15 譲れないもの
「昨晩、王女殿下の容態が悪化した。期限は、あと10日だ」
苦虫を噛み潰したような表情で、レグルスさんが言う。室内は数秒の間、静寂に包まれた。
「――そ、そんな……嘘だ、嘘だと言ってくれっ!」
俺の隣にいるセラさんが、悲痛な声で叫んだ。
顔を横に向けずとも、彼女がどんな表情をしているのか、手に取るようにわかる。そんな声だった。
かくいう俺も、いきなりのことに呆然と口を開けてしまった。
なぜ、その可能性を考えなかったのか。
なぜ、時間にはまだ余裕があると考えてしまっていたのか。
――なんて。過ぎたことを気にしてもどうにもならないよな。
いまのままでは無理だ。作戦を考え直す必要がある。
俺は顎に手を当てて、集中するために目を閉じ、俯いた。
「わかってくれ。そもそもこんな嘘、俺が吐くはずないだろう」
「――っ! そ、そうだっ! エスアールがいるじゃないかっ! エスアールは、10日前まではレベル1だったのに、既にCランクダンジョンを踏破しているっ! 貴方ならできるのではないかっ!?」
名前を呼ばれたっぽい。俺の話か?
「今、何か言いました?」
「言ったとも。エスアールなら10日もあれば、Bランクダンジョンを踏破できるよなっ! なぁ、できるよなっ!?」
懇願するように彼女は言う。俺は首を振った。
「――無理ですよ。いくらなんでも、時間が足りなさすぎです」
これがもしもゲームで、負けてもリセットが出来るのであれば、今すぐにでも挑んでも構わない。
だが、これは現実だ。
負けるということは、即ち死を意味する。そんな簡単に命を懸けられるほど、俺は強い心を持っていない。
「――だ、そうだ。俺も正直期待はしていたが……本人がそう言うなら無理なんだろう。聞いたぞ? お前、召喚された翌日から一日中ダンジョンに潜り続けているそうだな。悪いことは言わん……お前も少し休め」
レグルスさんは、弱々しい声でそう言った。その言葉には『王女様のことは諦めろ』。そういう意味も含まれている気がした。
それで俺が『はいわかりました』なんて言うとでも思っているのだろうか?
ありえないだろ。命は懸けられないが、俺にも譲れないものはある。
無理だとはいったが、それはあくまで現状ではという意味だ。
「ちょっと考えますから、声を掛けないでください」
話しかけられると集中できない。
俺が持っている知識、実力。
Bランクダンジョンの踏破に必要な戦力。
俺にできること、できないこと。
必要とされていること。
そして、譲れないもの。
頭の中を整理していく。
……よし。大丈夫そうだ。後はこっちのほうをどうするかだが――。
「別の世界から来たばかりのお前が、命を懸けてまですることじゃない。そもそもこれはこの世界の――」
「ギルドマスター。彼は黙れと言ったぞ。静かにしてくれ」
「……わかった」
何か声が聞こえた気がしたが、すぐに静かになった。よく分からないが、これでまた集中できる。
どれぐらいの時間、そうやって考え込んでいただろうか。10分ぐらいか? いや、1、2分ぐらいかもしれない。
だが、集中できたおかげで勝機は見えた。
この方法ならば、10日と言わず、8日で踏破できるはずだ。
俺は顔を上げて、レグルスさんとセラさん、交互に顔を向けた。
レグルスさんは何故かムッとした表情で、口を強く噤んでいる。セラさんは、何かを期待しているような表情だ。
「大丈夫ですよ。王女様は必ず救います。本人と約束しましたからね」
俺は2人に、笑顔でそう告げた。
頂きに辿り着いた男が、これしきのことで諦めるはずがないだろう? 俺がこの世界で負けを認めるなんて、ありえない。
それは本当かっ!
