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菓子先輩のおいしいレシピ⑧

「やっぱり、何か見落としてることがあるんじゃないのかなあ」


 週明けの放課後。私は調理室でレシピを前に考え込んでいた。レシピは菓子先輩に頼んでコピーさせてもらったものだ。

 レシピの分量も手順も守っているのに、何が違うんだろう。


「とりあえず、レシピの分量は変えないで甘くする方法を探ってみよう」


 よし、と立ち上がってエプロンの紐を締め直したとき、調理室の扉がガラッと開いた。


「なんで一人で頑張っちゃうのかな、こむぎちゃんは。あれほど何かあったら相談してほしいって言ったのに」

「ほんとだよ、水臭いじゃん」


 そこには、眉をつりあげて腰に手を当てたみくりちゃんと、前髪をかきあげながら少し怒った声で呟いた柚木さん――。


「二人とも……、今日は月曜だから活動日じゃないのに、どうして」


 唖然としながらつぶやいた私にかまわず、二人はずいずいと調理室に入ってくる。


「そりゃあ、今日一日のこむぎちゃんの様子を見ていれば分かるって」

「授業中もそのレシピ取り出してはメモ書き込んだりしてたもんな」


 こっそりしていたつもりだったけど、バレていたのか。


「こむぎちゃん、大事なこと忘れてない? 私たちにとっても菓子先輩は恩人なんだよ?」

「それに少しの期間だけど、部長と部員の関係でもあるじゃんか。関係ないとは言って欲しくないんだけど」


 言いながら、すっかり慣れた様子でエプロンと三角巾を身に付けていく二人。今はそのエプロン姿が頼もしい戦闘服に見える。


「ねえ、そんなに私たちって頼りないのかな」

「それとも、あたしたちには言えないようなことだったり?」


 二人が少し不安そうな顔で、固まっている私を覗きこむ。


「それは……」


 確かに、菓子先輩の事情が重すぎて、二人に言っていいのか迷っていた部分はある。でも、根本はちがう。今まで、友達に迷惑をかけないこと、自分でできることは自分で何とかするのが友情だと思っていた。バレー部と兼部しているみくりちゃんや、家のことで忙しい柚木さんの手を借りるのは、最後の最後だと勝手に決めていた。

 でも、違うんだ。どんなちいさなことでも、大事な友達が悩んでいたら話して欲しい。一緒に悩むことより知らないでいることのほうがずっとつらい。

 自分はどんなことでも二人の力になりたいと思っていたのに、二人も同じ気持ちだなんて、考えたこともなかった。

 私が思っていることは、あなたもきっと思っている。それを教えてくれたのは、いつも二人だったね。


「そんなことない。二人とも、ありがとう。事情を詳しくは言えないんだけど、菓子先輩のためにやってみたいことがあるの。手伝ってもらえるかな」

「当たり前でしょ」

「言うのが遅いよ」


 みくりちゃんには頭をわしゃわしゃ撫でられ、柚木さんにはデコピンされた。

 菓子先輩。あなたがくれたものがここにあるよ。菓子先輩のおいしいものの力でこんなにもしあわせ者になった私がここにいるよ。菓子先輩にこの光景を見せたいよ。


「あのね、実は……」


 私は菓子先輩の味覚障害のことは伏せたまま、キーマカレー作戦のことを話した。浅木先生に聞いたこと、菓子先輩の家に言ったことも言えるところだけ。


「なるほど。お母さんの味を再現すれば、百瀬先輩の悩みが解決するかもしれないんだね」

「うん。うまくいくか分からないんだけど、とりあえず今思いつくのはそれくらいだから、やってみようと思って」

「で、実際試してみたはいいけれど、お母さんの味とは違うって言われたってことだよね?」

「そうなの。レシピ通りにやってるんだけど……。甘くてまろやかでコクがあるって言ってたから、玉ねぎを濃い飴色にして甘みを出したり、入れるトマト缶を完熟トマトにしたりしてみようかなと思ってて」

「これからそれを作るんだよね? 手伝うよ」

「じゃあ、普通のやつと二パターン作って違いを比べてもみるのはどう?」

「あ、それ、いいかも」


 お鍋を二つに分けて、普通バージョンと甘味バージョンを作った。ドキドキしながらみんなで試食する。


「どうだろう?」

「う~ん……。甘みが増したと言われればそんな気もするけど、食べてすぐはっきりと分かるほどではないよねえ」

「そうだね。なんとなくまろやかになった感じはするけど、そこまで違いは感じないかな」


 言われて分かる程度の違いだったら、何年もキーマカレーを食べていないお父さんもおばあちゃんも気付かないと思う。もっとはっきりと分かる甘みとコク、それを出したものでないとお母さんの味とは言えない。


