85 約束
セラ視点のお話です!
ばたん――と、玄関扉の閉まる音が聞こえる。
今にも泣き出してしまいそうな声で『行ってくる』と言ったエスアールは、立ち止まることなく行ってしまった。躊躇がないというよりも、まるで私から逃げるような感じだ。
彼が話した内容は、にわかには信じがたいモノであった。
私には幼少期からつながりのある親友がおり、その子に仕えるメイド、そしてエスアールの4人でダンジョンで活動していたと、彼は言った。そんな思い出は、私の中に存在していない。
さらには、私はその親友のために、命がけでBランクダンジョンを踏破しようとしていたらしい。
確かに、私はBランクダンジョンを踏破してエリクサーを手に入れようとしていたが、それはあくまでこの国の民として、王女を救いたいという思いからだった。私の記憶と、彼の言っている内容は大きく違う。
……もし、彼の言うことが真実だったとしよう。
そして私がエスアールの立場になったとして、親しい人間が消えているのにもかかわらず、周りがそのことに気付いていないことを想像してみよう。誰に話をしても、理解されなかったとしよう。
「辛い、だろうな……」
孤独だ。それはあまりにも、寂しい。
周りにどれだけ人がいようが関係ない。彼はきっと相当な精神的孤独を味わっているはずだ。それがいったいどれほどの苦痛なのか……考えるだけでも吐き気がしてきそうである。
「私にできることと言えば――エスアールを信じることぐらい、だろうか」
彼はいま、私の親友とやらを救うために動いているらしい。
彼が家を出る前に言っていたことから予想して、十中八九、Aランクダンジョンを50回踏破し、三次職に転職。そしてSランクダンジョンへと向かうのだろう。
はたしてそれが正しい行動なのか、間違った行動なのか、私にはわからない。
でも、彼を助けたかった。彼を一人にさせてはいけないと、私の中の何かが訴えている。
そんなことを考えていると、頭の中でとても綺麗な真っ白な髪の少女――のっぺらぼうの誰かが言った。
『セラが勇者様の支えになってあげてね』
もしかすると、この少女がエスアールの言うフェノンという人物なのだろうか? ただの私の妄想かもしれないが。
「どうしようか……」
手伝いたいのは山々だが、私の力では彼の足手まといになるのは目に見えている。実力がかけ離れているのは、日々のダンジョン生活で嫌と言うほど思い知っているから。
かといって私一人で高難易度のダンジョンへと潜り、危険なレベル上げをしようとすれば、彼との『約束』を破ることになってしまうし――約束……?
「――っ! そうだっ! 私はエスアールと約束したじゃないか! 『危険な真似はしない』『裏切らない』『彼の言うことを信用する』と! なんでこんな大事なことを私は忘れていたんだ!?」
今、はっきりと思い出した。彼はまだ仲が悪かった私に対して、強くなりたいのならこの三つを守るように言ってきたのだ。
おそらく、その時の私があまりに危なっかしい状態だったから、そんな提案をしてくれたのだろう。放っておけば死んでしまう――そんな状態だったのかもしれない。
そうだそうだ。確かに、その時の私はそんな感じだった気がする。
しかし――、
「リンデール王国民の一人であるとはいえ、私はなぜあんな無謀なことをしようとしていたのだろうか……?」
第一王女を救うために、はたして私は命を懸けようと思うだろうか?
