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同じ 鍵を 持っている  作者: 藤宮彩貴


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9 運命のベルは鳴った②

 その日も、さくらは部屋でじっと勉強していた。


 そろそろ少し休憩を取ろうかと、ノートから目を離したときに内線電話が鳴った。

 社宅の管理人からだった。

 ロビーに、面会人が来ているという。


『すごい恰好いい男の人。さくらちゃんの彼かな? 受験生なのに、隅に置けないねえ。いまどきの若い子はお盛んだ。そりゃ、お父さんも心配するって』


 ノリのいい管理人のおばちゃんは、さくらを冷やかした。


 まさか、玲が逢いに来てくれたのだろうか。

 さくらがいないと寂しいとか、言ってくれるのだろうか。

 切り詰めた生活を日々送っている、質素なあの玲が? 交通費を払ってまで、逢いに?

 どんな顔をすればいい?


 今、涼一は勤務中で留守だ。

 玲に逢ったことを知られたら、やっぱり怒られるだろうか。

 さくらは肩にカーディガンをひっかけると、どきどきしながらロビーへと急いだ。


 管理人と仲よく談笑している後ろ姿。

 背が高くて、茶色のふわふわの髪がつやつやと輝いている。



 玲ではない。類だった。


「さくらねえさん、久しぶり。撮影で、近くまで来たんだ。ぼくだったから、超がっかりしたでしょ! 顔に書いてある」


「う、ううん。わざわざ、遠くまでありがとう。うれしいよ、類くん。忙しいのに、ほんとにありがとう。がっかりなんてしないよ」


 おそらく、さくらの本心は伝わっているはずだ。

 けれど、否定しておくしかない。


「携帯。電話しても、いつも出ないじゃん。たまには、話したいのに」


「勉強、追い込み中なんだ。この前、充電電池が切れてそのまま。部屋へ行こうか?」


 天下のアイドルモデルと立ち話……に、気をつかったけれど。


「せっかくのお誘いだけど、やめておく。帰りの時間まであんまり時間がないし、さくらの誘いはまるで期待外れだから。無駄に傷つくし、乗らないほうが賢明。それとも、さくらの部屋に泊まっていいとか? 夜の秘密講義してあげようか。言っておくけど、濃厚だよ」


「な、ないない! コーヒーぐらいなら淹れるけどって、話です」


「でしょ。だったら、ここでいいや。コーヒーぐらいじゃ、ぼくの欲望は解消できないもん。さて、柴崎家の近況報告でもしようかな」


 際どい冗談のあと、類はいったん時計を見た。

 ふと、外に目を向けると一台の車が停まっている。

 類を待っている様子だ。時間がないというのはほんとうらしい。


「母さんは、元気。さくらねえさんが戻るまでに、得意料理を作るんだとか言い出して、週末ごとにキッチンをめちゃくちゃにして、いつも玲に叱られている」


「早く食べてみたいな」


「おなか、壊すよ。最低でも、全部の試験が終わってからにして」


 慣れないキッチンで、悪戦苦闘する聡子の様子が目に浮かんだ。


「玲は試験休みでも受験しないし、アルバイトの毎日みたい。玲のくせに、建設現場とかで真面目に汗を流して、日雇いの肉体労働している。夜は交通整理。もうすぐ京都へ行くから、割のいいバイトは全部辞めたってさ。守銭奴だよねえ、まったく」


 あやしいアルバイトとは手を切ったらしい。

 よかった。さくらは胸をなでおろした。


「そしてこのぼくは、新しいコマーシャル契約をいただきました! なんと、オトーサンの勤めている会社、北野リゾートの! 若者に爆発的人気の北澤ルイを使って、リゾートを売り出そう、というプランなんだって」


「さすがは、類くん! おめでとう」


「うん。今日もコマーシャル関係の話があって、軽井沢に。オトーサンにも面会済み。ここへ寄ることも、言ってあるし」


「忙しいのに。しばらく、遊べそうにないね」


「そう。これからはリゾートの広告、ばんばん流れるよ。だから、スキャンダルも御法度。さわやかなイメージが壊れちゃうからね。でもお忍びで、さくらねえさんとのデートぐらいは、ぎりぎり許されるかな。で、ぼくはもうすぐ出発時間なんだけど、東京の家族に伝言とか、ある?」


 ……伝言。

 さくらは少し考えた。

 言いたいことはたくさんあるのに、すぐにまとまらない。


「元気ですって、伝えて」


「なんだよ、それ。まとめ過ぎ! もっとこう、いいことばはない? 勉強のし過ぎで、コミュニケーション能力がどこかに飛んでいっちゃった? それに、少し痩せたでしょ。ちゃんと食べてしっかり寝ている? やっぱり、さくらをひとりにしておけない。不安。今夜、ここにぼく泊ま……ちっ」


 時間切れだった。

 類の携帯電話が、けたたましく鳴り響く。

 類は、タレントイメージが崩れるような、盛大な舌打ちをした。


「さくらねえさん、よく聞いて。疲れたら、休憩。体調第一だからね。フリー時間なら相手、してあげる。センター試験の期間は、うちに帰れるんでしょ? 仕事が終わったら、ぼくもすっ飛んで帰るから、たくさん甘えてくれていいよ」


