35 いくらなんでも、言い過ぎだろ
「いよいよ告知ですね」
テーブルの上にあるクッキーを指先で上品につまみながら、フェノンさんが言った。
場所はいつも通り、俺の家。
この隔離されたような場所で暮らすのも、時間が経つに連れて平気になってきた。ベッドはフカフカだし、掃除をしなくてもいつの間にか綺麗になってるし、防犯面でいえば最高クラスだ。なにしろ王城の敷地内に家があるからな。
「今頃街は大騒ぎだろう。特にギルドは大変なはずだ」
フェノンさんに対し、セラが答える。
彼女たちの言った通り、本日派生二次職――及びその転職方法が告知される。
それに加えて、迅雷の軌跡が職業の発見者であること、俺やセラを含む5人でBランクダンジョンが踏破されたこと、そして――称号のこと。
こうしてまとめて告知されたのは、少しでも俺に対して目が向かないように配慮してくれたのだと、フェノンさんが教えてくれた。
称号取得の告知だけはどうしてもしなければならないから、職業のほうに皆が目を向けている隙に発表するのが一番でしょう――と。
そして派生二次職が発表されるにあたり、ダンジョンに潜る際の規定も変更される。これは俺がずっと会議に出席して決めたルールだ。
セラが『ギルドは大変』と言ったのは、このことが関係している。探索者たちに説明しなければならないからな。
「でも下級職でEランクやDランクダンジョンに潜るなんて、本当に大丈夫なんでしょうか?」
不安そうな表情でシリーさんが言う。
「大丈夫ですよ。それなりに安全に配慮したモノにしましたし、どちらかというと、前のルールのほうが危険です」
「? どこが危ないんですか?」
キョトンとした表情で、シリーさんが首を傾げる。セラやフェノンさんも同様に不思議そうな表情をしていた。
確かに今までは安全だったのかもしれないが、これからは違う。
前のルールが危険な理由――それを説明するのは簡単だ。
「Fランクダンジョンをクリアさえしていれば、上級職というだけでEランクダンジョンに潜れてしまうからですよ」
俺の言葉に、セラがすかさず突っ込んできた。
「それのどこが問題なんだ? 上級職になるには、下級職をレベル30まで上げなければならないし、レベル1の状態でも下級職のスキルを継承している。戦闘経験もそれなりにあるはずだ」
彼女の言う通り。
この世界の人が派生二次職やステータスボーナスのことを知ることにならなければ、そのルールで問題なかっただろう。
なにせ、Bランクダンジョンで苦戦するんだから。
「転職のオーブってあるだろ?」
唐突に俺がそんな話を始めたからか、セラは怪訝そうな顔つきで「Eランクダンジョンのドロップ品だな」と答えた。
「あれ、Aランクダンジョンでもドロップするんだよ」
「Aランクダンジョンで? なぜあんな安物がドロッ――」
そう言いかけて、セラの口の動きが停止する。目を見開き、唖然とした表情で固まった。彼女が頭の中で予想したことは、おそらく正解だ。
動きを止めてしまったセラの代わりに、フェノンさんが問いかけてきた。
「まさか、上級職のオーブがドロップするのですか……?」
「正解です」
そう、Aランクダンジョンでは、派生二次職以外の6つ、剣豪、豪傑、重騎士、神官、魔道士、神弓士のオーブがドロップする。
もしそのオーブを使えば、以前のルールだと戦闘経験がほぼ皆無の上、ステータスボーナスがひとつもない状態でもEランクダンジョンに入れてしまう。能力値としては、下級職のレベル1と全く同じなのにもかかわらずだ。
驚愕の表情を浮かべる3人に向かって、俺は話を続けた。
「だからどちらにせよ、ルールの変更は必要だったんですよ。まぁ、俺たちは下級職全てを30まで上げますから、オーブを使う機会はありませんが」
俺がそう言うと、セラが呆れたようにため息を吐く。
「……エスアール、貴方の口はビックリ箱か何かなのか? もう少し重大な秘密を話す雰囲気を持って喋ってほしいんだが」
「ん? まだ色々あるぞ? 全部聞くか?」
「……いや、今日のところは勘弁してくれ」
セラの困ったような顔を見て、俺は「はははっ」と笑った。
「でもおいおい話すことになるからな、覚悟だけはしておいてくれよ――フェノンさんやシリーさんにも今後色々と話しますが、ここだけの話にしておいてくださいね」
「もちろんです。エスアール様がそうしろというのなら、全てにおいて優先させましょう。その結果処刑されようとも構いません!」
「いや、それはダメですから」
どんだけ一直線なんだこの王女様は……これが命の恩人効果なのか。
気持ちは嬉しいんだけど、やっぱりちょっと怖いわ。
俺は苦笑してから、クッキーを口に放り込む。
