23 戦闘狂の全反撃
ボスがいる階層へと転移し、風景がほんの少し変わる。
最終階層だからといって、特別仕様になっているわけではなく、その変化は1層から2層へ転移するのとなんら変わりはない。
転移した場所から、およそ100メートルほど離れた所に、その魔物の姿はあった。
青黒い体躯。そして、ここまで倒してきたどの魔物たちよりも背丈は大きく、遠目で見てもわかるほど隆起した筋肉を持っている。
魔物の名はサイクロプス。全長3メートルはある斧を握りしめ、獲物を見定めているかのような、赤く鋭い瞳で俺のことを凝視していた。
こいつのことを、テンペストのプレイヤーたちは世界樹と呼んでいた。
名前の由来はその無駄に大きい体と、最高級の回復薬をくれるからだ。1時間のクールタイムがあるから、使い勝手は悪いんだけどさ。
俺は屈伸運動をして、肩と首を回しながら魔物のほうへと歩いていく。首だけ後ろを振り返って、4人に声をかけた。
「じゃあ行ってきますね。最低でも4時間は掛かると思うので、のんびり見ていてください。もし寝るなら、交代でお願いしますね」
万が一魔物がそちらに向かったら危ないからな。
「む、無茶だ。あんなの、勝てるはずない……」
シンさんは、俺が初めて見る表情をしていた。身体を小刻みに震わせ、怯えている。
よく見ると、他の3人も同様に震えているように見えた。デカさだけはやばいからな、こいつ。ちょうど今の俺の3倍ぐらいの身長だ。
それにこの世界では負けて復活できるわけでもない。負けはそのまま死へと直結する。怯えるほうが普通なんだろう。きっと。
「まぁまぁ。落ち着いてください。あいつ、動きは遅いほうですから問題ないですよ」
だからといって俺の身体がすくむことはない。負けるビジョンなんて浮かんでこないからな。
俺はヘラヘラっと笑い、返事を待つことなく彼らに背を向け再び歩き出した。
魔物とシンさんたちのちょうど間の辺りで、気付く。
「――やべ。めちゃくちゃコイツのこと知ってるていで話しちまったな。誤魔化せるか? 聞き流してくれていたらありがたいんだが」
うーん…………。
ま、いっか!
まずはこいつを倒そう。考えるにしてもそれからだな。
「ブゥオォオオオオオッ!!」
およそ20メートルの距離に迫ったところで、魔物は大きな唸り声をあげる。そして、地面をドスドスと踏みしめながら、俺のもとへと走り出した。凶悪な斧を右上に振り上げて、斜めに勢いよく振るってくる。
右か? 左か? 上か? 下か? 後ろか? どちらに避ける?
「やっぱり前だよなぁ」
こういう時、前に進むのに度胸はいるが、手元ほど敵の動きは遅い。逆に離れるほど反射神経を必要とされ、避けづらくなってしまう。それに相手の武器は斧だ。最も危険があるのは先端である。
俺は地面を力強く蹴って、前に跳ぶ。斧を握るサイクロプスの大きな手の下を掻い潜りつつ、その手首を黒刀で撫でた。微かに肉を斬る感触が、刀を持つ手から伝わってくる。
「さすがにこのステータスじゃ、猫の引っかき傷レベルか」
そう呟いていると、サイクロプスが矢継ぎ早に左手の拳を振り下ろしてきたので、それを横に避けつつ、刀を上に振り上げる。再び小さな小さな傷がサイクロプスの腕にできた。
戦い慣れた相手だ。相手の動きは手に取るようにわかる。
見た目に若干の差異はあれど、動きに関しては見慣れたものだ。
そしてまた、斧が振るわれる。今度は足元を狙うような低さだ。
俺はその場で軽く跳び――
「――よっと」
斧が真下を通り過ぎる瞬間に、足を伸ばして斧を踏んだ。
相手が斧を振るった勢いを利用し、俺は宙で前方に一回転――その勢いで再びサイクロプスの手首を斬った。
魔物からは苦しむ声が――まったく聞こえてこない。そりゃそうだ。タンスに小指をぶつけたほうが痛いに決まってる。
「イージーな相手とはいえ、命が懸かってるとなると少しハラハラするなぁ。あ、わかった。これジェットコースター的な楽しさだわ。絶対そうだ」
ジェットコースター好きでした。はい。乗り終わったらすぐにまた列に並んだりしてました。
「どんどんかかってこい! そんなもんじゃ、俺は楽しみたりねぇぞ! お前の攻撃は全部、俺のものだ!」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
