんやりとした風が触れ、吸い込む空気までもが少しずつ身体を冷やしていく。
シエールは膝から崩れ落ち、力が抜けた状態で放心していた。
指先に触れる草を感情の起伏と共に、強く握っては放す。
いつのまにか近づいてきていた美しいクリーミーブロンドの髪を持つ女の子は、シエールに憐みの瞳を向け、見下ろしていた。
迷い戸惑いながら、シエールの上体に触れその身を支えながら楽になるようにと手を取り座らせる。
シエールは、座り込んだまま立てた膝を抱える様にして顔を埋めた。
溜息と共に、近くに腰を降ろす気配を感じる。
「…泣かないで?」
声をかけられたシエールは、自分に対しての言葉なのかと疑問に思っていた。
――― 何を?
そう思っていると、抱えたワンピースのスカートに水滴が落ちる。
泣いていたのだ、自分でもわからないうちに。
せめて同情を引く様なことは避けなければと、声を上げずに必死に涙を堪える。
「悪かったわ…私も思い込んでいたから。まさか侯爵家の令嬢が、自分よりも身分の低い者のことで、そんなにショックを受けると思わなかったのよ。」
背中に手が触れ、宥める様にとんとんとリズムをとる。
シエールは久しぶりに感じる、人の温もりに落ち着きを取り戻していった。
「一人だけ生き残って、何も失わずに裕福に暮らしている。そんな貴女に呪いの言葉ひとつでも浴びせてやろう…と、思っていたんだけど。何度か垣間見た貴女は、そんなに幸せそうじゃなかった。わかってた、わかっていたはずなんだけど…顔を見ると色々な思いが込み上げてしまって我慢ができなくなって。貴女のせいじゃないのに…本当にごめんなさい。」
両肩をぐっと掴まれるのと同時に、相手が覗き込んでくる気配を感じる。
多少は涙もとまったはずだとシエールも少しだけ顔を上げて相手を覗いた。
綺麗なグレーの瞳に、シエールの情けない顔が映る。
リューンと名乗った女の子は、シエールの顔へと左手を伸ばしてきた。
それはちょうどシエールの傷のある部分…シエールは自分の醜い傷を見ようと手を伸ばしたのだと、悲壮な気持ちを押し込め、身体を硬くした。
きつく目を閉じると、指の背が目尻に当たる…涙を拭ってくれたのだと、気がつくとシエールから力が抜ける。
その表情をみて、リューンは泥で汚した顔で綺麗に微笑んだ。
「さて…そろそろ、戻らないと。」
そう言いつつ大きな帽子を拾い上げ、立ち上がろうとする。
今度はシエールが地面に手をつき、リューンの手を握った。
「待って、貴女の話を聞かせて!」
手を掴まれ、自身の話を求められたリューンは少し躊躇いながら、もう一度腰を降ろす。
「…楽しい話じゃないわよ?」
そう言うとリューンの身に起きた話を、掻い摘んで教えてくれた。
・
・
・
サンフレア男爵の処刑は、犯罪者とは違い不敬罪等が主な理由だったため内々に執行された。
男爵家は混乱を極め、もともと病弱だった跡取りであるリューンの弟が、病気を悪化させ立て続けに亡くなってしまった。
様々な出来事が重なり、正式な後継が立てられないまま爵位返上せざるを得ない状況に追い込まれた。
リューンの母親は弱い人だった。
伴侶である男爵がいなくなり、跡継ぎの息子も失くしてしまったリューンの母親は、放心状態で自分の実家へと助けを求め縋った。
実家である子爵家はリューンを連れてこないことを条件に、母親を受け入れると回答した。
自分の娘だけならともかく、不敬罪で処刑された者の血筋を家に入れたくなかったのだろう。
それを受けてリューンの母親は、リューンを顧みることなくさっさと実家へと戻っていったのだという。
残されたリューンに行く宛はなかった。
大人に見捨てられた子供がどうやって生きていけば良いのだろう。
すでに使用人も解雇され、家も閉じられてしまった。
途方に暮れている時に、昔厩舎で小遣い稼ぎをしていた子供たちがリューンを藁の中へと突っ込んで孤児院へと運んで行ったのだという。
まさにそれはギリギリのタイミングで、綺麗な子供が行く当てなく彷徨っているという噂が広まり金目当ての大人が探し回っていた。
それからはなんとかリューンは見た目を隠しながら、孤児として日々小銭を稼いで生活をしているという。
・
・
・
「肌の色は泥でごまかせるけど、髪と顔は決して見せてはいけないって言われてる。まだ…馴染めてなくて要領を得ないけど、なんとか役に立とうと思っているわ。」
リューンはシエールに向かい、片目を閉じ口元を上げた。
「これ、他の子に教えてもらったの。ウインクって言うのよ。」
ふふふ、と笑いながらリューンはシエールへとおどけて見せる。
自分の境遇を重いものにしたくなかったのだろう…シエールへ向けるその笑顔に、リューンの強さが見えた。
「さて…本当に戻らなくちゃ。」
再び立ち上がるリューンに、シエールは縋るように声をかける。
「…あ、明日、もう一度会えないかしら。」
シエールの声に、リューンが訝し気に見つめ返す…何かを探っているようだった。
何故もう一度会おうなどと思うのか、見当がつかないようだった。
「…大人が一人、一緒でも構わないならいいわ。」
無言で見つめ合う視線にお互い引くことはなかったが、先に折れたのはリューンだった。
リューンにはリューンで、シエールに対し考えることをがあるようだった。
「よかったわ…私も同じように大人を連れてくるから。約束よ?」
シエールは急に取り繕ったように、表情なく令嬢の仕草へと戻った。
綺麗に立ち上がろうとして、差し出されたリューンの手を躊躇いなく取り姿勢を正す。
その様子にリューンは吹き出し、シエールは眉を下げて恥ずかしながら微笑んだのだった。




