84 戦闘狂は孤独を望む
Sランクダンジョンが出現して、1日が過ぎ、3日が過ぎ――あっという間に一週間が経ってしまった。
この壊れた世界をどうにかするために俺にできることといえば、謎の声を信じてベノムを倒すことぐらいしかないのに、俺は未だに家から出ることができずにいる。
家には沢山の来客があった。
王家の関係者からギルド関係者、友人を名乗る聞いたことのない探索者までやってくる。
俺が名前を知らないということは、歯車の欠けた世界を正常に動かすために、辻褄合わせで補填された人物なのだろう。知らねぇよ。
「世間的には、おかしくなったのは俺のほうだと思われてるんだろうな」
ベッドで寝返りをうち、枯れた声で呟く。
そりゃそうだ。
たった一人だけ、言っていることが違うのだから。頭がおかしくなったと思われても仕方のない話である。
「怖くて悪いかよ……」
引きこもり、現状から逃げている自分を、自身の言葉で擁護する。
人と会うのが怖い。
いままで接してきた友人や知人が、記憶を改ざんされてしまっていることが怖い。もはやその人物は、俺の知る人とは違うのだから。
外に出るのが怖い。
当たり前のようにあった風景。当たり前のようにいた人物が、消えてしまっているのが怖い。
いつどこで何が消えていくのかもわからないというのに、まともな神経でいられるほうがどうにかしている。
ベノムと戦うのが怖い。
寝ている間に、俺は何度もベノムと戦うことを頭で思い浮かべた。
敵がゲーム内の決められたパターンで動き続けてくれるといいが、この世界の魔物は、ゲームと若干動きに違いがある。
ベノム戦においてその『若干の違い』は、俺を死に至らしめるのに十分過ぎる要素だ。
一度死んでしまえば、エリクサーでもどうにもならない。ゲームオーバーだ。
もういっそ、全てが消えてしまうまでこの家で待っていようか。
その時、俺も一緒に消えてしまうのかはわからないけど、何も考えずに済むのならそれでもいいかもしれない――なんてことも考えてしまう。
「こんなことになるなら……」
このVRの世界に生まれ変わるなんて、初めから無くてよかった。セラやフェノン、シリーたちとの思い出なんて、失うことになるなら最初からいらなかった。
元の世界に帰れるのならば、今すぐに帰してほしい――、
なんて、
「思うわけがないよなぁ」
苦笑し、手を大きく振って反動を付けてから、ベッドから起き上がる。ずっと寝ていたからか、立ちくらみでふらついた。頬を叩き、気合いを入れる。
「冗談じゃねぇ。ゲームの運営だか神様だか悪魔だか知らないが、思い出まで奪わせるかよ。ふざけんな!」
俺はこの世界で過ごしたことを、無かったことにしたくはない。
みんなと過ごした日々は、必ず俺が取り戻す。この世界に住む全人類が、俺の言葉を信じてくれなかったとしても、みんな消えたとしても、記憶を失ったとしても、俺を忘れたとしても、元に戻してやる。
「上等だ、クソガキ」
どのみち、こんな世界で生きるのは死んだも同然――ならばベノムと戦って死ぬことになっても、失うものは俺の命一つだけだ。挑戦するしかないだろ。そして、勝つしかないだろ。
選択肢なんて、最初から無かったのだ。
「ベノムだろうが神だろうが、俺の日常を壊すのなら、細切れにして殺してやる」
俺は一度ベノムを倒し、テンペストの頂点に君臨した。
スズあたりが、俺のことを『戦闘狂』だなんて言っていたけど、あながち間違いではないのかもしれない。不本意だけど。
現実世界で至って平凡だった俺には、戦闘ぐらいしか、魔物を倒すぐらいしか、誇れるモノはなかったのだし。
ならばお望み通り、狂ってやろう。
戦闘に明け暮れる日々を、また始めよう。
ベノムを倒すために、世界を取り戻すために、思う存分暴れてやろう。
「ははっ、今日はいつもより『目』の調子が良さそうだ。よく寝たからか?」
