37 出発前
「王都を出ようと思います」
武闘大会に向け、セラを鍛えたい――というわけではなく、元より俺はそのつもりだった。こそこそ逃げるようで不服ではあるが、どうしても欲しいものが王都の外にある。
確かに王都はダンジョンが充実しており、レベル上げに適した街ではあるが、それはあくまで探索者になり立ての時の話。
エリクサーぐらいしかうまみのあるドロップ品もないし、Aランクダンジョンも近場にない。
いずれ迅雷の軌跡がAランクダンジョンを踏破すれば、王都の近くにSランクダンジョンが生まれるが、これはもう少し先の話だろう。
俺の発言に、レグルスさんは申し訳なさそうに答える。
「俺もそう提案しようとしていた。せめて武闘大会があるまでは、顔の知られていない街で過ごしたほうがいいだろう。セラはそこそこ顔を知られているが……馴染みのない他の街なら、その特徴的な髪の色が変われば気付かれることはないはずだ」
レグルスさんが言うには、髪の色を変えられる魔道具があるとのこと。
というか、セラはそれをすでに所持していた。
貴族だと思われたくない時は、この魔道具を使用していたらしい。インベントリから取り出して、俺に「これだ」と見せてくれた。
一見するとただの髪留めだが、彼女が髪に取り付けると、みるみる髪の色が深紅の色からダークブラウンへと変わっていく。水面に絵の具を垂らした時のような染まり方だ。
ゲームをしていた頃、魔石を入手しても『この石ころになんの価値があるんだ?』と思っていたが、この世界ではこういった魔道具に使われているんだな。部屋の明かりや街灯にも魔石が使用されているようだ。
「ただ、フェノンさんたちですが――」
俺がそう言いかけると、セラが鼻で笑った。
「間違いなく来るぞ。なんといっても、エスアールが行くのだからな。彼女も髪色や服装が変われば気付かれることはないだろう。人前に出る時は、ほとんどドレス姿だったしな」
「……やっぱり来ちゃうか」
好意を持たれて悪い気はしないんだが、相手の身分がなぁ。
貴族のセラにようやく慣れてきたと思ったら、王族――しかも第一王女ときた。はたして俺の心が休まる日はくるのだろうか。
「随分と王女殿下に好かれているらしいな」
くくく、と笑いながらレグルスさんが言う。他人事だと思って暢気な感想だなおい。俺は肩を竦めてから「みたいですね」と返事をした。
「迅雷の軌跡と話をしたいんですが、明日の朝、うちの家に来るように伝言を頼めますか?」
どうせ彼らはダンジョンに行くだけだろうから、予定はないだろう。勝手な予想だけど。
もし3人で仲良くデートの予定だったりしたら、シンには木っ端微塵に爆発してもらう必要がある。
「おう。ちょうど今日の夜、武闘大会についての話をする予定だったからな。伝えておこう」
「ありがとうございます」
レグルスさんも、武闘大会までは王都にいないほうが良いみたいなことを言っていたし、その頃になったら称号の騒ぎも少しは収まっているだろう。
その間、迅雷の軌跡に指示が出せなくなるから、宿題を出しておかないとな。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
翌日、朝の9時ごろに迅雷の軌跡は姿を現した。
ちなみに現在この家にいるのは俺1人で、セラやフェノンさん、シリーさんは不在となっている。俺の家だから不在というのもおかしな話なんだが。
彼女たちは、1ヶ月の間他の街に行くために身支度を整えてからこの家にくることになっていた。
それにしても、探索者として自由に動いていたセラはともかく、フェノンさんはよく周囲を説得できたな。陛下やディーノ様が苦い顔をしているのが目に浮かぶようだ。
出発は正午を予定しており、馬車で目的地に向かったとして、暗くなる前には到着するらしい。その辺り、システムで動く馬を使っていた俺にはよく分からない。なんとなくの距離ならわかるけどな。
テーブルの上にティーカップを2つとマグカップを2つ並べる。中身はそれぞれ紅茶とコーヒーで、前者が女性陣、後者が男性陣のものだ。
シンは「ありがとう」と言ってから、マグカップに口をつける。
それからさっそく、本題を切り出してきた。
「それで、王都を出るんだって?」
軽い感じの話し方だが、彼の表情は真剣そのものだ。おそらく昨日のことをレグルスさんから聞いたのだろう。
「あぁ。今の王都は居心地が悪いしな」
「聞いたですよ。他所の探索者が2人に酷いことを言ったらしいですね? 私たちがきっちりシメておくですから、安心するですよ」
見かけによらず『シメる』とはおっかない言い方をするなぁ、スズ。さすがは国ナンバーワンパーティの一員だ。良い意味で。
だが、その必要はない。
「別にいいさ、顔もはっきり覚えてないし。セラに対しての暴言にはイラつくが、俺のほうは一晩寝たら怒りも収まったしな。ただ、またつっかかってきたら容赦しないが」
その時はレグルスさんを見習って宙吊りにしてやる。そしてポイだ。壁に投げつけてやろう。
「あらら、その探索者が気の毒ね。よりにもよってエスアールに目をつけられるなんて」
「よりにもよってとはなんだよ。俺は比較的温厚だぞ?」
「勝ち目がないって意味よ」
ふふふ――と笑いながらライカが言う。そりゃまぁ、誰にも負けるつもりはないが。
「どの道、王都からは出るつもりだったんだ。欲しいドロップ品もあったしな」
「欲しいドロップ品?」
シンが興味深そうに尋ねてくる。
別に彼らなら教えても構わないが、せっかくだから驚かせたい。
「レーナスの街の近くにBランクダンジョンがあるの知ってるか?」
俺の目的地は、ここから北東に位置する商業都市――レーナスだ。王都まではいかないが、国の中で1、2を争う大きな街である。
「もちろんだ。だが、あそこは過去に一度も踏破されたことはないし、今は危険だからという理由でマーガス公爵が封鎖しているはずだぞ?」
……は? 封鎖? なんだそれ?
