102
エートゥルフォイユ王国が誇る、白く美しい王宮『煌氷宮』。
美しいその王宮は、朝日を背に受け王宮自体が白く輝いて見えることからその名で広く知られていた。
その煌氷宮から真っすぐに伸びる大通りは、凱旋等も華やかに演出できる美しい通りだった。
通りの広さは騎兵であれば横並びに五十騎並ぶことができ、足元に敷かれた石畳は魔法が使える職人を他国から呼び寄せ段差なく整えてある。
更にその石畳には、重なり合うように円形の蔦の模様が彫りこんであった。
その美しくなだらかな大通りを今、ユニヴェール商会の馬車が走っていた。
元々、シエールは馬車が苦手だった。
最近は月に何度か学園へ向かわなければならないので利用はするが、かなり緊張している。
一度天候が悪く馬車の小窓をカーテンで遮った時は、息苦しさと共にあの”事故”の記憶が次から次へと蘇り…そのまま倒れて、数日寝込んでしまった。
今回はカルネヴァルの馬車ではない、慣れない馬車に乗るのだ。
「(………っ、迷惑はかけたくないのだけど)」
シエールは戸惑いを抑えて、隣で手を貸してくれたメテオールを見上げた。
メテオールは変わらずに、温か味のある笑顔をシエールへ向けてくる。
「(エタンセルと同じ、警戒しなくてよい相手…失望させたくない)」
一瞬だけ、昔見た赤いリボンの景色が頭をよぎる…リボンのように棚引く、血に染まったお母様の長い髪の毛。
あの灰色の景色が脳裏にこびりつく。
顔を白くしたシエールは眉間を寄せおおきく息を吐くと、思い切ってメテオールの手を取り馬車の中へと足を踏み入れた。
「………明るい。」
張りつめていた気持ちが、一気に溶けていくように感じた。
ただ馬車の中が明るいだけではない、とても優しい温か味を感じる。
クリーム色と金のラインで統一された内装は、外の陽の光のように穏やかでシエールの心を解してくれる。
「お嬢様、こちらをお使いになってください。」
シエールが座るべき場所には手すりのついた薄めのソファの様なものが敷かれてあった。
クッションとも違うその敷物へと腰を降ろす…座り心地は悪くなさそうだった。
意図がわからないまま、メテオールへと顔を上げると満面の笑顔が向けられる。
「出してくれ。」
繋がれる馬たちが足踏みを終え、滑るように馬車を走らせる。
シエールは気持ちを切り替えようと、小窓の外へと視線を移した。
ゆっくりと流れ始める景色を横目に、馬車独特の振動に身を任せる…しかし予想していた振動は、いつまでたっても伝わってこなかった。
乗り出して地面を確認する、カルネヴァルの邸から大通りへと続く道は決して平坦ではない。
一緒に乗っているメテオールとユニヴェール家の侍女を見ても振動で揺られているようだった。
…とすると、残るはシエールがメテオールから導かれた薄めのソファのおかげなのだろう。
それはシエールの背景を知っているということ…つまりは『時限令嬢』と呼ばれるまでの経緯を理解しているのだ。
娘の友人とはいえ、いち大商会の会頭が世間の悪評を身に受ける令嬢…それもまだ子供だ。
その気遣いがうれしい、心が解かれる。
シエールはくすぐったい気持ちで、窓の景色を眺めた。
普段は緊張し気持ちに余裕がない為、こんなに景色に集中するのは初めてだった。
「…不思議な装いの方が、いらっしゃるのですね?」
頭まですっぽりと覆う暗い色の外套を纏い、陽の高いうちから大通りを歩いている者を見た。
あれでは髪の色どころか、どんな表情をしているのかさえもうかがい知れない。
人目を避ける目的であるならば、陽が落ちてからにするべきだ。
シエールの言葉に、メテオールはできるだけ外の世界の事を楽しんでもらえればと、説明をするつもりで同じ景色をのぞき込んだ。
「お嬢様…あれは傭兵もしくは冒険者と呼ばれる者達ですよ。ん?しかし…おかしいな?」
メテオールの言葉の最後は独り言のように、小さく消えていった。
そう…メテオールの視線はその外套を被る二人の足元に注がれていた。
傭兵や冒険者ではありえない、履いている靴の美しさだ。
それに被っている外套も埃にまみれているわけでもなく、上質な厚みのある布を使われている。
あの装いから見て、彼はきっと貴族…それも高位貴族と呼ばれる者だろう。
――― 何故だか、ひっかかる。
メテオールは仕事上、貴族とも親交がある…来店する訳ありの貴族も、たくさん見てきた。
その上で、なにか嫌な感じがするのだ。
邸に戻ったら人を使って少し探らせてみよう、そうぼんやりと考えていた。
少し馬車を走らせ辿り着いた先…ユニヴェール商会の裏手に、エタンセルの邸があった。
貴族の邸宅と言っても、見間違えるほど…その造りは贅をこらしている。
思わず賞賛の声を上げると、メテオールは『お忍びの貴族の方をお招きする場所も兼ねておりますので。』と事もなさげに教えてくれた。
風に吹き上げられた木々が奏でる葉擦れの音のように、小さな騒めきと共に聞こえてくる足音に心がそわそわと浮き立つ。
「おいでになったわっ、ほら急いで。………シエール様っ!」
玄関を通されエスコートしてくれたメテオールにお礼を述べている最中に耳に飛び込んできたのは、慌てて駆け付けるエタンセルの声だった。
それに少し遅れて顔だけ覗かせたのは、息を切らせたヴェジュのようだ…今はまだ、俯いている。