ダンジョンに潜るには最高のコンディションだ。
いつもより、よく視える。
俺は深呼吸してから、部屋の扉を開けた。
善は急げ、Aランクダンジョンに向かって、さっさと50回踏破を成し遂げよう。三次職に転職して、Sランクダンジョンだ。
時刻は午後5時を過ぎたあたりだし、2周はできるだろうか? いや、もうこの世界の規則なんて無視して、延々と潜り続けてもいいかもな。
そんなことを考えながら、俺はセラがいそうな場所に向かっていった。
リビングへ向かうと、ソファから立ち上がりこちらに驚いた表情を向けるセラの姿があった。
こうして顔を合わせるのは久しぶりだ。ずっと彼女と話すのを避けて、寝静まったころにトイレや食事を済ませていたし。
「セラ、俺が誰だかわかるか?」
記憶が無くなるのは、その人物がこの世界から消えた時だとはわかっているが、確認のために問いかける。
もし彼女に『誰だ貴様は!』なんて言われたら、さすがにへこむな。
「わかるに決まってるじゃないか」
泣きそうな顔になりながら、セラはそう答える。
彼女の中で、いったいどのような感情が渦巻いているのかはわからない。引きこもっていた同居人に突然そんなことを言われたら、悲しい気持ちにはなりそうだけど。
だが、余計なことを聞いたり、話すつもりはない。彼女が何を言おうと俺の行動方針に変更はないのだから。
「俺は今からレーナスに食料を買いに行く。そして、それからはAランクダンジョンに籠るつもりだ。おそらくこの家に帰ってくるのは、寝る時だけだと思うから――」
「私も一緒に行く!」
切羽詰まったような表情で、彼女は言う。だが、俺は首を横に振ってその申し出を拒否した。
「何故だ!? いままでだって、ずっと二人で潜ってきたじゃないか!?」
子供が駄々をこねるかのように、彼女は涙目になってしまっている。
違うんだ、セラ。
二人じゃなくて、ずっと四人でやってきたんだ。泣きたいのはこっちだっての。
俺は興奮しているセラのすぐそばまで歩いていって、背後から彼女の両肩に手を掛け、無理やりソファに座らせる。そして、頭に手をポンと乗せた。
「信じてもらえないだろうけど、セラには話すよ。俺から見たこの世界が、今どんな状況なのか」
お前には命を懸けてでも救いたいと思える、親友がいたんだぞ――と。
そしてシリーのこと、レグルスさんのこと。
世界はいままさに、壊れている真っ只中だということを。
そしてそれは、俺にしか認識できていないということを。
およそ10分の時間を掛けて、ゆっくりと話した。
「もし目の前でお前が消えたら、きっと俺は物凄く動揺してしまう。それが戦闘中だったらかなり危険だ。だから、俺一人で行かせてくれ。セラの親友を……俺の大切な人たちを、救いたいんだ」
「………………」
「……じゃあ、行ってくる」
最後にもう一度、セラの頭を軽くポンポンと叩いてから、俺は家から出た。結局、彼女はこちらを振り返ることも、返事をすることも無かった。
きっと、俺の話が荒唐無稽すぎて混乱しているのだと思う。逆の立場だったら、俺もそう簡単に信じられないだろうし、仕方がない。
別に信じてもらうために話したわけじゃない。
あわよくば――とは思っていたが、そこまで期待しちゃいない。
ただ、嘘を吐いて説得するよりも、真実を話したほうがいい。そう思ったからだった。
セラと会うのは、これで最後になるかもしれない。もう二度と、話すことはないのかもしれない。そんな可能性も、十分に有り得る。
俺は目をつむり、脳裏に背筋を丸めたセラの後ろ姿を焼き付けながら、一人、レーナスの街を目指した。
インベントリには、渡す機会を失ってしまった指輪とネックレス、そして花束が静かに眠っている。いつか、三人に渡すことができたらいいな。
風に乗って、目じりからひとつぶ涙が流れていった。