少しずつではあるが、フェノンさんとも打ち解けられてきた気がする。シリーさんとの会話もスムーズで、随分と親しくなれた。
派生二次職のレベル上げに、例のダンジョンのドロップ品の収集……これからが楽しみだな。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
告知があった日の翌日の昼頃、俺とセラは新たな規定に関して何か問題が出ていないか様子を見に行くために、探索者ギルドへ向かっていた。
俺としては別に1人でも構わなかったのだが、フェノンさんの一次職のレベル上げも終わったらしく、彼女もギルドの様子を確認しておきたかったそうだ。
「うっわ……まだこんなに人がいるのか」
「すごい人だかりだな……気分が悪くなりそうだ」
歩いて近づきながら、目の前の光景に2人揃ってため息を吐く。
ギルドの入口が人で塞がれているのはもちろん、建物の周囲にも人がうじゃうじゃと群がっていた。普段はギルドを利用しない探索者も集まっているらしく、見覚えのない人ばかりだ。
顔の違いが認識できるぐらいまで近づいたところで、1人の厳つい顔つきの男と視線が合う。
その男は俺の次にセラへと視線を向け、何かに気づいたように「あぁっ!」と大きな声を上げた。
「こいつらだっ! 伯爵家の娘に見覚えがあるっ! 隣の男がエスアールとかいうやつだろ!」
男が叫ぶと、ギルドの周りにたかっていた探索者たちが、一斉に視線をこちらに向けた。
俺の名前を叫んだ男が、小走りでこちらに駆け寄ってくる。後ろからゾロゾロと野次馬のように他の探索者もやってきた。
あーやだやだ、どうせ称号のこととかだろ? 適当にあしらっとくか。
「お前が、エスアールか?」
「えぇ、そうですよ」
俺がそう答えると、男は途端に視線が鋭くなる。睨め付けるという言葉では生ぬるい、視線で射殺すような感じだ。
「随分と甘い蜜を吸ってるみたいじゃねぇか、えぇ? どうせお前ら2人はシンの兄貴たちにひっついて、Bランクダンジョンを踏破したんだろ? 金魚のフンのくせに称号まで貰いやがって……」
あぁ……なるほど。彼らから見たらそうなるのか。
俺はもちろん、セラもまだ探索者になって日が浅い。
おまけに派生二次職の発見者として迅雷の軌跡だけが発表されている。
俺とセラは彼らに同行しただけと思われても仕方ないのかもな。
俺はどうしたら彼らを納得させられるだろうかと考えながら、適当に話をすることにした。
「えぇ、確かに称号は貰いましたよ。それが何か?」
「ふんっ――どうせ金もたんまり貰ってんだろ? いくらだ?」
「それは教えられませんよ」
だって面倒くさいし。もし1000万オル貰ったなんて言ったら、また大騒ぎされそうだ。
バカにされて怒っているのだろうかと思い、セラのほうに視線を向けてみると、彼女は俯いて拳を握りしめていた。
唇を強く噛み締めており、真っ赤な髪の隙間から、悔しそうに顔を歪めているのが見える。
言い返したい、でも、言い返せない。
そんな風に葛藤しているように見えた。
てっきり彼女なら『バカにするなっ!』なんて叫ぶかと思ったが……どうしたんだろうか。
「はぁ……」
面倒くさい。非常に面倒くさい。なぜ朝っぱらからこんな輩に絡まれなければならないのか。
どう切り抜けようかなぁとため息を吐いていると、周囲から無数のヤジが飛んできた。
『お前たちだけずるいぞ! 俺だって迅雷の軌跡についていけばBランクダンジョン踏破者になれたんだ!』
『まだ登録したばかりの新人が調子にのるなっ!』
『俺たちゃもう10年以上探索者をやってんだぞっ! ペーペーが出しゃばるんじゃねぇっ!』
『ふざけるなっ!』
『クソ野郎がっ!』
『お前の称号なんて、誰も認めねぇっ!』
『貴族の娘だか知らんが、どうせ兄貴たちを脅したんだろっ! 金魚のフン野郎っ!』
そんな好き勝手な言葉が、辺りに響き渡る。ヤジがヤジを呼び、途中からは誰が何を言っているのか判別できないほどの騒ぎになっていた。
いくら妬みや嫉妬の気持ちがあったとしても、言い過ぎだろ。
唐突に現れた俺に不満があるのはまだわかる――だが、セラは他の探索者と同様に努力してきたはずだ。
俺がダンジョンに潜っている間、外で素振りをするほどだぞ? そんなひたむきに頑張る彼女が、金魚のフンだって?
「……てめぇら――」
どうなっても知らん――そんな気持ちで堪忍袋の緒を自ら引きちぎり、声を上げようとしたところで――
「なんの騒ぎだっ!」
最近嫌というほど鼓膜を揺らした野太い声が、辺りに響き渡る。ヤジの声が一斉に止み、静寂が訪れた。
声のした方向に目を向けると、そこにはハg――レグルスさんが憤怒の形相で立っていた。




