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同じ 鍵を 持っている  作者: 藤宮彩貴


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7 いま、ここに宣言します!③

「俺には話せないことを、類には話すのな。類にはずいぶんと、心を許しているんだな」


「別に、黙っていたとかじゃないよ。ただ、言うタイミングがなかっただけ。玲だって、京都に行くこと、教えてくれなかったくせに」


「お前が聞かなかったからだろ。進学コースを選択していない時点でお察ししろ」


「聞こうと思っていた。でも、聞けなかったんだよ」


「うっへん! 痴話喧嘩なら、よそでやっておくれやす」


 祥子がふたりを止めた。


「ええか。ここは、糸染めの工場や。そないに下世話な会話をお糸はんに聞かせはったら、お糸はんがヘソ曲げて弱ってしまうで。さ、玲。ほな、またな。春に。ちゃあんと、高校を卒業するんやで。覗き見ちゃん、類のこと、よろしゅう。ゆうべは、ええ夜やったんか? 類、手が早うおすさかい、あんさんみたいな無垢な女の子をほかしておくわけあらへんで」


 さくらが答えにつまっていると、玲がかばってくれた。


「祥子。さくらは万事、疎いから。そろそろ、出よう」


「つれへんなあ。ま、覗き見ちゃん。うちが玲の婚約者ってゆうのは、ほんまや。うちと玲が結婚して、工場を継ぐ約束さかい。いとこどうしなら、義理の兄妹より外聞もええやろ」


「その話は断ったはずだ。おじさんも、祥子を工場につなぎ止めるつもりはないと、言っていた」


「春から同居やろ。そのつもりがなくても、一緒におったらそういう関係になるえ」


「俺は、工場の外に下宿を借りて通う。住み込みはしない。祥子みたいな若い女がいる家には住めない。おじさんも賛成してくれた」


「下宿? お家賃、高うつくで。うち、給料なんてほとんど出えへんし」


「構わない。夜はバイトするから。それじゃ」


「玲のいけず」


 玲は無言で、さくらを引きずるようにして工場を出た。

 おじさんに挨拶をし、ふたりは外に出た。



「こっち」


 さくらは前を歩く玲の背中を見つめた。

 ……どうしよう。

 聞きたいことが山ほどあるのに、聞けそうな雰囲気ではない。


 こういうとき、類ならばさっと横に並んでやさしく手をつないでくれるのに。

 玲は黙って、前方一点を見ていた。


 さくらがバスを降りた千本通まで出ても、玲は西へ西へ歩き続ける。


「あのさ玲、どこへ」


「いいから、ついてきて。少しだけ、京都観光させてやる。京都には、昨日の夜に着いたなら、全然見ていないだろ」


「う、うん」


 さすが兄弟、人を連れ回すときの言い方が少し似ていた。


 それに、玲は絶対に気にしている。

 玲は、類とどう過ごしたのか知りたがっている。


 祥子に、類との夜を指摘され、答えられなかった。

 軽蔑されているのではないかと考えるだけで、胸がきりきりと痛む。



「玲さーん、今日中には帰れるんだよね」


「当たり前だ。明日は学校だ」


 実は、下したての履きなれないサンダルに、さくらは違和感が出てきた。

 類はさくらの衣類を身ぐるみ持って帰ってしまったので、新しく買い与えられたこのサンダルを履かざるを得なかった。

 サイズは合っているものの、たぶん踵が擦れて痛い。

 これ以上、玲の機嫌を損ねたくないあまり、さくらは我慢して従った。


 北野天満宮(天神さん)を通り過ぎると、駅が見えてきた。


「これに乗る」


「京都駅まで?」


「駅には向かわない」


 切符を買うために、さくらは財布を出した。残金は、あと三千円。正直、交通費だって惜しい。

 玲に貸してもらおうか。

 いくら守銭奴の玲でも、妹が困っているときは貸してくれるだろう。

 借金の申し込みは最終手段だ。


「パスモ、使えるから」


「へ?」


「嵐電、パスモで乗れる」


 なるほど、関東私鉄系のICカードでも使えるということか。

 さくらは安心した。

 パスモにならば、多少お金がある。なにかあったときのために、涼一がいつも多めにチャージしてくれる。

 今さらだけれど、朝食や買い物もパスモを使えばよかったのだ。



 さくらは電車に乗るなり、座った。空いていてよかった。

 応急措置として、踵に絆創膏を貼りたいところだが、ふだんのバッグは類が持ち去っていた。


「玲。絆創膏とか、持ってないよね」


「ないけど。ケガでもしたのか」


「サンダルが痛くて」


「サンダル?」


 車内ゆえ、行儀が悪いと思ったが、さくらはそっとサンダルを脱いだ。

 両脚のかかと、ちょうどアキレス腱のあたりが、きれいに赤く染まっている。血もにじんでいた。


「靴ずれか。慣れない恰好、するからだ」


「したくてしているわけじゃないもん。これしかないから」


「これしかない?」


「うん。類くんが、明日着てって用意してくれたの」


「類の趣味か。言われてみれば、そうだな。いかにも男が好きそうな服だ。さっきから、やけにさくらを男どもが見てくるなと思っていたが。とりあえずテッィシュでも詰めておけ。駅に着いたら、絆創膏を買ってやるから」


