87 消えていく仲間
「終わったぁあああああ……」
ようやくAランクダンジョンの50周が完了。
日数的には、どれぐらいかかっただろうか? 1ヶ月は掛かっていないと思うが、朝起きて夜寝るという規則正しい生活を送っていなかったから細かい数字はわからん。
粒子となったボスを横目にステータスを確認すると、全ての三次職へ転職可能になっていた。三次職への転職条件はゲームと同じであることに間違いはなさそうでひと安心だ。
ボスを倒したことで出現したウィンドウの『帰還』を素早く連打する。とりあえずの目標を達成したからか、急激に眠気が襲ってきていた。早く寝させてくれ。
ダンジョンの外へ転移すると、空が白み始めたところだった。朝の六時前後ってところだろうか?
建物の周囲では松明の火が揺れており、いつも通り兵士の人たちがダンジョンに誰も近づかないように警備をしている。ごくろうさんなことだ。
「お疲れ様です!」
スタスタとダンジョンから出てきた俺に、兵士の一人がガシャガシャと金属の擦れる音を鳴らしながら頭を下げた。短く「どうも」と返答し、家に向かって真っ直ぐ進む。
「いったいどういう心変わりだろうな……? 誰かに命令されたか?」
後ろをちらっと振り返りつつ、兵士に聞こえないように呟く。
俺が疑問に思っているのは、彼らの対応の変わりようだ。
俺は入場時間の規則を無視し、権力を振りかざしてAランクダンジョンに潜っていた。この国の宰相やギルドマスターから面会の要請が来ても全て拒否していたし、歩みを止められそうになれば王家の短剣によって黙らせた。
余計な情報を頭に入れてこれ以上混乱したくないし、なによりも時間の無駄だと思ったからだ。
警備兵はそんな傍若無人な俺に対してオロオロしていたわけだけど、少し前から、それはもう『元気いっぱい』といった様子で挨拶をしてくるようになったのだ。
いちいち応対して時間を取られなくて済むから楽なのだが、少し不気味である。
近づいてきた我が家を眺めながら、俺は大きくため気を吐いた。
「問題はこれからなんだよな……」
三次職のレベル上げが面倒だとか、ベノムと戦うのが怖いというわけではない。
俺が今悩んでいるのは、これから挑むことになるSランクダンジョンを踏破した時、いったいこの世界にどのような影響が及ぼされるのか――ということだ。
もちろん、そのことについてこれまで考えてこなかったわけではない。
世界が壊れる速度が加速するのか。
それとも踏破をきっかけに、完全に崩壊するのか。
もしくは、何も起こらないのか。
様々な展開を考えたけれど、結局は予想することしかできないし、何も解決しない。
だが、もし俺がSランクダンジョンを踏破することで世界が完全に壊れてしまうのであれば、そしてもしセラや迅雷の軌跡たちがまだこの世界にいるのであれば、最後に挨拶ぐらいしておきたいと思うのだ。
世話になった、ありがとう――と。
必ずこの世界を救って見せるから、俺を信じてくれ――と。
とはいえ、
「頭がおかしくなったとか思われてそうだなぁ……世界が壊れてる――とかさ。セラはシンたちに会いに行くって書置きしていたから、きっと俺のした話を迅雷の軌跡に相談しただろうし――白い目で見られたら辛い」
ははは――と、自嘲気味に乾いた笑いを漏らす。
まぁ、変な奴を見る目で見られたとしても、彼女たちがまだ消えておらず、一目見ることができるのなら、一言二言交わすことができるのなら、喜んだほうがいいのかもしれないな。
家の扉の前に辿り着き、鍵を開けた。
誰もいないこの家に向かって『ただいま』という言う気にはなれず、無言で靴を脱ぐ。否、脱ごうとした。人差し指を靴のかかとに掛けた状態で、俺は固まってしまう。
「………………ただいま」
絞り出したような声で呟く。
俺の視線の先には、見覚えのある靴が四つあった。
一つは見慣れたセラのもので、残りの三つは俺の記憶が正しければ迅雷の軌跡たちのものだ。