……いや、強制でもされないかぎり私はそんなことをしないだろう。薄情かもしれないが、我が身のほうが大事だ。エスアールが話した通り、幼少期からの付き合いがある親友のためならば、そんな無茶な真似をしたのかもしれないが。
やはり記憶が混乱しているというか、もやがかかっているというか、変な感じだ。
「――ふふふ。なんだ、やっぱり正しいのはエスアールということじゃないか」
も、もちろん最初からエスアールのことを信用していたとも! なんといっても、約束したからな! 忘れてたけど。
いま悩んでいたのは、様々な側面からの考察によりエスアールの言葉の正当性を探ろうとしただけであって、決して疑っていたわけじゃない。違うったら違うのだ。
私はいったい誰に言い訳をしているんだ……? まあいいか。
エスアールがおかしくなってしまったのではなく、自分たちの記憶が書き換わってしまっているというのに、なぜか私は嬉しくなってしまった。
だが、
「……そうか。私は、消えるのか」
エスアールの言葉が真実ならば、私はそう遠くない未来にこの世を去るのだろう。フェノンという名の親友や、メイドのように。世界中すべての人に忘れられ、煙のように消えていくのだろう。
「エスアールが覚えてくれているのなら、十分すぎる気もするけどな」
口の端を吊り上げ、ゆっくりと立ち上がる。
迅雷の軌跡に会いに行こう。そして、彼の話した内容を彼らにも伝えよう。
エスアールの弟子であり、苦難をともにした彼らならばきっと真剣に考えてくれるはずだ。
私がまだこの世界に存るうちに、できることをしよう。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
エスアールがAランクダンジョンに向かった二日後。
私は王都にて迅雷の軌跡とコンタクトをとることに成功した。彼らはちょうど陛下に謁見するために王都に来ていたようで、スムーズに話をする場を設けることができた。
前人未到のAランクダンジョン踏破を成し遂げただけあって、迅雷の軌跡は各所からひっぱりだこになっていたようだが、ギルド経由で『エスアールのことで大事な話がある』と伝えると、すぐに会えることになった。
おそらく、まだAランクダンジョンの踏破報告を師匠であるエスアールにできていないことが、気がかりだったのだろうと思う。私ならば真っ先にエスアールに報告したいと思うからな。
防音になっているギルドの会議室を借りて、迅雷の軌跡3人と向き合う。
「――ということなんだ。エスアールだけが、この異常事態に気付いている」
勝手に話してよかったのだろうか――? と一抹の不安がよぎりつつも、口止めはされていなかったから大丈夫だろうと自分を納得させる。
私の話を聞いたシン、スズ、ライカの3人は、しばらくの間呆然としていた。
「冗談を言っている感じじゃねぇな……マジかよ」
「Aランクダンジョンを踏破してからかしら? セラの言う通り、少し思い出せないことが増えた気がするの。気のせいかもしれないけど」
ボケたわけじゃないよな? と呟いたシンの頭をライカが引っぱたく。痛々しい音がした。
場の空気を和らげるためか、シンが多少おどけた発言をしたものの、彼らは私の話を笑い飛ばしたり、バカにすることなく真剣に考えてくれていた。おとぎ話の中にでもありそうな、信じがたい内容であるのにもかかわらず――だ。エスアールに恩を感じているからこそ、こんな風に悩んでくれるのだと思う。
スズに至っては目を瞑り、腕組みをしながら眉間にしわを寄せていた。
私の記憶では、こういう時に一番頭が働くのはこの神官の姿をした少女だ。少女といっても、スズの年齢は私よりも上なのだけど。
やがてスズは、深い眠りから覚めたかのようにゆっくりと瞼を持ちあげた。そして、口を開く。
「おそらく、彼が召喚された人間――別の世界の住人ということが関係していると思うです。この世界にだけ影響を及ぼす何かの力が働き、私たちは記憶を書き替えられた。そして、エスアールはその影響を受けていないために、私たちの以前の姿を覚えている――そう考えれば、つじつまが合うです」
「きっかけはAランクダンジョンの踏破かしら?」
「タイミング的には、それが一番しっくりくるですね。それに、6つのSランクダンジョンがセラたちの家の周囲にできたことを考えると、この世界を変えてしまった何者かは、エスアールにダンジョンを踏破させようとしているのだと思うです。というか、それ以外に考えられないです」
スズが淡々とした口調でそう言うと、シンがその隣で大きなため息を吐いた。
「ってことは、俺たちもいずれ消えるのか……抗うこともできないってのがな……」
「その時はその時よ。エスアールはこの世界を元に戻すべく動いているのよね? なら私たちのお師匠様が全て解決してくれることを信じましょう。彼は強いから、きっと大丈夫よ」
「バカみたいに強いですからね」
そう言って、スズとライカがクスクスと笑う。
私から見ると、それはどこか悲しげにも見える笑い方だった。もはや笑うしかないといった感じなのだろうか?
そんな二人に挟まれた場所にいるシンが、場を仕切り直すように手を二度打ち鳴らす。視線が彼のもとに集まった。
「お前さんの話はわかった。じゃあエスアールの話した内容が真実だということを前提に、これからどうするか考えるとするか」
「そうね」
「ですです」
そう言って、迅雷の軌跡の三人は笑う。私も『久しぶりにリーダーらしいところを見たな』と笑ってしまった。
迅雷の軌跡が浮かべる好戦的な笑みは、なんとなく私の大切な人に似てきているような気がした。
『勇者様の支えになってあげてね』という発言は
13 恋する乙女
のお話に出てきます!
ここまでを第3章とすることにしました!
どうぞ第4章もよろしくお願いしますm(*_ _)m




