91 俺に任せとけ
フェノンたち――この世界の住人全てが俺の記憶を失う。
ベノムをなんとか倒すことができたとしても……新たに創造された世界では誰も俺のことを覚えていないらしい。
フェノンがわざとらしく『勇者様』と呼ぶことも、シリーが『おかえりなさい』と笑いかけてくれることも、シンたちが『師匠』とニヤニヤしながら言うことも――もう、ないのだろう。
彼らは王国トップのパーティに伯爵令嬢、そして王族。
新たな世界が創造されたら俺はただの平民だ。地位を失った俺には、彼女たちは視線を向けることすらないのかもしれない。
「……そろそろ時間だ」
言葉を失い、その場に立ち尽くしていた俺にノアが言う。
俺は返事をすることも彼女の顔を見ることもできなかった。ただただ何もない空間を見つめて、呆然とすることしかできない。
「ダンジョン踏破後に、また会おう」
ノアがそう呟くと、雷が目の前に落ちた時のように視界が一瞬にして真っ白に変わった。
咄嗟に目を瞑り、顔をしかめながら瞼を持ちあげる。
目を開けると、そこには雪原が広がっていた。満月の明かりが雪を照らし、枯れた木々はまるで立ち尽くした俺の姿を真似ているかのように、ぽつぽつと寂し気に辺りに散らばっている。
その景色が視界に入ると、脳が自動的に『ゲームではリンデール王国に出現するSランクダンジョンだな』と結論を出した。
この湿っぽく暗いダンジョンは、今の俺にピッタリだ。青空の広がる雄大なダンジョンとかじゃなくて良かった。
「むむっ! 雪のダンジョンは初めて見るなっ!」
すぐ隣から、そんな声が聞こえてきた。
顔を向けると、セラが足場を確かめるように何度も雪を踏みしめている。どこか楽しそうに見えるのは、俺の気のせいではないだろう。子供かよ。
「そうだな」
「……? エスアール、顔色が悪くないか? もしかして貴方の知らないダンジョンだったのか?」
俺の顔を覗き込むようにして、セラが声を掛けてくる。勘が鋭いのか、それとも俺の表情の変化に聡いのか。
シンが消えたことも、スズが消えたことにも気付いていないのに。
そして俺の記憶を、永遠に失うことも知らないのに。
俺は強く息を吐いた。
「いいや、知っているよ。俺は前にいた世界で、このダンジョンを何度も踏破した経験があるからな」
もはや隠す必要もない。何しろ、彼女は全てを忘れるのだから。
口をポカンと開ける彼女に構わず、俺は魔物を探すため前に歩を進めながら話を続けた。
「完全に一緒ってわけじゃないけどな、9割以上は同じだ。俺はそこで、全ての職業のレベルを限界値まで上げ、SSランクダンジョンを含め、すべてのダンジョンを単独で踏破した経験がある」
セラからの返事は返ってこない。その代わりに、後ろからシャクシャクと足音が聞こえてくる。
「俺がこうしてレベルを上げるのは、2回目なんだ。だから派生二次職や、三次職のことを知っている。ドロップ品のことも知っている。魔物の情報も知っている。セラたちが知らないことを、知っている」
ゲームの中でのことだけど――と、彼女に聞こえないように呟く。
一拍置いて、俺は言葉を続けた。
「SSランクダンジョンのボス――ベノムを倒せば、この世界は元に戻るらしい」
勝率がコンマ1パーセントを切っていることは、別に言う必要もないだろう。口にしたところで、不安をあおるだけだ。
だけど、言わなきゃいけないこともある。最後の時間を、有意義に過ごすためにも。
視界に一階層の魔物、スノウタイガーを捉えた。俺の三倍はありそうな屈強な体格を持ち、雪の上であることを感じさせないような素早い動きを見せる魔物である。
「元に戻った時、セラたちは俺のことを忘れるみたいだ。ついさっき、創造神にそう言われた」
「な――っ!?」
魔物がこちらに気付き、勢いよく駆け出してくる。
セラの驚きは、はたして俺の言葉に対してか。それともまるで車が突っ込んでくるような、魔物の突進に対してか。
敵が伸ばしてきた鋭い爪を持った前脚を、その場で飛び上がって躱しつつ、眉間に向かって真っすぐに赤刀を差し込んだ。それだけで、あっという間に魔物は粒子へと変わって消えていく。
今の俺のステータスがあれば、タイミングと狙う場所さえ間違えなければ、一撃で敵を葬ることも容易い。
「……どうにも、ならないのか?」
恐る恐るといった様子で、セラが声を掛けてくる。
創造神と俺が話したってことは疑わないんだな。結構、信じられないような内容だと思うんだが。
俺は振り返ることなく、前に歩を進めた。
「さぁな。でも、もしどうにかする方法があるってのなら教えてくれるだろ」
ノアの口ぶりからも『避けようのない未来』といった感じだったし。いくら俺が回避特化型とはいっても、物理的なもの以外は避けようがないもんな。
そういえばノアは『元に戻る』と言ったが、いつに戻るのだろうか。
Aランクダンジョン踏破前か? 俺が召喚されたタイミングか? それとも、それ以前?
わからんな。
ノアがダンジョン踏破後ならば話す時間はあると言っていたから、そこで確認しようか。
場合によっては、新たに創造される世界ではフェノンと接触するチャンスがないかもしれない。
なにせ平民と王族だし。
返事が無くなり、後ろから聞こえてくるのは足音だけになったが、俺はかまわずに続ける。
「それでフェノンやシリー、迅雷の軌跡が復活するってのなら安いもんだよ――あぁ……今のセラには誰のことだかわからないだろうけど、俺たちの仲間だ。そりゃ記憶が消えるのは悲しいが、思い出はまた作ればいいから」
セラに話しかけるような口ぶりで、俺は自分に言い聞かせていた。
そうだ――思い出ならまた、作ればいいじゃないか。もう一度知り合って、もう一度共に探索して、もう一度みんなで食事をして。その機会が、あればいいけど。
俺は立ち止まって、後ろを振り返った。
俯いていたセラが、泣きそうな表情をこちらに向ける。
やめてくれよ、もらい泣きしちゃうだろ。
「お前たちが消えた後、どんな状態になっているのか知らないが、まぁ、気長に待っていてくれよ。俺が必ずこの世界を元に戻してやるからさ」
その過程でどれだけの年月を費やすことになったとしても、やってやろうじゃないか。
たとえそれが神の思惑通りでもかまわない。
たとえそれが命がけの戦いであったとしてもかまわない。
たとえそれが……誰の記憶に残らないとしても、かまわない。
この世界で出会った仲間たちが、何よりも大切だから。
フェノンのこと、そしてセラのことを――俺は愛しているから。
だから――、
「俺に任せとけ」
はにかんでそう口にする。
本当は今すぐに家に帰って泣き叫びたいところだが、俺だって男だ。
最後ぐらい好きな人にかっこよく見られたいと思っても、誰も文句は言わないだろう。




