エピローグ
どうしてこんなことになったのだろう。
薄暗い非常階段。手の中には、うんともすんとも言わない携帯電話。
地元の不良仲間は、一人だけ進学校に行ったあたしに遠慮して連絡をよこさない。好きで桃園高校に入学したわけじゃないのに。
今のところあたしは一人だ。学校でも、地元でも。
やっぱり、いきなり気合いを入れた恰好で入学式に出たのがまずかったのか。明るい茶髪を巻いて、メイクも盛りまくった。
こんな品行方正なお嬢様しかいないような女子高じゃ、あたしみたいなタイプは珍しいのか、クラスでもみんなびびって近付いてこない。
ちらちらと様子を伺いながら遠巻きにされているのは、檻の中の猛獣になったみたいで居心地が悪い。あたしが立ち上がったり話しかけようとすると、分かりやすくびくっと反応されるのがいたたまれなくて、授業をボイコットして出てきた。休み時間に教室を出てくるとき、あからさまにほっとした雰囲気になったのを背中で感じた。
あたしだって、一人が好きなわけじゃない。できれば、気の合う仲間たちに囲まれて楽しく毎日をすごしたい。
「あ~あ……」
もう、学校やめちゃおうかな。もともと勉強が好きなわけじゃなくて、親と教師に強制されて入った学校だし。
通信制の学校でも通いながら、アルバイトをして。親には怒られるかもしれないけれど、そっちのほうがずっと楽かもしれない。
「逃げるの、かっこ悪……」
分かってはいるけど。珍獣になったみたいな毎日で、我慢したい理由も、居座り続ける目的もあたしにはない。
びゅう、と春風がふいて、短いスカートの裾をさらっていった。
「痛っ」
カラコンを入れている目にゴミが入った。ポケットを探るが、あいにく手鏡は教室に置いてきてしまったようだ。
「あ~、最悪」
涙目になりながらまばたきをくりかえしていると、非常階段の扉がいきなり開いた。
「あれっ、先客?」
小柄で、アーモンド型の大きな瞳が猫みたいな女の子が、ずかずかとあたしのそばまで近寄ってきた。
やだな、これ。泣いていると誤解されたかもしれない。
「あなた、もしかして、さぼり?」
「は? あんたもでしょ」
自分のことを棚に上げて上から目線なのが気に入らなくて、苛ついた口調になってしまった。
「残念。三年生は模試だったから、今日の授業は終わったところなんだ。私は今から部活にいくところ」
上履きの色をよく見ると、上級生だった。失礼な言葉遣いを一瞬だけ後悔したが、名前の知らない先輩は気にするそぶりもない。
「部活に行くのに非常階段を通る必要、ある? ……あるんですか」
敬語に言い直した私を見て、先輩はふふっと笑った。
「ぜんぜんない。ただ、ちょっと久しぶりに寄りたくなって」
こんなところに寄りたいだなんて、初対面のあたしに平気で話しかけてくることといい、やっぱりちょっとおかしな人なのだろうか。
「ていうか先輩、あたしみたいなタイプによく平気で話しかけられますね」
「え、そう? なんで?」
「髪は染めてるし、メイクもきつめだし」
「あ~、髪! きれいな色だなって思ったんだ。やっぱり染めてたんだね」
ずるっと、力が抜ける。これで地毛だったらあたしは日本人じゃないだろう。この先輩は天然か不思議ちゃんなのだろうか。――でも。この学校に来て初めてあたし自身のことを褒められた。それがなんだか無性にくすぐったくて、へんな気持ちだった。
「そういえば、うちの部に、あなたと気が合いそうな人がいるよ。見た目もちょっとだけ似てるかな」
意外だ。この学校にも、あたしみたいな生徒がいるのか。少しだけ、会ってみたいなと思った。
「ねえねえ。どうせ暇なら、部活見学に来ない? ちょうど今、仮入部期間だし」
「はあ……?」
うっかり出してしまった好奇心を見て取ったのか、先輩はまたしもずうずうしく提案をしてきた。すごんだ声を出しても引く様子はなく、あたしは逆に戸惑ってしまう。
「私、三年の小鳥遊こむぎ。料理部の部長なの。あなたの名前は?」
「あたしは……」
おいしそうな名前の先輩は、にこっと笑ってあたしの手をつかんだ。
その手は、びっくりするくらいあたたかかった。




