32 違和感
「き、急にそんなこと言われても……お、親御さんが心配するぞ?」
突然の『今夜は帰りたくない』宣言によってフリーズしていた俺は、再起動すると共にセラを宥めるように言った。
33年生きてきただけあって、ピチピチの18歳とは思えないような言い方だ。気持ちはずっと20歳なんだけどな……。
「私だって外泊ぐらいする」
拗ねたような言い方でセラが言う。
「――だとしても、だ。王城の敷地内とはいえ、ここは俺の家ってことになってるんだぞ? さすがに一人暮らしの男の家に泊まるのはまずいだろ」
「別に私は気にしない。それにこれだけ部屋数があるなら、一つぐらい貸してくれたっていいじゃないか」
そりゃ部屋は無駄にあるさ。
誰か一人泊まらせるぐらいなんてことない。だが、相手は年頃の女性だぞ? シンみたいな男友達を泊めるのとはわけが違う。
「セラが気にしなくても俺が気にするんだよ! 理由は聞かないが……家に帰りたくないんだったら、街の宿屋に行けばいいじゃないか」
王都には宿屋が腐るほどあるんだから、わざわざ男の家に泊まることもないだろ。夜道が怖いというのなら、宿まで送るぐらい一向に構わない。ここからだと20分も歩けば宿屋に着くはずだ。
「……宿屋は利用したことがない」
予想の斜め上をいかれてしまった。思わずため息と共に目を瞑って、額に手を当てる。
「……だったら外泊ってのは、誰かの家か?」
そう問いかけると、彼女は無言で地面を指さした。
ムスッとした表情を浮かべ、視線は自身が指さす方向へ向いている。
俺も彼女が指し示した場所に目を向けた。
……うん、床だ。
質感こそ上品だが、それ以外は特筆すべきことのない板張りのフローリング。
「つまり……ここに泊まってたってことか?」
セラは俯いたまま、コクリと頷いた。
「フェノンと一緒に、この場所によく泊まっていた。もう数年前の話だが」
あぁ……フェノンさんとね。仲良いからな。
――で、それはいいんだが、セラはフェノンさんが俺に向かって『少しでも傍にいたい』などと言っているところを傍で見ているはずなんだが、そのことに関して何も思わないのか?
自分の親友が好いている男の家に泊まる――ドロドロした昼ドラ展開になるのは勘弁願いたい。
フェノンさんが『この泥棒猫!』なんて言いながらセラに包丁を突き刺す未来が――全然想像できん。ありえんな。
まぁ、彼女は俺を異性として見ていない節があるし、心配するだけ無駄かもしれん。
「フェノンさんはこのことを知ってるのか?」
念のために確認。
セラが良しとしても、フェノンさんがそうでないかもしれない。余計ないざこざに巻き込まれたくはないのだ。
「もちろんだ。最初にフェノンに相談したんだが、ここに泊まるよう勧められた」
「えぇ……まじか」
どういうことだよ王女様……。確かにこの世界は一夫多妻制みたいだけど、独占欲とか何もないのか? いや、別に俺が気にするようなことじゃないんだけどさ。告白?されたからか、フェノンさんのことをどうも意識しすぎてしまう。
手のひらで顔全体を覆い嘆息する。
ただでさえ連日の会議で疲れているというのに、これ以上頭を使いたくない。どこからか新しい頭が飛来してきて、俺の頭と入れ替わってほしい。
その状況を頭で思い浮かべてみる。
リアルだったらかなりグロテスクだということがわかった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
トースト、牛乳、目玉焼き、サラダ。
異世界だというのに、日本の朝の食卓となんら変わりのないものがテーブルの上に並んでいる。窓から差し込む日の光が、料理をより美味しそうに見せていた。
トーストはまだ焼いてから時間が経っていないのだろう――バターの香りと共に、微かに蒸気が立ち昇っている。
これらは全て、朝早くにセラが用意してくれたものだ。
俺がいつもより遅めに起きてくると、すでに彼女の手によって朝食の準備が為されていた。なんでも、泊めてもらったからにはこれぐらいやらせてくれ――とのこと。
昨日は交互に風呂に入って、俺はいつも使っている2階の主寝室、セラは1階の客間で寝た。ドキドキする展開なんて何もなかった。
別にこれっぽっちも期待してなかったけど。
……全然期待してなかったけどっ!!
