52 勇者の弟子
セラ視点でございます!
『お前は筋がいい、すぐに俺を超えるだろう』
一つ上の兄であるレイ兄さんは、私に初めて稽古をつけてくれた日、朗らかな笑みを浮かべながらそう言った。私が15歳になった時のことだ。
兄に稽古をつけてもらっているうちに私の剣術はめきめきと上達し、ついには王国の騎士団に所属する騎士相手に、模擬戦で勝利を収めることができるようになってきた。
相手をしてくれたのが新人だったとはいえ、それでも騎士団に所属できる程度の実力はある。レイ兄さんを始めとして、家族は私の成長を大いに喜んでくれた。
だが、一度として私が兄に勝てたことはない。
私が成長するよりも早く、兄は強くなっていったからだ。
レイ兄さんが騎士団最強の肩書きを手に入れてからだろうか――私は兄に負けることを『仕方のないこと』と思うようになってしまった。
兄に言われた『すぐに俺を超えるだろう』という言葉は、実現することはない――そう思っていたのだ。
「……セラ、本当にやるのか?」
大勢の観衆に囲まれたステージの上で、レイ兄さんが不安そうな表情で問いかけてくる。獰猛な顔つきからは想像しづらいが、兄は昔からとても優しい性格をしていた。
おそらく、兄はこの試合で勝つのは自分だと思っている。
特別ゲストとして招かれた私が恥をかいてしまうことを気にかけて、あんな表情をしてしまっているのだろう。
本当に不甲斐ない――が、私はつい最近レイ兄さん相手に負けを喫しているのだ。心配されるのも仕方のないこと。
「……私は負けない」
自分でも、普段の声と違っていることがわかる。固く、余裕のない声だ。
「そうは言うがな……見てみろこの人の多さを。ここで万が一セラが負けてみろ――いよいよ変な噂が止まらなくなるぞ」
「そんなことはわかっている!」
やはり、レイ兄さんも知っていたのか。私や師匠が、迅雷の軌跡に付いていっただけという根も葉もない噂を。
いや……師匠はともかく、私に関してはそう言われても仕方がないのかもしれないな。
事実、私の代わりに他の人物がBランクダンジョンの踏破に参加したとして、結果は同じだったはずだ。私より強い探索者など、この世界には大勢いるのだから。
レイ兄さんが参加していたほうが、すんなりと探索は進んだのかもしれない。
師匠は迅雷の軌跡たちと戦えば、実力を証明することなど容易いだろう。
むしろ、彼は実力を隠したがっている節があるし、さほど噂に関して気にしていないのかもしれない。それに、私が心配するまでもなく問題があれば師匠は自ら解決してみせるだろう。それだけの力が、彼にはある。
「勝ってみせる……」
私は自分に語りかけるように呟いた。
負けられない、絶対に負けられない試合なのだ。
誰かを救うためでもなければ、誰かの栄誉を守るためでもない。
自分のプライドを守るための戦いだ。
気が付けば私は、骨が軋む音が聞こえてきそうなほど強く剣を握りしめていた。
震える剣先に目を向けたレイ兄さんは、眉を寄せながら私のすぐ近くまで歩み寄ってくる。そして周囲に聞こえないような小声で話しかけてきた。
「まったく……ガチガチじゃないか。引き分けに見えるよう、俺が上手く立ち回ってやるから――「必要ないっ!」」
思わず、レイ兄さんの語りかけてきた言葉を遮って叫んだ。
「そろそろ試合が始まる――レイ兄さん、距離をとってくれ」
「だがな……」
私の言葉を受けても、レイ兄さんは難しい顔を浮かべるだけでその場を動こうとしなかった。心配してくれているのだろうが、その優しさが今の私には辛い。
審判を務めている顔なじみのギルドマスターは、困ったような視線を私たちに向けている。
そして、ついには観客たちがざわつき始めてしまった。
一向に試合を始めようとしない私たちに対して『何やってるんだ』という不満の声も上がる。
そんな時だった。
『俺を信じろっ!』
観客たちのざわめきを押しつぶすような大声が闘技場に響き渡る。
まるで怒鳴っているようなその声は、王族や迅雷の軌跡たちのいる貴賓席がある方角から聞こえてきた。
『お前は誰の指導を受けたと思ってんだっ!』
聞き違えるはずもない。ここのところ毎日聞いていた――師匠の声だ。
一斉に静まり返る観客たち。
ギルドマスターもレイ兄さんも、声がした方角へ視線を向けている。ざわついていた観客たちも、あまりにも大きな声量に驚いた様子で、声を失い彼がいるほうを見ていた。
そして私ももちろん、師匠が座る座席へと目を向けた。
そこには顔を両手で隠し、なにやらクネクネと悶えている師匠の姿。
彼の隣に座るシンが、師匠の背中を笑いながら叩いている。そしてスズやライカも腹を抱えて笑っている様子。なんだかあの場所だけ周囲と空気が違うな。
「――ふふっ」
自分が緊張していたのがバカバカしく感じるほど、愉快な動きをしている。いったいなんだアレは? スライムの真似ごとか?
「何をやっているんだか」
まったく……師匠のせいで対戦相手の前だというのに、笑いが零れてしまったではないか。
「あの方がエスアール殿か?」
ニヤついたような顔で、レイ兄さんが私に向かって問いかけてくる。
兄がなぜそのような表情をしているのかはわからないが、質問に対する答えは簡単だ。
「あぁ。王国より『勇者』の称号を頂いている、私の師匠だ」
そうだ。
まるで神のようにこの世界の秘密を知っており、他に類を見ない実力を持つ彼は、私の師匠なのだ。
そして私は――勇者の弟子だ。
「師匠は強いぞ。彼はこの後パーティ戦で迅雷の軌跡と戦うことになっているから、レイ兄さんもその卓越した戦闘技術を見て学ぶといい」
「それは楽しみだ――だがその前に、セラとの試合を楽しむことにしよう。いい顔つきになったじゃないか。彼の声援のおかげか?」
「さぁ、どうだろう。それと――レイ兄さんが私との試合を楽しめるかはわからないぞ」
確かに私はレイ兄さんに負け続けてきた。
だがそれは、師匠に指導を受ける前の話だ。
私は、師匠のおかげで強くなったのだ。
師匠は私にこう言ってくれたじゃないか――『使いこなせばセラの力だ』と、『自信を持て、胸を張れ』と!
「レイ兄さんには悪いが、この勝負、勝たせてもらう。いや――」
私は自分の左手にはまる指輪に視線を落とした。
師匠からもらった、鮮やかなグリーンの宝石が輝く簡素な造りの指輪。
仮にこの指輪がパーティのものでなく、私自身に与えられたものだったとしよう。
いくらお金を積まれようと、どれだけ豪華な宝石を差し出されようとも、私がこの指輪を手放すことはない。この指輪に能力を強化する効果が無かったとしても、その気持ちは変わらない。
彼が私のことを想って、与えてくれたこの指輪。
指輪を貰ったときのことを思い出すと、胸が温かくなる。耳も熱くなる。
彼の期待に応えるためにも、ただの勝ちでは物足りない。
勝って当然――勝利のその先を、私はもっと上を目指さなければならない。
「――圧倒させてもらう」
師匠がレーナスのギルドマスターであるライレスに実力を認めさせたときのように、私もレイ兄さんを圧倒して、今の実力を証明してみせよう。
自分の実力を信じきれているわけではないが、私の信用している師匠が、私を信じているのだ。
ならば、私にはそれができる。必ずできる。
私は勇者の――エスアールの弟子なのだから。




