53 剛柔併せ持つ者
「穴があったら入りてぇ……」
周囲の視線から逃れるため、俺は膝を抱え込み、その中に頭を埋めていた。
タチの悪い夢であって欲しいと願うが、シンがゲラゲラと笑いながら背中を叩いているせいで、頬をつねるまでもなく現実だとわかってしまう。痛いわボケ。
セラがレイさんとステージ上で向き合ったとき、遠目で見ても動揺しているのが俺にはわかった。
普段から彼女のことを傍で見ていたからか、普段との差異は一目瞭然。他の観客たちが彼女の異変に気づけたのかは定かでない。
「元気だせって! お前さん、格好良かったぞ――くくっ」
ようやく大声で笑うのをやめたと思ったら、今度は堪えるように小さく笑う。余計に腹立つな!
「笑うなっ! あんなに声が響くとは思わなかったんだよ!」
「エスアール、注目されてたです――ふふ」
「あんなに笑ったのは久しぶりよ」
「――ったく、他人事だと思いやがって……」
すっかり笑い者にされてしまった。
俺も他の誰かが同じ状況になったなら笑ってしまいそうだが、それとこれとは話が別だ。いつか絶対に仕返ししてやろう。
ぶつぶつと悪態を吐きつつも、俺は視線を闘技場の中心に向けた。
そこには、先程とは随分と雰囲気の違うセラの姿。やや俯き気味だった姿勢も、今ではしっかりと背筋が伸びている。
もしそれが俺の叫びの効果であるのならば、恥をかいたのは無駄ではなかったということだ。是非そうであってほしい。
距離をとった二人の中心で、審判を務めるレグルスさんが何かを話している。おそらく勝敗の決定方法や、反則などの再確認をしているのだろう。
セラとレイさんが頷いたことを確認すると、レグルスさんは後ろへ数歩下がったのち、観客たちにも聞こえるような大声で「始めっ!」と叫んだ。
瞬間。
二人は真正面から激突し、剣と剣がぶつかり合う。じりじりと、お互いの力押し合うような形となった。
切れないように刃は潰してあるらしいが、木剣ではないため、手にはそれなりの衝撃が伝わっているはず。刃が無いからといって、受けるダメージがゼロになっているわけではない。
この試合は、つい先程まで行われていた新職業のお披露目が目的ではなく、Bランクダンジョン踏破者の実力を示すための舞台だ。
シンから得た情報を信じるのならば、レイさんは剣豪のレベル80で試合に臨んでいる。全力の試合をするのであれば、レベルの低い派生二次職よりも、成長限界まで鍛えた職業を選択するだろう。
そしてそれはセラも同じ。
彼女の職業も一番レベルの高い剣豪だ。
確か、レベルは65ぐらいだったか?
レベルだけ見れば、彼女は兄に劣っている。だが――、
「おいおい……セラが力で押してるぞ。すげぇ光景だな」
多数のプレイヤーボーナスを得ている彼女は、ただ単に剣豪だけを鍛えた兄の力を上回っている。レイさんのSTRはCだが、セラはBだ。
兄と比べ身長も低く体重も軽いセラが、力だけで相手の剣を押し返している様子は、シンの言う通り中々見ることのできない光景だろう。
レイさんはセラの力を前に、一瞬動揺した様子を見せたが、すぐに体勢を立て直し、素早く距離をとった。
セラも小手調べのつもりだったのだろう――深追いすることなく、落ち着いた雰囲気で剣を構え直した。
待ちの姿勢を見せるセラに対し、レイさんはすぐさま剣を振り上げ、「うぉおおおおおっ!」と大声を上げながら特攻する。
斜め下に向かって振り下ろされた剣を、セラはまるで力の入ってないような剣さばきで対応した。やる気がないのではなく、無駄がない。
剣筋を僅かに逸らしただけだが、レイさんの剣はセラを捉えることができずに石畳を叩く。
地面に振り下ろされた剣を流れるような動作で踏みつけ、兄の動きを封じた彼女は、相手に次の手を考えさせる間もなく、首筋に剣を当てた――と思ったら、レグルスさんが勝利のコールをする間もなく、後ろに下がって再び正面に剣に構えた。
不可解な行動に、闘技場にいる観客たちはざわめき始めた。
何やってんだ? 今ので勝負は付いてただろ?
