92 涙の味
セラ視点のお話です。
「俺に任せとけ」
誰が見ても作り笑顔だとわかってしまいそうな表情で、エスアールは言った。
しかし、そんな不出来な表情しか作れていないとしても、私は彼を尊敬する。
もし私が彼の立場だったのならば、口角を上げることなど到底できないだろう。
うずくまって、閉じこもって、食事も喉を通らず、誰とも話したくなくなるに違いない。自らの命を断とうとする可能性だって十分にある。
だから笑顔を作れる彼は、すごいのだ。
少しでも、彼の役に立ちたい――力になりたいと思う。
たとえ私のようにエスアールに恋をしていなかったとしても、あんなにも泣きそうな声で、震えた声で言われたら、手を貸したくなってしまうだろう。
だが、私にはそれができない。
『私』というよりも、彼の言葉を信じるのであれば世界中の誰一人として、彼を助けることができないのだ。
私はもうじき、この世界から消える。記憶にない、私の親友と同じように。
「なぁ、エスアール」
「ん? どうした?」
彼はSランクダンジョンの魔物をまるで子犬でも相手にしているかのように軽々しく倒している。
一応私も剣を手にしているが、周囲を警戒するだけで剣を振るう暇もない。たとえそんな機会があったとしても、今の心情でまともに戦えるのかは不明だが。
「私との出会いを、これまで貴方が過ごしてきた日々を――聞かせてくれないか?」
「……そりゃ構わないが、聞いてて楽しいか? それ」
「楽しいか楽しくないのではなく、知りたいのだ。本当の過去を」
今の私にも、一応記憶はある。
しかし、明らかにおかしいと感じる部分や、不明瞭な部分が多々あるのだ。考えすぎると混乱して頭がおかしくなりそうなので、できるだけ考えないようにしているが、不自然であることは明白である。
「なるほど」と、私に背を向けたままコクリと頷いた彼は、おとぎ話を読み聞かせるかのような雰囲気で、穏やかに過去を語り始めた。
出会いから、現在に至るまで。
彼が口にした内容は、私の記憶と完全に一致する部分もあれば、多少違っている部分があったり、全く知らない所もあった。
一階層をクリアして次の階層休憩している時も、二階層の魔物を倒している最中にも、その後の休憩も。ずっと彼は私の知らない過去を話してくれた。
話が現在に追いついたのは、三階層の魔物を全て倒し終えた頃だった。時間にすると、大体5時間ぐらい話しただろうか。
「ありがとう、エスアール」
「気にすんな。俺も思い出に浸れて、ちょっと楽しかったし」
確かに、昔の話をしていた時の彼は本当に楽しそうだった。昔といっても、ここ最近の話なのだが。
私が――いや、私と第一王女で作った木彫のネックレスを、彼は大事そうに胸元で握りしめている。手に嵌めているグローブは、確かシリーというメイドの贈り物だったか。
カウントダウンタイマーが0になるまでの間、過去の話を終えても私たちは話し続けた。
エスアールがインベントリから取りだした敷物の上で、私たちはあぐらをかいて向かい合っている。
「はははっ! それではまるで私がバカみたいではないか」
「いや『みたい』じゃないんだが……」
「ん?」
エスアールの言った言葉の意味が咄嗟に理解できず、首を傾げてしまう。
私の様子をみた彼は、慌てたようにインベントリの中をあさり始めた。
「――そ、そうだ! そういえば腹減ってないか? サンドイッチがあるんだが」
「おぉ、そういえば食事をとっていなかったな。ではお言葉に甘えていただこう」
「はいよ」
エスアールはそう言うと、水の入った瓶とサンドイッチを私に手渡してくる。そして自分も同様の物をインベントリから取りだして口に入れた。
「貴方と食事をするのも……これで最後になってしまうのだろうか」
声に出すつもりはなかったのに、しみじみとそんなことをつぶやいてしまう。
「最後じゃないさ。俺がベノムを倒せばまた会えるから。また最初から、新しい世界で一からリスタートしよう」
眉をハノ字に曲げながら、彼は笑う。自然と、私も彼と似たような表情になった。
「ちゃんと私を見つけてくれよ。記憶が無くなったら、私から貴方を見つけるのは難しいのだから」
「もちろんだ。フェノンもシリーも迅雷の軌跡も他の人もみんな、なんとかしてまた関係を築きなおすさ……大切な、仲間たちだからな。セラこそ俺を平民だからって相手にしないとか無しだからな」
「はははっ! もし私が貴方をないがしろにするようであれば、また私を模擬戦で打ち負かしてくれ。そうすればきっと、また貴方とたくさん話すことができるだろう」
「それでまた『顎による攻撃だ』なんて言い出すのか?」
ニヤニヤとしながら、エスアールが言う。
非常に残念なことに、その記憶は未だ私の中に残っている。どうせならば一緒に消えてほしかった過去だ。「それは忘れてくれ」と頭を下げる。
「冗談だよ。ま、探索者のランクを上げれば迅雷の軌跡はもちろん、セラやフェノンともなんとか接触できるだろ。もう一度フェノンの命を救うようなことになるのであれば、今と似たような関係に戻れるかもしれないが、そうじゃなかったら、また仲良くなるのは少し難しいかもしれないな」
「そんなことはないっ!」
私は思わず、辺り一面に響き渡るような声で叫んだ。
突然の大声に驚いたのか、エスアールが目をまん丸にしてこちらを見ている。
「エスアールが弱気になってしまうのも、仕方がないと思う。きっと今の貴方の心を理解できるのは、貴方自身だけなのだろう」
エスアールの心をわかりたいとは思うが、きっと私の想像している何倍もつらいはずだ。
命を賭けて世界の救世主になったとしても、彼はすべての人に忘れられ、そして一人だけ悲しみを抱えて生きていかなければならない。
「きっと辛く、苦しいと思う。今の私が貴方にできることはなにもない。だがこれだけは言わせてくれ」
孤独になる未来を憂う彼に、私は言いたい。
無責任な発言になるかもしれないが、この気持ちを伝えたい。
「大丈夫だ」
心配することはない、と。
きっと生まれ変わった新しい世界でも、貴方を見つけることさえできれば――、
「私も記憶は失うのは悲しい――だが、あなたが覚えてくれている。だからまた、先程のように過去の話を私に聞かせてくれ」
この世界が何回繰り返されることになっても、何回記憶が無くなったとしても、大丈夫だ。
それがたとえ、何十回、何百回、何千回――途方もない回数だったとしても。
「貴方と話すことができれば絶対に――」
エスアールの人柄を、エスアールの生き方を、エスアールの笑った顔を、私は何度だって好きになる。全ての未来で、確実に。
「何度でも私は、貴方に恋をする」
ついに、伝えることができた私の想い。
生まれて初めての告白はほんのりしょっぱい、涙の味がした。




