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同じ 鍵を 持っている  作者: 藤宮彩貴


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9 運命のベルは鳴った①

 次の日。


 さくらは始発の新幹線で、張り切って登校した。

 父の涼一は転勤初日だ。

 新しい職場で挨拶をし、現状の報告を受けたら午後、学校に来くれて事情を説明するるらしい。軽井沢には、一緒に帰る予定でいる。


「おはよう」


 始発に乗っても、登校時間にはぎりぎりにしか到着できないことを知った。焦る。


 それでもやはり、教室に玲はいなかった。

 静かに席に着く。

 始業のチャイムが鳴り、朝のホームルーム。

 一時間目がはじまる。


 授業開始後三十分ほど経ったころに、教室後方のドアが開いた。

 誰かしらとそっと様子を窺うと、ようやく玲が来たところだった。


 視線が合った。


 さくらは激しく動揺した。

 まさか目が合うとは思ってもいなかったので、固まってしまった。


 すると、玲はやさしくほほ笑んでくれた。いつもの顔だった。


 さくらはあわてて頷き、顔を黒板方向に戻した。

 ほかにはなにも、意思表示ができなかった。



 一時間目が終わると、ぽんと机の上に包みが置かれた。


 いつも使っている、さくらの弁当箱だ。


 見上げると、玲がどうだとばかりに目の前で仁王立ちしている。


「これから、お前の弁当は俺が作ってやる。毎日、真面目に登校するのか」


「うれしい、忙しいのにありがとう。今日、父さまが学校に話をしてくれるから。試験休みに入るまでは、たぶん登校できると思う」


「それと、こいつな」


 頭上から降ってきたのは、大量のマスク。


「新幹線なんて、不特定多数の人間が乗るんだ。どんなウィルスが浮遊しているか、分かったものじゃない。絶対にマスクをしろ。お前好みの青とかピンク、柄マスクも用意した」


「ありがとう、玲。すごくうれしい、私……うれしいよお」


 さくらは泣いていた。

 泣くつもりはなかったのに、涙が止まらない。

 ぽろぽろ、ぽろぽろ。

 涙の粒は次々と生まれて来る。


「ばか、これぐらいで泣くやつがいるか」


「うん」


 一度流れはじめた涙は、どんどんあふれてゆく。


「さくら、移動しよう。みんなが見ている」



 玲は遅刻に続き、さくらをなぐさめるために、二時間目もサボることになってしまった。


 連れて行かれた先は、校舎の屋上だった。

 風が強くて少し寒い。


 ふたりは階段の踊り場の隅に戻り、壁に立てかけてあったベニヤ板を床に敷き、隣どうしくっついて座った。


「これ。昼休みに渡そうと思っていたんだけど」


 玲が渡してくれたのは、合格祈願のお守りだった。


「北野天満宮」


 確か、天神さん。西陣で歩いているときに、前を素通りした神社だ。


「買いに行った」


「また京都まで?」


「ああ。金曜の夜、部屋を出たあとに勢いで。土曜にお参りをした。お守りを買っただけじゃなくて、ちゃんとご祈祷を申し込んで祝詞を挙げてもらったんだ。大安の土曜だったから、半日もかかったよ。北野天満宮は、学業の神さまの菅原道真公を祀っている。東京にも、湯島天神とか、谷保天神があるけれど、さくらは京都の大学を受験するんだもんな、遠方で祈願するよりも、近いほうがご利益あるだろ」