「……公爵はなんとか説得するしかないか。王家の短剣か称号のブレスレット見せればなんとかなるだろ。いざとなれば力ずくで潜るわ」
「はははっ――比較的温厚とか言ってたのはどうした」
「ダンジョン絡みなら話は別だ」
だってこの世界の生きがいだし。もちろん、できればそんなことはしたくないが。
「そこのダンジョンのドロップ品に、いい物があるのか?」
「まぁな。俺にとっちゃエリクサーよりも、とびっきりいいものだ」
その分、入手難易度は高いが。頑張るだけの価値はある。
俺がそう言うと、向かいのソファに座る3人は揃って顔を引き攣らせた。
「ほどほどにしとけよ……」
「まだエスアールは爆弾を抱えてるですか」
「というか踏破されていないダンジョンのドロップ品をなぜ――いえ、なんでもないわ」
色々と言われてしまったが、俺としては遠慮するつもりは一切ない。ゆくゆくはこの世界にとっても、欠かせないアイテムとなるだろうしな。
それがあるのとないのとでは、今後の探索者人生が大きく変わってくる。レーナスのBランクダンジョンのドロップ品は、それほどまでに重要な代物なのだ。
「まぁ、そいつについては1ヶ月後のお楽しみだ」
「そうかよ――。ま、ダンジョンの封鎖に関しては大丈夫だろ。なんといっても、マーガス公爵だしな」
「そうね」
「ですです」
シンの言葉に、スズとライカは俺のほうをニヤニヤと見ながら頷いた。
「なんだ? その公爵様は優しい人なのか?」
「さぁな、それは行っての楽しみだ」
くくく――とシンは楽しげに笑う。
さては俺がドロップ品を秘密にした仕返しだな?
「まぁ、大丈夫ならいいんだが」
俺はそう言って話を一旦区切り、本来の目的である宿題を出すことにした。「俺がいない間の話だが」と切り出す。
「Bランクダンジョンを3人で踏破――ってのは前に話したな? それができたら、俺が帰るまでの間に、シンとライカは武闘剣士、スズは賢者のレベルを50まで上げてくれ。レベル上げの場所はBランクダンジョン――ボスは無理に倒さなくてもいい」
彼らには次の段階に進むための前準備を進めてもらう。
といっても、やることは相変わらずレベル上げだが。
「上級職を50レベルって……そんな短期間で上がるのか?」
シンが不安げな様子で尋ねてくる。
どうせ無理だ――と言わないのは、彼も高ランクダンジョンの経験値の旨みを理解してきているからだろう。
「あぁ。Bランクダンジョンでレベル上げをすればな」
「とんでもないわね……」
「私たちの苦労はなんだったですか」
スズとライカは呆れたようにため息を吐きながら、小さい声で言った。
落ち込み気味の彼らに向かって、俺は明るい声で答える。
「スズたちの努力が無駄になったわけじゃないぞ。どうせ最終的に、全員ステータスは横並びになるんだ。そうなったら後は戦闘技術が強さを左右することになるからな」
女性陣は納得したような、してないような曖昧な表情で頷く。
シンはというと、少し不満げな様子だった。
「レベル80ってのは、探索者にとっちゃ割とステータスだったんだがな……当たり前になっちまうのか」
シンの鼻から強めの息が漏れる。
なるほど。彼はこのペースでレベル上げができてしまうと、すぐに他の探索者たちに追いつかれてしまうと危惧しているんだな。
だが、その心配は無用だぞ。
「安心しろ、レベル80より上はある。そう簡単に最大レベルまで上げられやしないさ」
俺がそう言うと彼らは、一様に目を丸くして動きを止めたのだった。