~シンSide~
エスアールが魔物と殺り合い始めて、2時間が過ぎた。時間が分かるのはステータスウィンドウのおかげで、体感時間は優に10時間を超えている。そう思えるぐらい、心の中では『早く終わってくれ』と願い続けていた。
俺たちは戦闘の邪魔にならない程度、そして、エスアールの表情がギリギリ見えるぐらいのところまで近づいてきている。
「もうダメだ……心臓が持たん……」
「ギブアップして寝るですか? 彼も寝ていいと言っていたですよ」
「アホか……こんなの見逃せるはずねぇだろ」
俺は胸を押さえながらも、視線はエスアールから離さない。それはあの卓越した技術を、少しでも自分の物にしたいからだった。
だが、心臓に悪い。何度エスアールが死んだと思ったか、数えるのも億劫になるほどだ。
「そうね……正直、彼のことを認めてたつもりだったけど、甘く見てたわ」
ライカの意見には俺も同感だ。
「……だな。エスアールも俺たちのことを下に見るわけだ。次元が違いすぎる」
あまりのレベルの差に、探索者としてやっていく自信を失いそうになる。王国ナンバーワンのプライドなんか、勝負が始まって5分もしたら粉々に崩れ去った。
だがそれと同時に、俺は憧れた。
自分もあんな風になれたら――あんな風に楽しそうに戦えたらいいな――と。
才能を持つ者が、血のにじむような鍛錬をした結果が――きっとアレなんだ。俺もいつか――彼に追いつきたい。
「――ひっ! は、はぁ……良かった」
また死んだかと思った。
魔物の持つ大きな斧が、エスアールの顎の下を通過していったのだ。彼はなんでも無いことのように、そのまま直進して敵の脇を剣で斬る。
「すごいな、エスアールは……本当にすごい」
セラは口をポカンと開けたまま、食い入るように戦闘を見ていた。その気持ちはわからんでもないが、口ぐらいは閉じておけ。はしたないぞ。
「あれは、真似できる気がしないわね。反撃が得意どころじゃないわ」
隣のライカが言う。彼女も口は開けていないが、目は限界まで見開かれていた。
そう、それどころの話じゃない。
セラとの模擬戦の話を聞いていたし、本人が回避の訓練をしていたと言っていたから、なんとなく戦い方は予想できていた。
相手の攻撃を回避しつつ、隙を見て反撃する。そんなタイプなのだろうと。
だが、アレはなんだ?
回避だけを見ても、到底真似できるとは思えない。それぐらい無駄がない動きで、それ以上の正解が無いと思えるほど、全てが最善だ。
それに加え、恐るべきことに彼は全ての攻撃に対して反撃を仕掛けている。
「あいつの戦闘スタイルは全反撃ってとこだな。……ありえねぇ。本当に俺と同じ人間なのか疑いたくなる」
自分で言っておきながら『なんだそれは』とツッコミたくなった。全ての攻撃にカウンターを入れるなど、非常識が過ぎるというものだ。
回避にまったく無駄がないからこそ、反撃に転じることができる。
エスアールはそれが身体に染み付いているようで、回避の動きがそのまま攻撃に繋がっているようにも見えた。
『どうしたっ! そんなもんかっ!』
遠くからは、こちらがハラハラしていることなど知りもしないエスアールの叫び声が聞こえてくる。魔物に言葉が通じるはずも無いのに、彼は攻められ足りないのか、敵を煽っていた。
俺はそんな声が聞こえてくる度に、冷や汗が流れそうになる。
「戦闘狂ですね。本当、狂ってるです」
エスアールの戦いぶりを見て、スズがそんなことを言う。見れば彼女の顔も引きつっていた。
俺はスズに「だろうな」と短く返事をする。あんなにも巨大で恐ろしい敵に対して、笑顔で戦い続けるなど、戦闘狂以外に考えられない。
それから1時間が過ぎ、さらに1時間が過ぎ、ボスとの戦闘が始まってから合計4時間が経過した。それはエスアールが戦う前に言っていた、戦闘が終わるのに掛かる最短の時間だった。上手くいっているのなら、そろそろ終わるはずだ。
一見すれば魔物は傷だらけの満身創痍で、そろそろ勝負がつきそうに見えるだろう。
だが俺は、このままではエスアールが負けるのではないかと――そう思ってしまう。それほどまでに、彼の表情は険しくなっていた。