 一時間目を遅刻したのは、帰りもバスだったからだという。

 早朝にバスで東京に着き、いったん自宅へ戻って弁当を作り、制服に着替えて登校したらしい。

 つい先日、京都から戻ったばかりだったので倹約した……というのは、建前で。


「日曜日、お前を冷静に見送る勇気がなかったんだ、ごめん。取り乱しそうで」


 お守りのほかに、メッセージカードもが入っている。聡子と類からだ。


「ありがとう、いろいろと。今、読んでもいい?」


『さくらちゃん、応援しています 聡子(母)より』


『さくらねえさんなら、ダイジョウブ。てか、東京に残ってぼくに乗り替えなよ。いっぱいゼイタク、させてあげるよ 姉激愛の類より』


 しかし、類のメッセージの後半には、文字の上に黒い線が――――――と引かれ、無残にも消されていて、かろうじて判読できる程度だった。

 おそらく、玲の仕業だろう。


 でも、うれしくて、また涙がにじんでしまった。


「祥子にも会って、言ってきた。『いずれは、さくらと一緒になりたい』って」


「納得してくれたかな?」


「まさか。京都に来たら、俺たちの仲を全力でじゃまする、と逆に宣言されたよ。祥子らしいといえば、らしいけど」


「どうするの」


「俺も、全力で抵抗する。祥子の思うままにはならない。だから、さくらも俺に協力してくれ。過去の……類とのことは、忘れるから。さくらのことばを信じる」


「……この前、あんなに疑ってかかっていたのに」


「最後まで遂げたなら、類が自慢して言うはずだ。でも、言わなかった。あいつに受けた傷、まだ残っているのか?」


「うん、少しは」


 だんだんと赤みが引いてきたけれど、完治はしていない。

 実は今日も、制服のジャケットの下はタートルネックのニットを着ている。

 寒い時季でよかった。

 しばらく、薄着はできそうにない。


「なにもしないから、見せてくれないか。傷をつけてしまったのは、俺の責任だ。さくらを守るとか大言吐いておきながら、ちっとも実現できなかった、俺の。だから、自分の不甲斐なさを、この目に焼きつけておきたい。二度と、つらい思いはさせたくない」

「分かった。でも、驚かないでね。ひどいから」


 二時間目の授業中。

 屋上に来るような人間はいないが、周囲に人の気配がないかどうかを再確認したあと、さくらはそっとジャケットとニットを脱ぎ、白いブラウスのボタンを外しはじめた。


 静かな空間に、意外なまでに響く衣擦れの音。


「ほんとに、脱いでくれるのか」


「玲が見せてって、言うからでしょ。絶対に絶対に、内緒よ。類くんを責めるのも、なし」


「了解」


 ごくりと、玲が息を飲む音がした。


 ガーゼの下に隠されているさくらの傷は、痛々しい。

 類のつけた痕が、いくつも残っている。

 ようやく傷が塞がった段階で、完治にはまだ遠い。

 かといって、さくらは病院にも行けなかった。


「ひどいな。痛かっただろ。なんてことしてくれたんだ、あいつ」


 そう言いながら。

 玲は患部をガーゼで閉じ、やさしく傷口を撫でた。

 いたわるように、そっとやさしく。


 いやな感じは、まったくしなかった。

 かえって、さくらは癒された。


「私がはっきりしなかった、罰。類くんの言う通りだもん。あの夜……実は、私が駄々こねたの。東京には、帰りたくないって。だから類くんは、私のために泊まるホテルを用意してくれて。ほかにも、服とか、小物も全部。なのに、途中で、やっぱり……玲のこと、思い出して、拒否したから……」


「だからって、これはただの変態の仕業だ」


「類くんは、私にちゃんと釘を差してくれた。ぼくと泊まったら、どういうことになるか分かっているねって。私も、もちろん覚悟してついて行った。でも、玲への気持ちを断ち切るなんて、玲を忘れるなんて、やっぱりできなかった。玲、ふらついてごめん。そばにいたい。受験、がんばるね」


「ああ。俺のそばにいてほしい。できたら、京都でも同居しよう。今みたいに、同じ鍵を持って暮らそう。一秒でも長く、一緒にいたい」


「うん、約束だよ」


「俺は、ふたりで住む部屋を探す。さくらは大学に合格する。よし、当面の目標ができたな」


 ふたりは、誓いの指切りをした。



 その後。


 さくらは死に物狂いで勉強した。

 軽井沢の隔離部屋で、通学途上で、おふろの中やトイレでも。

 それでも、睡眠時間は最低五時間を死守し、テレビも見ず、ゲームもせずに勉強に励んだ。どんどん浮世離れする自分を感じたけれど、些細なことに構っていられない。


 クラス担任には、今から京都の超難関校を受験するなんて無理だと、はっきり宣告されてしまったが、さくらは意見を変えなかった。


 冬休みもクリスマスも年越しも新年もなく、雪降る軽井沢で迎えた。


 実は、さくらの猛勉ぶりを心配した涼一が、三日間ぐらいなら帰省してもいいよと、ささやいてくれたのだが、さくらは自分の意思で拒否した。


 携帯電話も使わなかった。

 玲の声が聞きたいときや、短いメールでもいいからほしいときもあるけれど、さくらはもらったお守りを握り締め、じっと耐えた。


 離れていても、心はつながっている。


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