40 黄金の右腕
「それで、今日はこんな時間にどうしたんだ? 事前に連絡も無しに、もしかして夜逃げか?」
ドラグ様はニヤニヤと笑みを浮かべながら、フェノンさんに向かって言った。対して、彼女は毅然とした態度でスラスラと答える。
「愛の逃避行と言ってほしいです」
ちゃうから。全然ちゃうから。
というか愛の逃避行だったとしたら、俺は超絶ハーレム野郎になってしまうじゃないか。しかも美人と美少女ばかりだし、世の男性諸君に夜道で刺される可能性が激増してしまう。
「あっはっはっ! 勇者にご執心という話も本当だったか!」
「もちろんです。彼は見ず知らずの私のために、身を粉にしてエリクサーを入手してみせた勇ましき御方――エスアール様以外の男性など、砂粒よりも興味ありません」
怖いよ王女様。もうちょっと穏やかな言い方をしてくれませんかね?
「そうかそうか、ならばエスアール君と俺はいずれ親戚になるわけだな。フェノンをよろしく頼むぞ」
勝手に話を進めるなよ。
だいたい、俺は一言もフェノンさんと結婚するとか言ってないからな? 今は恋愛ごとよりも、やりたいことが別にあるんだって。
俺は二人のやり取りを聞かなかったことにして、話の軌道修正を試みる。
「今日は公爵様にお願いがあって来ました――現在封鎖されているBランクダンジョンへの、入場を許可してください」
交渉のノウハウなんて知らないし、仮に知っていたとしても回りくどいやり取りは面倒だ。俺は直球勝負でドラグ様に要望を伝えた。
「私からもお願いします、叔父様」
俺の言葉のすぐ後に、フェノンさんも追撃してくれる。
ドラグ様は顎に手を当てて、少し悩む素振りを見せた。
「まさかとは思うが……フェノンもダンジョンに潜るつもりなのか?」
「えぇ。そのつもりです」
フェノンさんが答えると、ドラグ様は難しい顔で顔を横に振った。
「ダメだ、危険すぎる。自分が何をしようとしているのか、本当にわかっているのか? Bランクダンジョンは自らを極限まで鍛え上げた探索者が、命を落とすような場所だぞ?」
「承知の上です。それに、エスアール様やセラと潜るのですから、危険などありません――ですよね、エスアール様」
おっと、ここで話を振られるのか。
「そうですね。俺とセラがいるならば、フェノンさん――王女殿下に危険が及ぶことはありません」
ドラグ様は「ほう」と小さく呟き、品定めでもするような目つきで俺を見る。
なんで俺のほうだけ見るんだよ。セラのことも見ろよおっさん。
「……エスアール君やセラの実力については、俺では測ることができん。レーナスのギルドマスターに判断してもらうことになるだろう」
レーナスのギルドマスターっていうと、レグルスさんの弟だったよな? 確か名前は――ライレスさんだったか?
彼に関しては、いざとなればレグルスさんに連絡すれば大丈夫だろう。
俺が安堵の息を吐こうとしたところで、ドラグ様は「だがな」と言った。
「一度決めた規則だ、そう簡単に変更するわけにもいかん。勇者の称号を持つエスアール君や、フェノンの頼みでもだ。新たな職業が世間に馴染めば、封鎖の解除も考えているがな」
世間に馴染めばって……何ヶ月後の話だ?
ソロだったら今からでも潜りたいぐらいだってのに、そんなの待ってられるかってんだ。
フェノンさんとセラ、それにローレンツさんと同じく空気と化していたシリーさんにも目配せし、俺は満を持してインベントリから伝説の秘薬を取り出した。
無言でテーブルの上に置き、スっとドラグ様の前まで瓶を滑らせる。
「これはなんだ?」
「なんだと思いますか?」
質問を質問で返す。
失礼なことだとは思うが、ドラグ様は不満そうにする様子も無くエリクサーの入った瓶を手に取り、天井の照明にかざした。彼の顔が薄いグリーンに染まる。
「ポーション……ではないな。このような色のものは初めて見る」
ドラグ様は「うーむ」と唸りながら、エリクサーの入った瓶を眺めている。もう片方の手が健在ならば、顎に手を当てていることだろう。
先ほど義手で驚かせてくれた仕返しに、俺はハッキリとした大きめの声で、彼の持つ液体の正体を明かした。
「それはエリクサーですよ」
「――っ!? な、なん――っ」
ドラグ様はビクリと身体を跳ねさせた。その拍子に、彼の手からエリクサーの入った瓶がこぼれ落ちる。
「あぁっ!」とか「ひっ!」とか、そんな声が発せられると同時に、ガラスが割れる音、そしてパシャ――という液体が撒き散らされる音が鳴った。
しばしの間、全員が無言だった。
エリクサーが一つ減ったところで大した痛手ではない。まだインベントリにいくつか予備があるし、取りに行こうと思えばいつでも入手可能だ。
ただ、ガラスが割れた音にビックリした。
「叔父様、ご自分が何をされたかお分かりですか……?」
「………………」
フェノンさんに声をかけられたドラグ様は、顔面蒼白になって反応を示さない。
「それは正真正銘、伝説の秘薬――エリクサーですよ? 実際に服用した私が証人になっても構いません。叔父様が割った瓶の中に入っていた液体は、確実にエリクサーです。その価値がどれほどのものか、わからないということはありませんよね? どれだけ入手が困難で、どれだけの危険を冒さなければ手に入らないものなのか」
フェノンさんはドラグ様に向かって、追い打ちを掛けるような言葉を口にする。
しかし何故だろう?
