72 とある休日 withフェノン
レーナスの近くで暮らすようになってから、だいたい半年が経過した。
日々のダンジョン通いにより、全員のレベルは上昇。メンバーの三人は技術的にもかなり上達したと思う。俺は楽しんでいるからいいのだが、彼女たち全員がこんな日々を望んでいるのかは不明。一応、口では『楽しい』と言っているけれど。
教える立場の俺も、自分の戦い方を見つめなおすいい機会となった。
ベノムのような理不尽な強さの魔物と何百回も死闘を繰り広げている俺からすれば、Bランクダンジョンの魔物など、もはや赤子同然。
そんなことを思っていたのだが、どうやらまだ俺は強くなれるらしい。限界を定めていたのは、俺の身体能力ではなく心のほうだったようだ。
「絶好の行楽日和だなぁ」
出かけるわけじゃないが。家最高っ!
今日は珍しく、フェノンと二人きりの休日だ。
フェノンとシリーがセットでいることが多い関係で、セラと二人になることはあっても、フェノンはその機会が少ない。
前世の俺ならば『どんな話題を話せばいいだろうか』と頭を悩ませていることだろうが、毎日のように女性に囲まれて過ごしたおかげで、今では無駄に緊張することもない。
それが良いことなのか悪いことなのかはわからんが。
本日、シリーは王城に経過報告に向かっており、セラは実家に顔を出しに行っている。
俺たちの家の周囲には公爵家と王家の兵士が常に警備をしているから、完全な二人きりかと問われれば否である。なんともイチャイチャしづらい環境だ。しないけどさ。
彼らは別々の所属の兵士だが、なかなかどうして上手くやっているようだ。違う鎧を着た兵士たちが談笑しているのをよく見かける。平和なのはいいことだが、ちゃんと仕事もしてくれよ?
ウッドデッキのテーブルに上半身を倒し、緑と青の景色を眺める。
日本じゃ田舎に行けば似たようなモノが見られるかもしれないけど、ここまで広々とはしてないだろうな。方角によっては、草原と空の境界線も見えるし。
「本当、いい天気ですね。どこかに出かけますか?」
「いや、ここが良い……気持ちいい」
穏やかな風と、ほんのり温かい日差し。気を抜けば寝てしまいそうだ。
俺はふと思い立ち、向かいに座るフェノンに顔を向ける。
といっても、テーブルに頬を付けていた体勢から、顎を付ける体勢へと変えただけだが。腕はだらんとテーブルの下に垂れ下げている。
「もしかしてどこかに行きたかったのか? 買い物は午前中に済ませたし、俺で良ければ付き合うぞ」
俺の問いかけに、フェノンは首を横に振る。
「特に用事があるわけではないですよ。エスアールさんと過ごせるだけで幸せです」
「ははは、それはどうも」
俺は軽く笑ってから、再び頬をテーブルに付ける。照れ隠し。
彼女のストレートな好意には未だに慣れないんだよなぁ。
俺の外見が綺麗に整ったアバターでなく、地球でのものだったら彼女の対応も変わったのだろうか?
――なんて、捻くれたことを考えてみたり。
「エスアールさんがこの世界に来てから、もうすぐ一年ですね」
フェノンは俺に話しかけるというより、独り言をつぶやくように言った。
ちら――と目を向けると、彼女の視線は俺が先ほどまで見ていた景色にそそがれていた。その横顔は普段の無邪気な少女のものではなく、大人の女性のもの。
彼女は俺に目を向けずに、問いかけてくる。
「元の世界が恋しくはありませんか?」
地球――日本……か。
「……少なくとも、戻りたいとは思ってないな。確かにこの世界は前の世界と比べると文明が遅れているし、ダンジョン探索なんて危険な仕事もある。だけど俺にはこっちの世界のほうが合ってるみたいなんだよな。なによりも、セラやフェノンたちをおいて元の世界に帰りたいとは思わん」
これは偽りない俺の気持ちだ。
車が欲しいとは思うし、スマホが無いのも不便。だけど、それ以上に魅力的な物がこの世界にはたくさんあるから。
「エスアールさんが無理してないかと不安だったので、それを聞いて安心しました」
彼女は俺に笑顔を向けると、そのまま話を続ける。
「エスアールさんがこの世界にやってきてくれたおかげで、私は今もこうして生きています。セラと笑いあえるのも、シリーとお喋りできるのも、貴方がくれた日々です。……たまに考えるんですよ、あの時召喚された人がエスアールさんではなく、勇者の職業を持つ別の人だったら――と」
「どうなってたんだろうな」
「わかりません。救われていたのか、見捨てられていたのかすらも。ただ、こうして同じ家に住んだりはしなかったでしょうね。探索者にもなっていなかったと思います」
「ダンジョンは苦手か?」
「とっても楽しいですよ! エスアールさんのおかげで自分が日に日に成長するのがわかりますし、『仲間と協力してる』って感じが好きです! でも、やっぱりそれはエスアールさんが一緒にいるから――っていう前提があるんだとは思いますが」
へへ――とやや恥ずかしそうにしながら、フェノンが言う。
本当に。
本当に彼女は俺のことが好きなんだな。
だけど、こんな可愛らしい女の子に好意を寄せられる俺は、本当にそれだけの価値がある人間なんだろうか。地球での俺を見かけても、彼女は俺に興味すら抱かなかっただろうし。
「今の俺の外見は、元の世界のモノじゃない。言ってしまえば偽物だ」
話の流れをぶったぎって、俺は愚痴るように言った。
フェノンが好きになったのは、この作り物のアバターなんじゃないのか? 俺の非モテ経験が、そんな疑問を浮かび上がらせる。
俺の言葉を聞いたフェノンは、驚いたように「そうだったんですか」と口に手を当てた。
「エスアールさんの容姿は、確かに素敵だと思います。ただ、私は貴方の外見を好きになったとは一度たりとも口にしていませんよ? エスアールさんが例えゴブリンのような顔をしていたとしても、私はきっと貴方に恋していたでしょう」
彼女は柔らかい笑みを浮かべ、少しだけ頬を赤らめた。
とても嬉しいことを言ってくれているのだが、例えがひどすぎやしないか?
「……ゴブリンを異性として見るような女の子は、正直ちょっと引くんだが……」
「例え話です!! 本物のゴブリンを好きになるわけじゃありません!!」
「はははっ、冗談だよ」
彼女は「もうっ!」と言って頬を膨らませた。
俺はテーブルに肘をついて、拗ねたようにつんと顎を上げる彼女を眺める。
いつまでも、彼女の優しさに甘えるわけにはいかないよな。
フェノンは相変わらず、見返りを求めることなく俺に好意を寄せ続けてくれている。
彼女は『そろそろ私のことを好きになってくれましたか?』なんて聞いてこないし、『結婚してください』と俺に返事を強制するようなことも言わない。
『好き』のアピールはすごいけど。
俺は考えなければならない。
フェノンのこと、セラのこと――そして、自分自身の気持ちを。