「ありがと。ごめんね、迷惑かけて」


「少し歩くから、覚悟しておけ」


 電車は線路を走ったり、路面電車になったり、東京ではあまり見かけないレトロ路線だった。


「へえ。映画村とか、行けるんだね」


 終点の嵐山駅で降りると、玲はホームのベンチにさくらを座らせて絆創膏を買いに走ってくれた。

 こういう、気の利くところは頼もしい。


「ありがとう。うん、これならもう少し歩けそう」


 踵に絆創膏を貼ると、痛みはだいぶ和らいだ。


「無理、するなよ。どうしようもなくなる前に教えろ」


「教えたら、どうなる?」


「そりゃ、相応の処置を。おぶってやる、お前を。いいか、ゆっくり歩いてやるから」


 手を差し伸べてきた玲の顔は、真っ赤だった。


「うん。了解」


 ふたりが手をつなぎ、嵐山駅を降りて向かったのは、渡月橋。

 テレビや雑誌でもよく登場する、木製の橋である。


「わあ。京都って感じだね、京都」


「この川は大堰川。下流に行くと、桂川と名前を変え、宇治川と合流する。さらに淀川となり、大阪湾に続いている。今日のところは見るだけだ。用事があるのは、こっちの岸だから」


「えー、歩きたい。玲、途中まで」


「脚が痛いんだろ」


「……そうでした」


「嵐山は市内中心部よりも紅葉がやや早い。だいぶ色づているな」


「うん。鮮やか」


「向こうの山は小倉山といって、麓に藤原定家が隠居した庵があったらしい。分かるか、定家。歌人で、百人一首の選者」


「はい。思い出しました」


「受験生、しっかり」


「玲が詳し過ぎるんだよ」


 人力車のお兄さんの営業熱心な乗りませんか攻撃をかわし、ふたりはしばらく川沿いの道を歩いたあと右折。


 通りかがりの花屋で地味目な花束と線香を買い、とある寺の門前まで辿り着いた。

 玲は荘厳な本堂や塔には目もくれず、墓地の区画へと進んだ。

 入り口で、桶と柄杓を借りる。


「お墓参り?」


 さくらの質問には答えてくれない。

 次第に、玲の顔つきが神妙になってくる。


 墓石に『柴崎家之墓』と刻まれているところで、玲は止まった。


「父が眠っている」


 玲と類の、父。聡子の前夫だ。


「次男だった父は、柴崎家の婿になった。夫婦仲はよかったらしいんだけど、飛行機事故で死んだ。遺体は見つからなかった。だから、ここに骨はない。あるのは、生き残った者たちの執念かな」


「そのとき、玲は何歳だったの?」


「五歳。俺はうっすらと覚えている。類は、記憶にないってさ」


「そんな小さいころに」


「もう、おぼろげだけどね。顔とか、父の兄である工場のおじさんを見るとああ、ってたまに思い出したりするぐらい。母もとうとう再婚できたし、今日はその報告。母さんのことだから、忙しさにかまけてどうせ墓参りなんてしていないだろうし。聞いてもいいか、さくらの母親は?」


「うちは、私が赤ちゃんのころに病気で亡くなったって。だから、お母さんっていうものが分からなくて、悲しくもつらくなかったっていうか。父さまががんばってくれたぶん、周囲に『お母さんがいなくて、かわいそうなさくらちゃん扱い』されるのが、いやだったな」


「あー。それ、分かる。鬱陶しいよな」


「そうそう。『アタクシ、片親の子どもに同情している心の広い人間』が、わずらわしかった」


「だよな。片親だからって、進学を諦めたりする必要はまったくない。国公立とか、奨学金とか、授業料免除とか、手立てはある。片親を理由にするのは、逃げ。甘え。情報収集の欠如」


「気が合う。私も同意」



 花を供え、墓石を浄める。

 線香に火をつけた玲は、墓前で深く頭を下げた。


「父さん。こいつ、新しい妹。同じ歳なのに、なんと妹なんだ。相変わらず、母さんっておもしろいことをしてくれるだろ。笑ってくれよ。ま、俺たち兄弟も揃ってこいつを好きになっちゃったから、変わっているよな。でも、俺はほんとに本気。さくらが好きだ。誰にも譲れない」


 さくらが好き。

 玲は自分にではなく、墓に向かって告白していたが、玲の気持ちを初めて知ることができた。

 胸がいっぱいで、ことばが出て来ない。


「さくら、お前も父さんに挨拶をしてくれるか……って、なに泣いてんだ。しかも、号泣? ここで?」


「ごめん玲、困らせるつもりはないんだけど。涙が止まらない」


「おいおい、俺なにか悪いこと、したか? 脚が痛いのか?」


「ううん。だ、だいじょうぶ。私が勝手に感動しているだけ。さくらが好きって、はじめて言ってくれたから」


「そっちか!」


「ありがとう。うれしい」

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