彼女は俺が容易くエリクサーを入手できることは知っているはずなのに、あの言い方だと、まるで自身の叔父を脅迫しているかのようだ。
「……ローレンツ」
助けを求めるように、ドラグ様は存在感を消していた執事さんへと声を掛けた。
声を掛けられたローレンツさんは、仕える主人に向かって穏やかな表情で頭を下げる。
「今までお世話になりました」
「ローレンツぅっ!?」
薄情だなローレンツさん! あっさり見捨てやがった!
辛辣な言葉を述べた彼は、テキパキと流れるような仕草で散らばった破片を回収し、濡れたテーブルと床を拭いてくれる。
お世話になりましたと言いながらも、執事としての仕事はしっかりこなすんだな。
シリーさんとセラは彼らの様子を見ながら苦笑しており、俺も「ははは」と乾いた笑いが零れた。何やってんだか。
そんな俺たちとは対照的に、フェノンさんは真面目な口調で言った。
「それでは叔父様。Bランクダンジョンの入場はもちろん、私たち全員の宿と食事をこの家で用意してくださいますよね? エスアール様からは何かありますか?」
予定とはかなり違う流れだが、結果オーライってやつだな。
彼は姪っ子の言葉にガクガクと頷いているし、フェノンさんのほうも彼の返事を聞くまでもなく話を進めているし。
今なら全財産を寄越せと言っても了承してくれそうだ。もちろん、そんなこと言うつもりはないが。
「では、せっかくですし俺以外――彼女たちの装備品を見繕ってもらいましょうか。セラは何かあるか? シリーさんはどうです?」
俺が二人に問いかけると、彼女たちは首と手を横に振った。
相手は公爵様だし、気が引けるのも無理ないか。
からかわれた仕返しとはいえ、さすがに目上の相手をここまで追い詰めるのも可哀想だ。
俺はインベントリからエリクサーをもう一度取り出して、ドラグ様の前に置く。今度は割ってくれるなよ。
「では、これで最後のお願いです。飲んでください」
「こ、これは……?」
「エリクサーですよ。さっき見たばかりでしょう?」
「そ、そんなバカなっ!? なぜ伝説の秘薬がポンポンと出てくるっ!?」
「迅雷の軌跡たちと複数回踏破してたんですよ。それで最後ですから、落とさないでくださいね」
ソロで潜ったし最後の一つというわけでもないが、面倒だし嘘を吐かせてもらった。
ドラグ様は喉を鳴らし、恐る恐るエリクサーの入った瓶を手に取る。
――と、思ったらすぐにテーブルの上に戻して、瓶から手を離してしまった。
「さすがに2つ目は貰えない……」
「叔父様、エスアール様からのお願いですよ?」
フェノンさんがそう言うと、彼は眉間に皺を寄せてエリクサーを凝視する。それから十秒ほど無言の時間を経てから、ドラグ様は再び瓶を手に取り、蓋を開け、一気にエリクサーを喉に流し込んだ。静けさの満ちた部屋に、ごくごくと液体が喉を通る音が響く。
――すると、
「――おぉっ!」
驚きの声を上げたのは、エリクサーを服用した彼だけではなかった。
一人一人を確認してはいないが、きっとこの部屋にいる全員が、何かしらの反応を示したはずだ。
ドラグ様の身体が回復魔法を使用した時のように淡く光り、失った腕から先はまさに黄金――輪郭すらぼやけるような眩い輝きを放っていた。
光が収まった時、彼は我が子を愛でるかのように自分の右手を触っていた。
片方の手だけでは、自分の手を触ることはできない――両手があるからこそ可能な仕草だ。
目を潤ませ、視線を自身の右手に向けながら、ドラグ様は口を開く。
「なんとお礼を言っていいのか……エスアール、殿。俺は君に何が返せる?」
彼の視線が俺に向いた。
なんでもいいから、お返しをさせてくれ――そう言っているように感じた。
何が返せると言われてもなぁ、俺としては別に欲しいものはBランクダンジョンへの入場許可だけだし、お金も要らない。お礼をさせてくれと言われても困るんだが。
他の3人の意見を聞いてみようと、顔をセラに向けたときだ。
くぅー。
そんな間抜けな音が、彼女のお腹から聞こえてくる。
一瞬にしてセラはこの緊張感に満ちた部屋の空気を支配してしまった。
「な、なんだ今の音は?」
そう言ってセラはキョロキョロと辺りを見渡すが、彼女の視線が音の発生源を捉えることはない。
お前の腹だよ、下だよ下。自分で気付いていないのか。
困惑しているセラ以外の全員が、呆れたような笑いを零した。
「まずはお食事のご準備を致しましょうか」
ローレンツさんはそう言って微笑む。
まるで『お世話になりました』の発言なんて無かったかのような、ごくごく自然な振る舞いだ。
主従関係の二人は食事中に「お前俺を見捨てようとしたよなぁ!?」「冗談に決まってるじゃないですか」なんてやり取りを繰り広げていた。
なんだかんだ、仲がよろしいようで。
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