「私もこれはお母さんの味とは違うと思う……。でも、他に甘くする方法ってあるのかな? はちみつを入れるとかりんごを入れるとかも考えたけど、それだとレシピを変えちゃうことになるし」

「レシピに書いてないけど、実ははちみつを入れてた、とかもありそうじゃない?」

「でも菓子先輩のお母さん、そういった細かい変更もぜんぶレシピにメモしてる人だったんだ。いつも作ってたメニューだったら余計、書き忘れるのは考えにくいと思って」

「なるほど……。確かにそうだね」


 甘みを出すようなもの。カレーに入れてもおいしいもの。飴色玉ねぎ、りんご、はちみつ……あとはなんだろう。いい線は行ってると思うんだけど、決定打に欠けるし、書き忘れる内容とも思えない。


「あ、ねえ! わざと書かなかった、とかは? ……ミステリーの読みすぎかな」


 柚木さんが指をパチンと鳴らす勢いで身を乗り出した。最近ミステリー小説にはまっているらしい


「でも、なんのために?」

「まあ、そこだよね……」


 書き忘れたんじゃなくて、あえて書かなかった――。なんとなく今、お母さんのエプロンの裾を掴めそうな気がしたんだけど。


「こむぎちゃん、こういう時こそプロに聞いたら?」

「あ、そうか」


 みくりちゃんの一言で、浅木先生にまだキーマカレーの報告をしていないことを思い出した。菓子先輩の家での出来事と、キーマカレーの味で悩んでいることを端的にメールに書く。返事が来るのは早かった。もしかしたら、ずっと気にしてくれていたのかもしれない。


『僕も柚木さんの意見に一票。家族には内緒で隠し味を入れていたんだと思うな。なんでレシピに書かなかったのかは、こむぎちゃんなら分かるはずだよ』


「……だって」


 二人にも、浅木先生からの返事を読み上げる。


「あたしの推理、当たってるかもしれないじゃん」


 柚木名探偵が嬉しそうである。


「でも、私なら分かるってどういうことだろう。内緒で入れるような隠し味なんてあるのかなあ」


 悩んでいると、みくりちゃんが「う~ん、私の経験なんだけど、いいかな」と言いながら話し始めた。


「隠し味かどうかは分からないんだけど、私小さいころピーマンが苦手だったんだ」

「えっ、みくりちゃんが?」


 なんでもおいしく食べる、健康優良スポーツ少女のみくりちゃんに好き嫌いがあったなんて意外だ。


「うん。どうしても食べられなくて残しちゃうから、お母さんがみじん切りにしてハンバーグに入れてたんだ。その時は気付かなくて、食べられるようになってからネタばらしされたんだけどね」

「あ~、あたしもそうだったかも。ちっちゃいころ、野菜あんまり食べなかったみたいで、裏ごししてポタージュにしてたって聞いたことある」

「へえ~、そうなんだ」


 自分は小さいころから好き嫌いがなかったので、そういった話は聞いたことがなかった。でもそういえば、お母さんがカレーに野菜ジュースを入れているのを見たことがある。どうしてって尋ねたら、結婚当時お父さんがあまり野菜を食べてくれなくて、そのときに生み出した苦肉の策だと言っていた。野菜を分からないようにして入れるのは、どこの家でも定番なのだろうか。


「嫌いな野菜……甘くてまろやか……」


 私の脳裏に、部活に入った日の思い出が浮かんできた。初めて浅木先生のお店に行ったあのとき、浅木先生は菓子先輩に何と言ったんだっけ? そして、文化祭のときに菓子先輩が不自然に却下したものがあったような……。


「みくりちゃん、柚木さん、ありがとう。私、分かったかも……」


 ばらばらになっていたピースがかちゃりとはまった気がした。今までぼんやりとしていた菓子先輩のお母さんの輪郭が、はっきりとした形になって自分の中に流れ込んでくる。お母さんのエプロンの裾を掴んだ私はいつの間にか小さい菓子先輩になっていて、そのあたたかい胸にぎゅうっと抱きついていた――。

 ふと気づくと、呆けた顔でぼうっとしている私を、二人の優しい眼差しが見下ろしていた。


「良かったじゃん。じゃあさっそく、これから第二段を作る?」

「まあまあ。今日はもう時間も遅いから、明日にしようよ。こむぎちゃん、その隠し味は明日用意するんでしょ?」


 腕まくりする柚木さんの肩を、みくりちゃんがぽんと叩く。


「うん。明日また手伝ってもらっていいかな」


 もちろん、と笑顔を見せる二人にも、さっきの光景を見せたかったな。とてもふしぎなことだけど、菓子先輩のお母さんがとても近くにいて、応援してくれているような気がする。自分に都合のいい思い込みかもしれないけれど、それでもいいや。

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