そうやって沸き立つ2人を宥めてから、俺はさっそく、頭の中で組み立てた作戦を伝えることにした。
「はい。ですがその前に、条件がいくつかあります」
「聞こう。俺にできることがあるのならば――だが」
「私もギルドマスターと同じだ。なんでもする」
女の子がなんでもするなんて簡単に言っちゃいけません――なんて頭の中で思いながらも、俺は2人にその条件を伝える。
「俺とセラさんは確定として、あと3名――協力者が必要です。Bランクダンジョンの下層を経験している人が望ましいです」
ダンジョンは1つのルームにつき、最大5名まで入場できる。確率を少しでも上げるためには、できる限りのことをしておきたい。
「それならば『迅雷の軌跡』だろうな。Bランクライセンスを持つ3人パーティだ」
「聞いたことのある名前ですね」
確かセラさんと揉めていた人たちだ。金髪イケメンと女の子が2人。この国一番の実力とも言っていた気がする。
だけど、セラさんは大丈夫なんだろうか? 以前のことがあるし、ダンジョン内で仲間割れとかはしてほしくないんだが。
そう思ってセラさんのほうに視線を向けると、彼女はこくりと頷いた。
「彼らの説得は、私がしよう」
気合十分。
1日見ない間に、彼女の俺に対する態度は180度変わったように見える。王女様と何かを話したのだろうか?
あぁ違う違う。今はそんな話じゃなかったな。
「いえ。説得は俺がしますよ。Bランクダンジョンでくすぶっている、彼らが欲しそうな知識もありますし。セラさんは明日の朝7時に、彼らをなんとかギルドに連れてきてください」
「そうか……わかった。どんな手を使っても連れてくる」
「穏便にお願いしますよ」
いまの彼女なら、縄で縛ってでも連れてきてしまいそうだ。心の平穏のためにも、あまり深く考えないでおこう。
で、次は――と。
「レグルスさんとセラさん――それから迅雷の軌跡の3人に、あまり口外できないようなことを話そうと思います。誓約書とか作れますか?」
俺が彼らに伝えるのは、プレイヤーボーナスの存在。そして派生二次職についてだ。俺のステータス画面には、既に派生二次職が映されているため、説得力はあるだろう。
「それは構わんが――その内容というのは、陛下やディーノ様にも話せないのか?」
「はい。できれば止めてほしいですね」
俺がそう答えると、レグルスさんは眉間にシワを寄せる。
王家の信頼か。王女の命か――それを天秤に掛けているのだろう。
あまり俺の持つ手札をばら撒きたくはないし、陛下たちが知ったところで王女様の命が助かるわけでもない。つまり、デメリットしかないのだ。
『アイツすげー』みたいな目立ち方は好きだけど、そのせいで雁字搦めにされてしまうのは、俺の望むところじゃないからな。
「ですが、誤魔化しは効くと思いますので、あなた方が自ら話さない限り、バレることはないですよ」
王国にはプレイヤーボーナスの存在は明かさないが、派生二次職だけを伝えるつもりだ。派生二次職だけならば、この世界の住人でも、たまたま発見したということで説明が付く。
この世界全体の戦力アップにも繋がるし、ゆくゆくは誰かが三次職の存在にも気付くだろう。そうすれば、エリクサーの入手も容易になり、王女様のように苦しむ人も減るはずだ。
それでも覇王に到達するのは、恐らく無理だろうけど。
俺の作戦とはつまり、迅雷の軌跡とセラさんの計4人に、1週間でプレイヤーボーナスを獲得してもらうことだった。
迅雷の軌跡の面々も、自分たちが露払いの役目をさせられるとはいえ、派生二次職をエサにすれば、きっと話に乗ってくれるだろう。
「詳しい話はまた明日にしましょう。とりあえず、迅雷の軌跡の人たちが協力してくれないと始まらないですし、明日の朝7時にギルドで話しましょう」
「気になることは多々あるが……わかった。俺も協力しよう。準備を進めておく」
「私もこれから迅雷の軌跡に話をしに行こう。エスアールはダンジョンか?」
「はい。そろそろダンジョンが開くと思いますので、夜までCランクダンジョンに潜ります。セラさんは明日から忙しくなると思いますので、今日はダンジョンに潜らず身体を休めていてください」
「エスアールこそ休むべきだと思うが……承知した。フェノン――王女殿下の所には行ってもいいのか?」
「ふふ、それは俺の許可なんていらないでしょう。セラさんのお好きにどうぞ。王女様によろしくお伝えください」
「あぁ。伝えておく」
彼女の顔からは、すでに不安の色は消えていた。
本当に彼女は、俺のことを信頼してくれているようだ。セラさんの期待に応えるためにも、手は抜けないな。もちろん、そんなつもりは元々ないが。
こうして、俺たちはそれぞれの役目を果たすために、各々動き出した。
決戦の日は、すぐそこまで迫ってきている。