俺だけじゃなく、勝負を見ていたシンたちも頭の中に疑問符を浮かべていることだろう。おそらくだが、会場にいる全ての人間が『なぜ?』と思っているに違いない。
先程の攻防は、最初の激突とは打って変わって、まるで蝶が舞うように――物語のお姫様がダンスを踊るように――見る者を魅了する綺麗な動きだった。
まさに一瞬だった。
呆気なく勝負がついてしまったのは、俺としても確かに物足りないと思ったが、彼女の意図はなんだろうか?
「セラさん、なにやってるですか?」
「わからない――が、あの動きはエスアールに通じるものがあるな」
「それ、私も思ったわ……ところで彼女の行動の意味、エスアールはわかる?」
「いや……本人からは何も聞いていない」
ずっと勝てなかった兄に勝利できるチャンスだったというのに、本当になぜだろう?
首を傾げながらチラっと王族たちが居る場所へと視線を向けると、いつもの雰囲気とは全く違う、純白のドレスに身を包んだフェノンさんと目が合った。
あのお淑やかで上品な姿を見ると、ダンジョンに潜っている時のイキイキとした彼女は、まったくの別人なのではないかという疑問さえ生まれてしまいそうだ。
彼女は俺の顔を見てニコニコと笑みを作ると、両手をパーの形にして、手のひらを俺に向けた。そして、右手の親指を一つ折る。
『おぉっ!!』
フェノンさんの謎の動作を見ていると、観客たちが一斉に声を上げた。
慌てて視線をステージに戻すと、兄の額に剣先を突きつけるセラの姿。
しかし先程と同じく、すぐに後退して勝負を仕切り直していた。
わからん――マジでわからんぞ。
思わず眉を寄せ、フェノンさんへと視線を戻す。すると親指に続き、人差し指も畳まれていた。
何かをカウントしている? 両手の指ということは、10回分か?
10回の勝負……そういえば最近どこかで同じようなことが――っ!?
「なるほど……」
そういうことか。
そんなところまで真似しなくても良いんだがな。
俺は試合を眺めながら、思わず苦笑してしまった。
彼女がやろうとしているのはおそらく、俺がレーナスのギルドマスターに対してやったのと同じこと――『圧倒してみせてくれ』と言った彼に、俺が技量を示すために行なった10本勝負だ。
それを彼女は、この大勢の観衆の前で実践しようとしている。
つまり兄を圧倒しようとしているのだ。
「なんだ? エスアールはわかったのか?」
俺の呟きに素早くシンが反応する。
「たぶんな……まぁ見てろよ。残り8本だ」
再び決着が付きそうになるが、セラは『終わらせてたまるか』とでも言うように、素早く後ろへ下がる。これで残り7本。
審判役のレグルスさんは、セラの不可解な行動に対して呆然としているのか、それともセラの急成長に驚いてるのか――ともかく、審判役としてまともに機能しておらず、ただただ試合を眺めていた。
ギルドマスターともあろう人がそんなことでいいのかとツッコミたくなる。もう審判役の仕事が回ってこなくなるぞ?
その後も、セラの快進撃は続く。
レイさんのような、力強い『剛』の戦い方をしたかと思えば、俺が指導した『柔』の戦術に変化したりする。
レイさんとも違う、そして俺の戦い方でもない。
彼女は俺の想像を超え、強くなった。
あの独特な緩急の付け方は、俺でさえ真似できそうにない。少なくとも、それなりの期間訓練が必要だろう。
レイさんはどんな気持ちだろうか――悔しいのか、嬉しいのか、それとも楽しいのか。しかしそれは彼の表情から察することはできない。
レイさんは至極真剣な表情で勝負に臨んでいたからだ。
そして10本目。
セラはレイさんの持つ武器を巻き上げるように剣を操り、相手の手から攻撃の手段を奪った。カランカランと寂しげな鉄の音が会場に響く。
俺がダンジョン探索の時、武器を持つ魔物相手にお遊びで見せた技だったが、いつの間にか自分のものにしていたらしい。
いや習得早すぎだろ。あれこそチートだわ。
それからセラは、ゆっくりとした動作で剣をレイさんの頭に下ろす。
攻撃とは言えないような動きだったが、レイさんは躱そうとすることなく、その攻撃を受け入れた。効果音としては『ポン』が適切だろう。
数秒の間静まり返った闘技場は、次の瞬間、けたたましい歓声で溢れかえった。
レグルスさんが勝者の名を呼ぶまでもなく、観客たちがセラの勝利を認めたのだ。