「そうか……みんなまだ、無事だったのか」
……よかった。まだ彼女たちと話すことができる。
そんな風に思いながら形やデザインの違うそれぞれの靴を眺めていると、そのうちの一つ――ライカのものであろう靴が透けていることに気づいた。しかも俺の気のせいでなければ、徐々にその透明度が上がってきているのだ。
その不可思議な現象を目の前にして、俺は言葉を発することも、身体を動かすこともできなかった。金縛りにあったかのように硬直してしまう。
ただただ、消えていく彼女の靴を呆然と眺めることしかできなかったのだ。
「あ……」
声と呼んでいいのかわからないような音が、喉から鳴った。
ついさきほどまでライカの靴があった場所に手を伸ばすが、手に触れるものは何もない。完全に彼女の靴は消えてしまっていた。まるでそこには最初から何もなかったかのように。
フェノンが消え、シリーが消え、レグルスさんが消え、そしていま、おそらくライカが消えた。
いままでは俺の気付かないうちに起こっていたからか、あまり感情が表に出てこなかった。
だが、いざ目の前で消えていくのを目の当たりにすると、まるで人が死んでしまったかのような喪失感が襲ってくる。俺はその場で、膝から崩れ落ちた。
まず一粒、頬を伝った雫が顎から滴り落ちる。
そして溜め込んでいたモノがいっせいに溢れ出したかのように、俺の目尻からはボロボロと大量の涙が流れ出した。
「――いったい、俺がなにをしたっていうんだっ」
どんっ――と、拳を床に振り下ろした。
石造りの土間は陥没し、放射線を描くようにヒビが走る。
「なぜ俺を苦しめるっ! なぜっ、なぜこの世界が壊れなきゃいけないんだっ!?」
めいいっぱい空気を溜め込んだ風船が破裂するかのように、俺の感情も爆発した。
もう一度、拳で地面を叩く。石の欠片が皮膚にささり、血が流れだした。
「くそっ、くそっ!」
子供が駄々をこねるように、それから数度土間を殴りつける。自分の手がどんな状態になっているのかなんて気にならないし、痛みも感じない。ただ、このやり場のない怒りをどこかにぶつけたかった。
そんなことを続けていると、ふと、俺の肩に誰かの手が触れた。
そして床と自分の拳との間には、同じく誰かの手がいつの間にか挟み込まれている。
「――つぅ……エスアール、力強すぎじゃないか?」
顔を上げると、そこには部屋着を身に着けたセラが、苦笑いを浮かべながらこちらを見ていた。愛犬に噛まれた飼い主を彷彿とさせる表情である。痛みを堪えながらも、なんとか俺に笑顔を向けようとしているような感じだ。
彼女の右手は俺の肩に乗せられており、左手はたぶん……俺の拳によって指の骨が折られている。
そして彼女の後ろには、眠たそうにあくびをするシンとナイトキャップを被ったままのスズの姿もあった。
「おうおう、良い男が台無しじゃないか。なんだその顔は?」
「セラ、エスアール。これを使うですよ」
そう言いながらスズがインベントリから取り出したのは、エメラルドグリーンの液体が入った二本の瓶。
「――っ!? スズっ、これはエリクサーじゃないかっ!?」
「エリクサーなんてすぐに手に入るですよ。それに、どうせ消えるなら使えるうちに使ったほうがいいです」
「うっ……それもそうか。なんだか、すごく勿体ない気がするな」
「お前さんは貧乏性だなぁ……伯爵令嬢のくせに」
「なんだとっ!? シンだってこの前王都で『串焼き一本おまけしてくれよ』なんて言っていただろうっ!? 金は腐るほど持っているくせにっ!」
「あ、あれはおっちゃんとの会話の一種というか――」
ポカンとしている俺を除いて、セラたちはわいわいと楽しそうに話をしている。
ライカが消えたというのに、何も知らずに、気付かずに。
彼らが俺を暖かく迎えてくれたことが嬉しく、そして仲間が消えているのにもかかわらず、普段通りに話す彼女たちの姿がとても悲しく思えて、俺はその場で再び嗚咽を漏らし、年甲斐もなく大泣きしてしまった。