「お招きありがとう、エタンセル。」
駆けてくるエタンセルへと、微笑みを向ける。
「シエール様、お待ちしておりました。お父様も、ありがとうございます!」
エタンセルの言葉に、ご褒美だとばかりにメテオールは破顔する。
愛しい娘の感謝の言葉が、なによりの喜びなのだろう。
「お招きできて嬉しいです、シエール様。さっ、こちらへ…お茶の準備もできておりますの。ご気分はどうですか…お疲れではないですか?ああっ、冷たいお飲み物も用意させましょう。」
慌ただしいエタンセルへ返事をしたいのだけれど、どこから答えて良いのかシエールは困惑していた。
「…まっ、待って…エタンセル様。」
そうしているうちに追いついたヴェジュが、呼吸を整えながら側までやってきた。
冷たい飲み物が必要なのは、シエールよりヴェジュの方だろう。
「えっ…ヴェジュ様、いかがなさったのですか?先程までは、そのようなご様子ではなかったというのに…。」
シエールはエタンセルとヴェジュを見比べて、自分なりに考えてみた。
シンプルでも上品で質の良いワンピースのエタンセルと比べ、普段から華やかで飾り立てるような装いが好きなヴェジュは今日も動きが制限されるような華美な装飾がついたワンピースを着て踵の高い靴を履いている。
シエールの到着を聞き飛び出したエタンセル、そして後を追うヴェジュ。
以前に一度見たことがあるが、エタンセルは意外に素早い、ヴェジュは完全に振り回されてしまったのだろう。
少し気の毒に思い、息が整う時間を作ってあげようと声をかける。
「ヴェジュ様、学園以外でお会いできてうれしいわ。」
「…シエール様。」
ヴェジュは安堵したように息を吐くと、少し潤んだ視線を寄こした。
「シエール様のドレスアップの為ですもの。私が来なければ、誰がアドバイスすると言うのですか。」
唇を突き出すように口先だけで小さく呟く、ヴェジュは少し照れているようだった。
エタンセルへ相談している時に、今日の集まりにどうしても呼んで欲しいと言い出したのはヴェジュの方だった。
なのにこんな言い方をするヴェジュを、可愛く想う。
「小さなお姫様方、準備が整ったようですよ?」
メイドから報告を受けたメテオールが合図となり、三人の令嬢は顔を見合わせくすりと笑う。
そしてようやく、客間へと移動をはじめたのだった。
・
・
・
「…では、貴族としての証『系譜の石』を身に着けることはで出来ないのですか?」
エタンセルが困惑の声で、繰り返す。
「ええ、これがカルネヴァル家としての決定なのよ。」
シエールは、眉を寄せながら答える。
侯爵の爵位を持つ令嬢として、恥ずかしい話だが…これが現実だ。
「小さい物でも良いから借り受けるとか、新たに買ってもらうという案もあったのだけど…。」
答えを濁すように、小さくした言葉をヴェジュが引き継ぐ。
「青や紫の系譜からなら、罰せられるわ。他の系譜であっても、事実はすぐに突き止められるし…その人に被害が及ぶかもしれない。」
お手上げとばかりに投げやりな態度をとりながら言葉を続けるヴェジュに、シエールは頷く。
「私のお母様も持っているのよ…トパーズとアメジストのブローチ。でもきっと、貸してはもらえない…その理由がこれならば尚更だわ。」
「そんな…。」
エタンセルは悲しそうに、小さく呟く。
そして少し考え込むと、再び口を開いた。
「魔石の中にも、似たような紫の石があります。幸い今…我が家の工房にいくつかありますので、それを加工してアクセサリーにしてみては?」
エタンセルの案に、ヴェジュが激しく反応する。
「それはダメよ、貴方が一番わかっているのではないの?」
「…あっ。」
エタンセルが小さく息を飲む。
ヴェジュは眉を寄せて、厳しく言い含めた。
「いい?この国の貴族は魔石を認めていない。王宮主催の夜会で魔石をアクセサリーにして身に着けて行けば、貴族の誇りはないのかと糾弾されるわ。」
「…ヴェジュ様、その位で。」
エタンセルがみるみる、悲しそうに顔を臥せていった。
シエールは、ヴェジュの言葉を止めるように遮る。
「二人ともありがとう、でもね『系譜の石』の件はいいの。無理をして誰かに迷惑をかけたいわけではないし、呼ばれた目的が多分私を貶めたいと思っているのだろうから…無い方がいいのだと思うわ。」
シエールは落ち着くために、出された紅茶を口に含んだ。
花の香りがふんわりと広がる、初めて香る紅茶に口元が綻んだ。
「それよりもね、この年齢で夜会に出るなんてめったにない事だと思うの。何を着て行けばいいか、考え付かないから…できれば知恵を借りたいと思って、相談しに来たのよ?」
そしてできれば、制作や保管をカルネヴァル侯爵邸以外で行いたい。
ディアンジュやトレミエに、邪魔されたくないのだ。
「そんなことでしたら、我が家をお使いください。当日の着付けやヘアメイクにも、人を準備しておきますわ。」
先程まで落ち込んでいたエタンセルが、はじかれるように顔を上げて主張する。
「ドレスを選ぶのであれば、私がお力になりますわ。王宮でのルールも、ある程度理解しております。」
ヴェジュが胸を叩く、その顔は使命感に満ちていた。
「二人ともありがとう。当日まで、よろしくね?」
そう言うと三人は、まるで悪戯を考えているような微笑みで笑いあった。




