94 ボス戦、そして踏破
Sランクダンジョンボス――この雪原のダンジョンの最終層で待ち構えている魔物は、雪と同化するような真っ白な体毛で身体が覆われている。
まぁ、身体が白く雪と色が似ているとはいっても陰影や質感の違いのおかげで、光学迷彩よろしく姿を見失うということはない。問題なのはやはりその身体の大きさだ。
全長はおよそ15メートル。めちゃくちゃでかい。
ボーリングの玉ぐらいのサイズはあるギョロギョロとした8つの青い目が怪しく光り、俺たちを品定めでもするかのように見つめていた。ゲームをしていた奴らの中には、こいつのことを『つぶらな瞳が可愛い』などと言っていた猛者もいる。
「これはまた……でかいクモだな」
「なんだ? 怖気づいたのなら下がっていてもいいぞ」
「ははっ、ここまで来て引くわけがないだろう。それに、先程エスアールに教えてもらったことが無駄になってしまうしな」
口角を釣り上げて、セラが笑う。
彼女にとっては結構な難敵だと思うんだが、尻込みした様子はないな。
「じゃ、予定通りまずは俺が突っ込むから、頃合を見てセラも攻撃に参加してくれ」
「了解した」
準備運動がてら、俺はその場でトントンと跳ねる。シャクシャクという雪を踏みしめる音がなんとも心地がいい。
呼吸を整えたのち、地面を強く踏みしめて前方に駆け出した。
「セラのステータスでも真似できる程度の動きにしとくかな」
どデカいクモの魔物――フリージングスパイダーはテンペスト時代に何度も倒した敵だ。その見た目から、俺たちはこいつのことを『わたあめ』と呼んでいる。
突っ込んできた俺に対し、わたあめはクリスタルのような爪を生やした前脚を横なぎに振るってきた。まるで死神の大鎌である。
ゲームだったら吹き飛ばされてダメージを負うだけだったが、現実となった今では間違いなく身体を貫通するだろう。まぁ、身体に風穴を空けられたところで、エリクサーがあれば死に至る危険は少ないのだが。
「よっと」
鎌のように迫る攻撃を、前進して回避。そして関節の部分を掻い潜りつつ、赤刀で切りつけてからバックステップでわたあめの攻撃射程範囲から離脱する。
「横なぎの攻撃はこんな感じで、ビビらずに前に出た方がやりやすいからなー! 振り下ろしの場合は、前でも後ろでも横でもオーケーだ! しっかりと見てから動けよー!」
「わかった!」
少し離れたところから、セラの返事が聞こえてくる。
模倣の才能を持った彼女のことだ。このたった一回の攻防を見ただけで、ほぼ完璧に真似できてしまうんだろう。
「チートめ」
才能に嫉妬していると、わたあめが身体を少しだけ上に持ち上げた。
「よく見とけよ! これが氷結の糸だ! 捕まったら一瞬で凍るぞー!」
叫びながら、俺は射出された弓矢のように迫る白い糸を回避。
厄介なことに、このわたあめは腹からも尻からも口からも糸を出してくる。身体を持ち上げるモーションがあるからタイミングは丸わかりだが、予備動作から攻撃までの間隔が狭い。一瞬でも判断が遅れるとあっという間に氷漬けだ。
「避けるのが難しそうなら、腕に糸をぶつければ腕だけ凍る! 氷漬けになった部位は硬いもので叩けば壊れるから、慌てなくてもいいぞ!」
「足に当たらないようにすればいいんだったよな!?」
「そうそう! 腕にぶつける時はこう――グンっとやったら大丈夫だ!」
「なるほど! グンっとだな!」
距離が離れているため、お互いに叫び声で会話をする。戦闘よりもこっちに体力を奪われてしまいそうだ。
だが、やはり楽しい。
ずっと孤独にゲームをプレイしていたからなのか、教えている相手がセラだからなのか、それとも仲間の成長が喜ばしいからなのか。わからないけど。
俺がわたあめとの戦闘を10分ほど披露してから、満を持してセラも参加。
彼女は何度か腕を氷漬けにされたが、Sランクダンジョンのボスを相手にわりと善戦している。危ない場面もあったが、そこはきちんと指導者として俺がカバーした。
