表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
同じ 鍵を 持っている  作者: 藤宮彩貴


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

27/42

7 いま、ここに宣言します!①

 明け方。


 先に目を覚ましたのは類だった。さくらはぐっすりと寝ている。

 少し口を開いている間抜けな顔が、ひどく愛らしい。


 切なすぎて、ふと類は笑ってしまった。

 どんなに抵抗されても思いを遂げるつもりだったのに、さくらの涙に負けてしまった。

 途中で萎えた自分を笑い飛ばす。

 こんな想いは、はじめてだった。


 シャワーを浴びた類は着替えを済ませたけれど、さくらに起きる気配は皆無だった。

 傷口の血は止まっているが、血の塊がこびりついている。

 類はさくらの傷を、濡らしたタオルでそっと拭ってやるが、自分の手指も切り傷だらけだった。


 そろそろ、出なくてはならない。今日も仕事がある。

 始発の新幹線に乗ってもたぶん、遅刻は免れない。

 無断外泊ゆえに、携帯電話の電源を入れるのが怖いぐらいだ。

 指につくってしまった傷は撮影に支障が出るだろうし、いろんな意味で大目玉間違いなし。


「ありがとう、大好きなさくら。そして、さようなら。ぼくの初恋」


 寝ているさくらに、ためらったけれど類はもう一度だけ唇を落とした。

 本心では、このまま部屋を立ち去りたくなかった。

 一緒に帰りたい。起こしたい。

 今すぐにでも、自分だけのものにしたいのに。


 長いキスが終わっても、類は未練がましく、さくらの唇を指でなぞる。

 不意に起きてくれることを切実に祈りながら。

 さくらの目が開いたなら、もう一度だけ懇願してもいい。

 無様でもいい。自分をかなぐり捨て、さくらに縋ってもいい。


 けれど、類に奇跡は起きなかった。


「ぼく、昔っから、運はあんまりないんだよね。全部、実力で掴む派だから。じゃあね、さくら。東京で待っているよ」


 さくらに感謝しながら、荷物をかかえた類はドアを開く。


「くしゅっ。かぜ、ひいたかな……寒気もする」


 アイドルモデルは、くしゃみさえも愛らしかった。 



「しまった!」


 午前九時。

 まぶしくて、さくらが目を覚ましたのは、とうに明るい時間。


「うわっ、どういうこと。あり得ない」


 ざざっと、重いカーテンを引くと、ホテルの眼下である京都駅前には、通勤通学の人々が観光客に挟まされながらも、黙々と歩いていた。


 窓が開放できないのが残念なほど、いい秋晴れだ。

 京都の町を囲む山の稜線が、うつくしく青空に連なってる。ほんのりと紅葉しているのも、いい感じだ。



 一方、ベッドのシーツの上には、ふたりの血痕とバラの花びらが点々と落ちていた。

 正直、昨夜のことは悪夢のようだった。

 ホテルに類と来た。

 痛いほどの愛撫を受けた。


「そう、ほんとうに痛かった!」


 さくらはバスルームに駆け込んだ。

 鏡を覗くと、胸の上部に類に受けた傷やキスマークが赤々としっかり刻まれている。

 夢ではなかった。


 けれど、きれいに拭いてある。

 その代りに、バスルームのごみ箱の中には、血塗れたタオルが捨ててあった。

 類が、拭いてくれたのだろう。


「容赦ない。類くんは」


 しかし、類の姿はない。

 よく見ると、荷物もない。

 ……消えてしまった。

 朝食か、コンビニでも行ったのだろうか。


 とにかく、さくらはシャワーを浴びて身体を洗った。

 傷に、お湯がしみる。


 類が戻ってきたら、また問答がはじまるに違いない。

 急いで身体を洗って出てきたさくらだったが、携帯にメールが入っていることに気がついた。

 待ち受け画面が、北澤ルイの画像に変わっている。

 さくらが寝ている間に、いたずらされていたらしい。

 営業用笑顔のルイ。でも、これも悪くない。



 メールのタイトルは、『さくらねえさんへ』。類からだった。



『おはよう。

 そろそろ、起きたかな?


