024
夕日の色に染まった光がシエールの頬を照らす。
茜色の空を背負い、シエールは動けないでいた。
こんなに近い場所に人がいることに、気付けなかった。
同じような子供であることは間違いないのだけれど…今現在のシエールには、どのような行動をとって良いかわからない。
警戒する気持ちを隠しながら、片方の足を少し引いた。
気が動転していて、まともに頭が働かない。
つい先程色々な想いを自分の中で折り合いをつけることができ、目の前が晴れた…爽快さを味わっていたのに。
あまりにも突然の出来事に、どう動いてよいかがわからない…情けない気分だ。
こんな時に表情を変えない練習をしておいて良かったと思った、相手がどんな用件で声をかけてきたのかわからない限り顔に出すべきではない。
――― 用件…?
そういえば何かシエールに向かって、声をかけてきていた。
それがなんだったかを、動かない頭を使い一生懸命に思い出す。
『なんだ…そんなに幸せそうって程でもないんだ?』
シエールは一瞬で、凍り付くように心を締め付けられた。
知っているのだ…ここにいるシエールが、カルネヴァル侯爵令嬢で、王陛下より誓約を強いられているということを。
見た感じ子供でしかないこの目の前の人物に、戦慄を覚える。
「貴方は…誰?」
シエールはまだ、この状態を理解していなかった。
リジアンの教え通り、相手を観察し自分にとってどのような人物かわかるまで声を発するつもりなどなかった。
その考えとは裏腹に、口から疑問が零れ落ちた。
シエールが目を離せない相手は、対照的に夕日を遮るように木々の闇を背負っていた。
顔や髪の毛を隠す大きな亜麻色の帽子に、体形が分かりにくい霞色長めの上着。
少し大きめの古い靴を履いているようで、逆に足の細さが際立つ。
自分の素性を聞かれ、改めて帽子を目深にかぶり直し、鍔の隙間から瞳を覗かせる。
「以前にそこの建物の窓から、外を眺めているところを偶然見つけたんだ。」
その子供が指さした場所は、リジアンに連れていかれた中庭の見える階段の踊り場だった。
カルネヴァル侯爵邸の敷地内にいる令嬢…それだけで、先程の言葉がでてくるだろうか?
シエールはまだ、答えをもらってない。
挑むような目つきで、相手を見つめていた。
「それ以来こちらの方へ用事で来る時は、また見ることができないかと見上げながら通り過ぎることにしていたんだけど。…まさかこんな距離で、しかも大人がいない所で会えるなんて思ってもみなかったけどね。」
――― さく、さく、さく。
話ながらその子供は帽子に手を添えたまま、数歩近寄ってきた。
シエールは身構え、体は自然に後ろへと重心がずれていった。
シエールの頭に最悪の事態がよぎる。
子供である以上に、シエールの腕力は頼りになるものではない。
もしあの子供のいた木の後ろから、大人が出てきて力ずくで連れ去られるようなことにでもなったら…。
さっき決意したばかりの事も、無駄になってしまう。
シエールは拳を握りしめようとして、ようやく自分が本を握っていることを思い出した。
『自由を求める者』
これがあれば、ぎりぎりまで相手を引き寄せても逃げることができるかもしれない。
相手に気付かれないように、そっと本の背表紙にもう片方の手を添えて、相手の出方を待ってみた。
「貴女が『時限令嬢』だ…みんながそう呼んでいる。」
足を止め、語り掛ける言葉に少しの憎しみを感じた。
二人の間は客間の広さ程の間が空いていた。
風が吹いている…自然の中にある様々な音を避け、相手の声だけがシエールの耳へと届いていた。
シエールの胸の中で、鼓動が大きな音を立てて跳ねた…なんだろう嫌な予感がする。
「僕が何者かなんて…本気で知りたい?知って、自分が後悔するとは思わないの?」
そう言うと、手を添えていた帽子を払い上げる。
目の前には夕日を受け輝く長くストレートなクリーミーブロンドが舞い上がった。
その髪の毛がゆっくりと落ち、左右に広がったかと思うと、やがて綺麗にその輪郭を滑り落ちる。
顔を汚してはあったが、美しいグレーの瞳の女の子が立っている。
シエールは同性であることに安堵するどころか、なぜかわからない悲しみが込み上げてきた。
二人に、沈黙が流れる。
やがて輝く髪を持つ少女は、ゆっくりと口を開き名乗る。
「私の名前はリューン、元サンフレア元男爵の娘。貴女が巻き込まれたあの事故で、私の父は王陛下の馬車の警備をしていたの。貴女、知っていて?あの事故の関係者は貴女以外、全員何かしらの罪で処刑されたということを。侯爵家の御者、王家の御者、御者見習い、警備の者、みんな、みんなよっ!」
なにか…音がした気がする。
視線が地面から近い、気がつけばシエールは自分の足で立つ気力を失い、地面に座り込み項垂れていた。
シエールは知らなかった、事故に関係している者が全て処刑をされていたなんて。
自分や自分の親族のことにしか目が向いていなかったが、その裏でこんな酷い仕打ちを受けている人たちがいたなんて。
わからない感情が込み上げ、震えが起きる。
気がつくとシエールは、手に触れた草を握りしめていた。
その様子をみていたリューンと名乗った女の子は、シエールから視線をはずして大きく息を吐く。
「…もういいわ。」
そう言うとシエールの近くまで歩み寄り、自分も地面へと腰を降ろした。




