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同じ 鍵を 持っている  作者: 藤宮彩貴


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6 想い④

 頷きながら、さくらは戸に手をかけようとした。


 玲が驚き慌てる顔を思い浮かべながら。

 さくらの行動力にあきれるだろうか、それとも、弟の類と来たことを逆に叱られてしまうだろうか。


 想像していたよりも、戸は重かった。

 古いせいか、なかなか動かない。


 さくらが苦心していると類が手伝ってくれたが、さくらが工場に入るよりも早く、表の住居スペースから姿をあらわした人がいた。


「れーい。ええかげん、晩ごはん食べておくれやす。うち、最後に食器を洗わなあかんし」


 すらりと背の高い、色白の女性だった。


 年は、二十歳過ぎぐらいだろうか。少し歳上だと思う。

 耳にはピアスが光っている。

 さらさらで長い黒髪にショートパンツ。

 細くてきれいな脚がまぶしい。


「もう、そんな時間か」


「けったいやね、玲は。いったん工場に入ると、時間を忘れはる。どないなっとるんやろ」


「ごめん、手を洗ったらすぐに行く」


 玲は明るい笑顔だった。

 さくらの胸が痛くなるほど、すがすがしい表情を浮かべている。

 

 あんな顔、誰かに見せるんだ……。


「ほなな。また、あとで」


 女性は、玲の頬に不意打ちでキスをした。

 作業で手が汚れていた玲は防げなかった。


「なにするんだよ、祥子しょうこ


「ふふっ。玲が遅うて、待ちくたびれたさかい。罰や。甘い罰」


「ばか言え」


「うちと玲の仲やないの。今さら照れても、無駄」


 ふたりは、とても楽しそうだった。

 談笑しながら、表の町家へ吸い込まれてゆく。


 さくらは声が出なかった。

 息すら、吸うことを忘れてしまったかのように立ち尽くした。


 全身から血の気が引いてゆく。



「玲のやつ、いい気になりやがって。さくらはここにいて。ぼくが乗り込んでやる」


 息巻く類を止めるのが、やっとだった。


「だめだよ。玲のじゃま、したらだめ」


「でも、あんなのってないよ」


「西陣織の糸染め職人は、玲の夢なんでしょ。だったら、静かにしよう。玲だって、高校卒業が条件なら、近いうちに戻ってくる。絶対に。だから、今は」


 自分に言い聞かせるように語りかけると、さくらは走り出していた。


 夜の、京の町をただ走る。

 東西南北、闇雲に走った。


 どこをどう進んでいるのかも分からない。


 なにかに憑かれてしまったかのように、さくらは泣きながら走った。

 いったん止まれば、涙で視界が歪みそうだった。



「さくら、もういいでしょ」


 類が、懸命にさくらのあとを追ってくれていた。


 さくらの気が済むまで、きっちり間隔を保ち、さくらは疲れてきたというところで、つかまえてくれた。

 深く、抱き留めてくれた。


「あんな場面を見せてしまうなんて、ぼくの失敗だった。京都まで、連れてきてごめん。傷つけてしまって、ごめん。あの女は、工場の娘で……」


 涙でぐしゃぐしゃになっているさくらの顔を、類はハンカチでやさしく拭いてくれた。


「いい。なにも、聞きたくない。類くんの、せいじゃ、ない。類くんは、悪くない。私が勝手に、泣いている、だけ。どうして涙が、止まらないのかも、分からないのに。私、なんでこんなに、泣いて、いる、の?」


 類はさくらの頭を撫で、そっと額にキスを落とした。


「だいじょうぶ。考えなくていい。とりあえず、京都駅まで戻ろう」


 北野天満宮のあたりまで来てしまったさくらと類は、今出川通に出てタクシーをつかまえて乗った。


 行きの車内とは違い、さくらのほうから類にしがみついていた。

 ひとりでいたくない。誰かにいてほしい。

 類のやさしさを利用するなんて、ずるいと思いつつ、離れられない。

 そんなさくらの心を察知してか、類はずっと頭を撫でてくれている。


 たったの一時間で、京都駅へ戻ってきた。

 和ろうそく型をした京都タワーが、ほんのりとやわらかく光っている。


「帰りの新幹線、間に合うよ」


 タクシーを降りた類が、さくらの背中をそっと押した。

 けれど、さくらは動かなかった。


「さくら?」


 類はもう一度聞いた。さくらは首を横に振る。


「また来よう。今度は休みを取って。京都は、いつの季節もいい場所だよ」


「……たくない。帰りたく、ない!」


 さくらは訴えた。


「はあ? 帰りたくないって、どういうこと?」


「だから、ことばそのまま」


 あきれたように、類はさくらの顔色を窺った。

 さくらの頬にまつげが触れそうな距離に、類のきれいな顔がある。


「玲が京都にいるから、帰りたくない気持ちは分かるけれど、それってただのわがままだよ。だったら、あのときどうして玲に声をかけなかったんだよ? ぼくだって、できる限りのことはしたんだからさ、さくらもして見せてよ。ほら、今日は帰る。ゆっくりと、うちでなぐさめてあげるから」


「家はいや。玲のにおいがする。玲のこと、思い出しちゃう。帰りたくない」


「ずいぶんと、わがままだなあ」


 明らかに、類はさくらを持て余していた。

 さくらにはもう、頼れる人は類しかいなかった。


「類くん、お願い一緒にいて」


「おいおい、大胆発言だなあ。ぼくの気持ち、知っていてそんなこと言うの? 残酷だな、さくらは。じゃ、いいよ。ふたりで泊まろうか」


 泊まる?