帰りたくない発言をした時にセラが耳を赤くしていたのは、どうやら男の家に泊まる恥ずかしさからではなく、家に帰りたくないという我儘に対してのものみたいだった。確かに、見ようによってはただの家出少女だからな。
彼女が俺のことを全く意識していないことを、はたして喜んでいいのか、悲しむべきなのか……微妙なラインだ。
フェノンさんも、もしかしたらそれをわかっていたからここを勧めたのかもしれないな。
彼女は俺が起きてきた時にはすでに、いつでも外に出掛けられるような外着を身に付けていた。俺は頬張ったトーストを飲み込むと、同じく食卓に着いているセラに話しかける。
「今日もフェノンさんとダンジョンか?」
「あぁ。早くエスアールとダンジョンに潜りたいとうるさいからな」
「ははは……、王国の第一王女に向かって『うるさい』なんて言える人は中々いないぞ」
「なに、フェノンと接していたらエスアールもすぐに言うようになるさ」
どんだけお転婆なんだフェノンさん……。
元気なのはいいが、俺の悩みの種をこれ以上増やさないでくれよ。
俺がサラダをつつきながら苦笑いを浮かべていると、今度はセラのほうから声をかけてきた。
「エスアールはどうするんだ? ギルドマスターとの打ち合わせは終わったみたいだし、ダンジョンにでも行くのか?」
「――ん、今日はシンたちがうちに来る。指示だけだして、それっきりだったからな。経過報告みたいなもんだ」
「そうか……私はますます置いていかれてしまうな」
「気にするなって。セラにはフェノンさんのレベル上げを手伝ってもらってるし、俺がセラのレベル上げを手伝うから」
俺が言うと、彼女は困ったような表情で笑う。
「私は貴方に頼ってばかりだな」
「俺だってセラを頼りにしてる。お互い様だろ」
「ふふ、だといいがな。ありがとう」
俺はお礼を言ってきたセラに「おうよ」と返事をして、牛乳を胃袋に流し込む。ちら、と彼女の表情を見ると、やはり彼女の雰囲気はどこか変な感じだ。
1ヶ月前、共にダンジョンに潜っていた時の彼女とは、比べ物にならないほど覇気を失っている。
昨日の夜からじゃない、それよりもずっと前からだ。
迅雷の軌跡たちと共に打ち上げをした日は、まだ元気そうだった。
その後は『王女様を助ける』という大きな目標を達成したからか、少し疲れているように見えたが……もしかすると、あの時からなのか?
燃え尽き症候群だと俺が勝手に思っていたのは勘違いで、家で何か問題を抱えていたのだろうか? そしてその問題が悪化して、昨日彼女は家に帰りたくないと言ったのかもしれない。
まぁ、全て俺の憶測だが。
彼女から話してこないのなら、無理に聞こうとはすまい。ただし、相談してきたのなら、その時は力になろう。
フェノンさんを助けた後も、セラは俺の力になってくれたし、信頼してくれている。それはあの日、彼女が俺に決意を表明した時から変わっていない。身寄りのない俺にとって、彼女の存在は間違いなく俺の心の拠り所となっていた。
セラの前に立ちはだかるモノがなんであれ、それが彼女を悲しませることになるのなら俺が相手になってやる。あの時取り戻した笑顔は、必ず守ってみせる。
俺は頂点にいた男だ。敗北は他の誰でもなく、俺自身が許さない。
まぁただの家族喧嘩であれば、俺が出しゃばる必要もないだろうけど。