 ぼくは先に、東京へ帰ったよ。

 今から仕事場入り。

 ま、遅刻だけどね。


 さくらねえさんは、玲をとっちめてから一緒に帰っておいで。

 気持ちを全部、あいつにぶつけてくるんだよ。


 じゃなかったら、ふたりとも家に入れてあげない。


 あと、さくらねえさんの制服はぼくが家に持って帰ったから。

 とびっきりかわいい白のワンピで、玲に会いに行くんだよ。


 泣いている顔もかわいいけど、さくらねえさんには笑顔がいちばん似合うよ。


 今日の仕事は泊まりになる予定。

 よろしく 類』



「類くん……」


 昨夜、いちばん傷ついたのは、さくらではなく、類だと思う。

 自分の優柔不断で類を欺いてしまった。

 謝っても、謝りきれない。


 だからこそ今、自分にできることは玲に逢い、素直な気持ちを伝えること。

 砕けたっていい。

 また、挑めばいいのだから。


 傷をハンカチでおさえ、着てみたワンピースは測ったかのように、さくらの身体にぴったりだった。

 昨日のうちに着て、類に見せてあげればよかったと思うほどに。


 けれど、首筋から鎖骨の下にかけて残された類の刻印だけは目立つし、さくら自身も気になるので、どうにかしなければならない。


 甘い桜色のコートと靴を合わせ、小さなバッグを持つ。


 さんざん迷ったけれど、二度と同じ間違いをしないように、さくらはバラの花びらを拾い集めて袋に入れ、お守り代わりに持ち帰ることにした。


 決心して部屋を出る。

 類に受けた痕跡が気になるので、さくらはコートの襟を立てて足早に歩く。


 ホテルの会計は済んでいて安心したが、昨日借りた便利なカードは類に返しているし、手持ちのお金はあまりない。

 昨日は類がタクシーに乗せてくれたが、今日はそうもいかない。


 さくらは玲がいる西陣まで、電車かバスで行くと決めた。

 ホテルの窓から見下ろしたところ、すぐ真下がバス乗り場だったし、観光案内所の看板も見えたのでそこに行って聞こうと思った。


 観光案内所の掲示板を見たさくらは、固まった。


「……なにこれ」


 京都の交通網はバスが発達しているようだが、路線図は複雑怪奇に入り組んでいた。

 市バス、京都バス、京阪バス、JR、私鉄に……地下鉄?


 眺めるだけで、目がちかちかしてきた。

 考えるだけ時間の損、聞いたほうが早そうだ。


「西陣まで、行きたいのですが」


 観光案内所のおばちゃんは、顔を顰めた。


「西陣のどこ? 観光しはるんか?」


 昨日の類は、なんと言っていただろう。


「い、いえ。観光ではありません。糸染めの工場で……そうだ、高幡たかはたさんっていう、お宅なんです」


 さくらは、工場にかかっていた古い看板のことを思い出した。


「高幡はんの糸工場、一般公開してはったっけ」


 おばちゃんが、隣に座っている同僚に尋ねた。


「いや、してはらんやろ」


「見学じゃありません。遠い親戚の家なんです。でも、どうやって行ったらいいのかなって」


 さくらの姿を、おばちゃんがじろじろと見てきた。


「だったら、直接電話して聞けば、早いんとちゃうか。ま、ええわ。東京者か」


「はい」


「土日やったら、案内所は大混雑で、回答には時間がかかったで。お客さん、ぎょうさん来はるさかい。きれいな服のお姉ちゃん、ラッキーやね」


 そう言いながら、おばちゃんは地図を広げて詳しく説明してくれた。


「ええか。京都駅前から市バス。50系統か、206の循環に乗りなはれ。101なら洛バスでもええわ。千本今出川で降りる」


「せんぼん、いまでがわ? 私が行きたいのは、西陣なんですが」


「高幡はんとこには、千本今出川ゆうバス停が、最寄や。市内観光なら、市バスの一日券を買うとき。この春に値上げしたけど、六百円で乗り放題や。スイカかパスモでも、ええねんけど」


 最後に、ぽいっと観光客向けの地図を渡され、さくらへの回答は終了した。

 おばちゃんは、次に並んでいた人ともう、話しはじめている。


 渋々案内所を出るものの、駅前のバスターミナルには、うなるほどの数のバスが停まっては出てゆく。

 地図で確認してみると、西陣を通っている電車はなく、バスで向かうしかないようだ。『西陣』というバス停もない。

 おばちゃんの言う通りだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