 さくらは、類の顔を見上げた。

 軽く告げたように聞こえたけれど、表情は本気そのものだった。


「と、まる……」


「そ。京都観光に、ベストな紅葉時季とはいえ、平日だし部屋はあるでしょ。駅前には、ぼくが京都で定宿にしているホテルもあるしさ。でも、ふたりで泊まったらどういうことになるか、さくらにも分かるよね。知らないとは言わせないよ」


 前回、類との夜は結局遊び歩きに終わった。

 けれど、今夜はそうもいかないだろう。

 それぐらい、さくらにも分かっている。


 けれど、玲がいない家に帰る勇気もない。

 類がついていてくれても、つらい。


 しばらく、わがままで頑固なさくらを眺めていた類だったが、考えがまとまったらしく、時計を見ながら提案してくれた。


「じゃあ、こうしよう。今、八時半。さくらにとっては大切なことだから、これから一時間、考える時間をあげる。ええと、東京行きの新幹線の最終は、九時三十四分。切符ね、渡しておく。乗るか乗らないかは、さくらに任せるよ」


 さくらは、帰りの切符を受け取った。


「で、泊まりたい気持ちに変わりがないなら、このカードを使ってお泊まりに必要なものを買って一時間後、この場所に戻っておいで。ひとつ忠告しておくけれど、今夜からきみは北澤ルイの恋人になるんだから、ケチケチしたらだめだよ。といっても、さくらにはほとんど初めての土地だろうし、教えてあげる。この時間、デパートはもう閉まっているから、この先の階段を下りて地下街へ行くといい。東京にもよくある雑貨屋さんとか、見慣れたお店が入っているから、買い物しやすいはずだよ」


「類くんは、どうしているの?」


「ぼくも、この一時間で泊まりの準備をする。ホテルの部屋、取ったり。どっちにしてもぼくは今夜、帰るつもりはないよ。もう、面倒。朝いちばんの新幹線で、東京へ戻る……了解したね」


 さらに、類は持っていたカードをさくらの手に握らせた。類の名前はない。

 たぶん、事務所の経費で落ちる的なやつなのだろう。


「じゃ、一時間後。先に帰りたくなっても、連絡とかは要らない」


「うん……類くん、コートを」


「要らない。胸中がお寒いおねえさんに、貸してあげる」


 天使のほほ笑みで、類はさっさと立ち去った。



 ぽつん。


 さくらは駅前に取り残された。

 街はまだ明るいけれど、足早に帰途を急ぐ人の波が続いている。


 どうしよう。


 家には、帰りたくない。


 しかし、類とホテルに泊まる覚悟も固まっていない。

 でもひとりでは、お金がなくて泊まれない。


 寒いので、とりあえず類の教えてくれた地下街へ避難することにした。

 新幹線の最終時間にはまだ間がある。


 少し冷静さを取り戻したら、おなかが空いていたことを思い出した。


 階段を降り、地下街の案内図を見てみる。


「雑貨屋さん、九時までか」


 決心がついていなくても、先に買い物を済ませなければ準備ができないので、泊まれなくなる。

 時間的に、軽食はもう少し遅い時間になってもどこかの店で食べられるはずだ。

 おなかは空いていたが、胸がいっぱいで食べ物が喉を通りそうにない。


 まずは、雑貨を見るだけでも見ておこうかと、さくらは考えた。


 制服に、派手な赤い色の男物コート、という奇妙な出で立ちの自分が、ショップの鏡に映って、どきりとする。


 耳に届く会話は、聞き慣れない京ことばか、外国語。


 場違いなところにいることはじゅうぶん承知の上。

 化粧品に、替えのシャツや靴下などを、そっと買い物かごに入れてゆく。


 このあと、自分でもどうなるのか、よく分からない。


「ねえ、北澤ルイがこのへんを歩いてはったらしいで。見かけんかった?」


「モデルの? ほんまかいな。撮影やろか」


「本物、見とうおすなあ」


「あの雑誌の、今月号の表紙も特集も、めっちゃ男前やったし」


「そやね。新しいテレビコマーシャルも、ルイくんの笑顔に釘付け」


 買い物が終わったあとに入ったカフェでは、女子たちのそんな会話が聞こえた。

 夜+帽子+サングラスの防備でも、類は目立ってしまうのだ。

 もはや、宿命だろう。



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