「ありがとう」


「ぼくは待っているから。いつでもおいで」


 甘いことばを残しつつ、類は名残り惜しげに帰って行った。

 玲がいなかったら、さくらは類に身を投げ出していたと思う。



 成人式やセンター試験付近の週末は、毎年天気の荒れが心配される。

 今年も、冬の強い寒気が降り、試験前日は全国的に雪模様となった。


 涼一が、念のため早目に東京へ移動するよう指示してくれたので、さくらは交通機関の乱れに遭遇することはなく、帰京を果たせた。


 久しぶりの帰宅。

 自宅なのに、恥ずかしくて照れてしまう。

 最寄の駅も人の往来も、懐かしい。

 降り続いている雪のせいで、電車には少しずつ乱れが生じてきている。

 足もとも滑りやすい。


 さくらは傘を持ち直し、腰を低く据えて踏ん張って歩きはじめた。

 受験生なのに、滑って転んだらあぶないだけではなくて、縁起が悪い。


「そこのお嬢さん、お荷物を持ちましょう」


 傘を浮かせて見上げると、玲が立っていた。


「おかえり。雪、だいじょうぶだったか」


 玲のことばとともに、吐き出される息は白い。


「わざわざ迎えに? この寒い中、悪いね」


「迎えったって、マンションから徒歩五分もかからないし。早くお前に逢えるためなら、これぽっちの雪や寒さなんて、関係ない」


 そう言い捨てると、玲はくるりと踵を返して自宅への道を、さっさと歩きはじめた。


 どうやら、照れているようだ。

 さくらはマフラーの中に顔を埋めるようにして、少し笑った。

 あまり大笑いすると、きっと玲がむきになって怒りそうだから。


 ありがとう、と玲の背中に向かって小さくつぶやいた。


 同じ部屋に住んでいるのに、一緒に帰ったことは数えるぐらいしかない。

 受験生だ、滑らないように細心の注意を払いつつ、さくらは慎重に歩いた。


 一時的に返してもらった家の鍵で、さくらはドアを開けて元気にただいまの挨拶をした。

 金曜の午後、という時間。

 部屋には誰もいなかったけれど、玲があたためておいてくれたので、とても快適だ。


「おかえり、さくら」


「あったかい。やっぱり自分の家は、いいなあ」


「あっちは寒いのか」


「うん。雪もね、融けきらないうちに、次の雪がどんどん降るの。初めて見た。気分転換で、たまに雪かきを手伝うけど、これがまた大変で」


「外を出歩いているのか? かぜ、ひくなよ」


「だいじょうぶだって。引きこもり生活ばっかりじゃ、身体がなまるもの。玲は、現場のアルバイトをしているんだってね。この前、軽井沢に来てくれた類くんから聞いたんだ」


「ああ。力、ついたよ。今日はさすがに、雪で休み」


「お金にはなりそうだけど、大変でしょ」


「うん。今、一日五食」


「すごい。それだけ動いているんだ」


「少しでもいい部屋に住みたいからね、さくらと。今のうちに、できるだけ稼いでおかないと」


「私は狭くてもいいんだよ。その分……、近くにいられるし。ねえ、例の高給バイト、辞めたんだってね」


 さくらはやんわりと、渋谷のホテル勤務その後について触れた。


「ああ。もうすぐ京都だし、人に誤解されるような振る舞いをするのは、もうやめた。大切なものを失いたくないから」


「玲こそ、がんばり過ぎて身体を壊さないようにね。ふふ、私たちまだ若いのに、身体のことばっかり気にしている」


「身体が資本。いいことだ。さて、お茶にしようか。そろそろ三時だ」



 おやつに、玲はケーキを焼いてくれていた。


 ガトーショコラに生クリームホイップ添え。

 食べてしまうのがもったいないほど、端整でうつくしい。


「相当疲れがたまっているようだと、類から聞いて。今日は体重のことを気にせず、元気が出そうなものをがんがん食べてくれ」


「体重ですよ? いつ、気にしているって言った? きょうだい揃って失礼だなあ」


「食えよ」


 仕上げにと、玲は皿の上のケーキに粉砂糖を振りかけた。


「こんな料理の腕があるのに、ずっと隠していたわけ?」


「別に、隠していたつもりじゃない。お前がいたから、しなかっただけ」


 なにをしても器用だし、できるとは思っていたけれど、まさかここまでとは。

 ま、負けそう。

 うれしさ半分、悔しさ半分でさくらはケーキを載せたフォークを口に運ぶ。


「お、おいしい」


 ガトーショコラは口の中でとろけた。

 ほどよい甘みとかすかな苦味、まろやかな舌触り。

 感激である。

 夢中で、ひと切れを完食してしまった。


「もうひとつ、食べるか」


「いいの?」


「まだまだあるぞ。夜食用のブル―ベリータルト。類が好きなマーブルクッキー」


「すごい。すご過ぎる」


「実は、母さんが手伝ってくれたんだ。料理はまったくだめなのに、お菓子のほうはなんとか人前に出せるものが作れるようになってきてさ。お菓子は、タイミングと正確な分量だからな」


「お料理はそのときの匙加減、だもんね」


「そうそう」


 結局、さくらはガトーショコラをふたつ。クッキーを五枚食べ、タルトも試食した。食べ過ぎだったけれど、おなかも心も幸福感でいっぱい。完全に餌付けされた。


「帰ってきて、ほんとよかった。眠くなっちゃったな」


「寝ろ寝ろ。リラックスして」


 ソファにごろんと横たわるのも、いつ以来だろう。


 壁に、新しいカレンダーが貼ってある。

 涼一の会社のものだ。

 その反対側の壁には、北澤ルイのアイドルカレンダー。

 一月は和装である。なにを着ても似合うし、絵になる。

 笑顔が、悔しいぐらいにかわいい。軽井沢の部屋にも貼りたい。


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