セラとの共闘が始まって、一時間ぐらい経っただろうか。実に楽しい時間だった。
わたあめの8本の脚のうち、すでに半分は使い物にならなくなっている。バランスをとることに関しては問題なさそうだが、素早く移動したり、攻撃をする際に踏ん張りも利いていない。
胴体部分にも多数の切り傷が付けられていて、いたるところから緑色の血液が流れており、まさに満身創痍といった状態だ。
だからこそ、俺は攻撃ができなくなってしまっていた。
目を瞑ってでも避けられそうな攻撃に対して、カウンターをすることもなく俺は後ろへと下がる。
よろよろになったわたあめはもはや隙だらけで、四方どの方向からでも致命傷となる一撃を与えることができてしまいそうだ。
俺が攻撃すれば、きっと敵は粒子となって消えるだろう。
そしてSランクダンジョンの踏破が成されれば、この世界は完全に崩壊を迎えることになる。すなわち、セラも消えてしまう。
覚悟は決めたつもりだったのにな……。
「――この世界から消えたとき、私は天国にでもいくのだろうか。それとも、何も考えることができなくなるのだろうか」
唇を噛みしめていると、数メートル離れた所でセラがふいに呟いた。
わたあめの動向に注意しつつセラに視線を向けると、彼女は真っ直ぐに敵を見据えている。
しかし顔はこわばり、剣を持つ手は震えていた。
「……どうだろうな。寝ているときと同じ感覚とか、じゃないか?」
「そうか」
セラは短く返答すると、魔物が振り下ろしてきた前脚をバックステップで回避する。
そして再び口を開いた。
「正直言って、私は怖い。身体が消えてなくなってしまうのが、記憶が消えてしまうのが」
弱々しい声で、懺悔でもするような口調でセラが言った。
俺は「そんなの、当たり前だろ」と、返した。
「何も思わないほうがどうかしてるさ。怖くて当然だ」
「平気なつもりだったんだがな……いざ目前に迫ると――ほら、震えてるだろう? Sランクダンジョンのボスは平気でも、消えるのは怖いんだ」
彼女は自嘲気味に笑いながら、少しだけこちらに近寄ってきた。
俺はわたあめが吐き出した糸を避けてから、言葉を返す。
「できるだけ早く世界を元の姿に戻すよ。俺にできるのは、それぐらいしかないみたいだし」
「別に急かすつもりじゃないんだが……無理はしないでくれよ? 私は一人になったエスアールが心配だ。貴方が負けるとは思わないが、ベノムというのはやはり強いんだろう?」
破壊神らしいからな、そりゃ強いだろうよ。
はたして神様を人間が倒せるものなのか疑問だけど――
「大丈夫大丈夫。セラはそんな心配しなくていいさ。ベノムなんか俺がパパッと倒して、パパッと世界を元通りにしてやるよ」
つとめて、明るい声で言う。
もうじき別れの時間がやってくるのだから、悲しい最後にはしたくない。
「ははっ、さすがだな」
「おう。だからセラは安心して待ってろ。新しい世界で、ちゃんとお前を見つけるから」
たとえ何年かかっても、必ずベノムを倒してみせるから。どうか俺を信じて待っていてくれ。
やがて俺やセラが攻撃をしかけるまでもなく、わたあめの全身から力がふっと抜けた。身体から流れ出した大量の血が死因なのだろう。
白銀の世界に光の粒子が舞う。まるで、雪が地面から空に向かって降り注いでいるかのように。
顔を横に向けると、セラの身体はすでに透けはじめており、彼女の後ろの風景がぼんやりと確認できるようになっていた。
何を言っていいかわからずじっとセラの顔を見つめていると、彼女は透けていく自分の身体を確認したのち、穏やかな表情を浮かべつつ俺の目の前にまでやってきた。
「最後の我儘だ。エスアール」
そしてさらに大きく一歩、彼女はこちらに歩み寄る。
気がつけば、未だ経験したことのない距離感――文字通り目と鼻の先にまで彼女は近づいていた。




