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同じ 鍵を 持っている  作者: 藤宮彩貴


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6 想い②

「あれ、早く行ってあげなくていいの。かわいい弟さんのところに。お姫さまだっこで帰宅かな」


 純花までがさくらをからかってきた。


「……行くよ、これから」


「ほら。ルイくん、女子どもに囲まれて大変なことになっちゃうよ、ねえねえさくら」


「分かっているってば。ああ見えて、待たせたら、うるさいし」


「ま、怖いこと」


 予想したとおり、類は女子に囲まれていた。

 できることなら、無視して通り過ぎたいぐらい。


 類は、細身の明るい赤のコートと中には白いセーター、ブラックジーンズ。足もとはショートブーツ。

 雑誌の中から、そのまま抜け出してきたような姿である。

 庶民には、まぶしい。


「る……、類くん!」


 さくらはありったけの声を、おなかの底から絞り出して類の名前を呼んだ。



「さくらねえさん、よかった会えて」


 必殺、天使のほほ笑み。

 周囲の女子が、きゃあきゃあとわめいた。

 でも、これは作り笑いだと知っているので、さくらには通用しない。


「帰ろ。こんな目立つ場所、来ちゃだめじゃない」


「うん、ごめんね。でも一秒でも早く、さくらに会いたかったから」


 類にこんなことを言われて、落ちない女の子はいないだろう。

 さらに、歓声があがる。


 面倒なので、さくらは強引に類の腕を引っ張り、駅方向へ高速で歩きはじめた。

 少しでも、にぎやかな女子どもを引き離す必要がある。

 人通りの少ない、裏道を進む。


「待ってよ、さくら。速い」


「走ってもいいぐらい。帽子、もっと深くかぶって。顔、見えないようにして」


 自分が悪役になっておけば、類のイメージも傷つかないだろう。


「どうして、学校の門の前で待ち伏せなんてしていたの? 家に帰れば、会えるのに。家族なんだから。写真流出事件以来、学校側に私たちの印象はよくないんだし」


「早く会いたかったからだよ」


 こういう馴れたことばも、さくらに通用しない。

 軽く流せるようになった。


「『会いたかった』なんて、ほんとに光栄です。仕事は?」


「終わったよ、もちろん。だから、さくらと今夜はたくさん遊びたいなーって、迎えに来たんだけど?」


「なにそれ、急に。自分が暇だからって。こっちの予定も聞いほしい」


「聞いたじゃん。学校、何時に終わるのって」


「学校終わっても、遊びなんて。私、受験生なんだよ」


「勉強なんてしてないくせに。数学の問題集、同じページから全然進んでなかったよ。一週間も机の上に出しっぱなしなのに」


 また、部屋を覗かれたのか。


 さくらはさらに歩みを速めた。

 類が、さくらにつかまれている腕をふりほどき、今度は逆にさくらが腕をつかまれてしまった。


「怒らないで。問題集は、ちょっと借りようと思っただけ。マンションに帰ったらさ、めちゃくちゃだったわけ。なにもかも。乱れたままで。さくらが心配で」


「昨日は忙しくて、家事をする時間がなかったの。今日、やるから」


「そんなに玲のことが気になる? ぼく、あいつの行き場所に心当たり、あるよ」


「あるの?」


 さくらは驚いて足を止めた。


 玲に会えるかもしれない。


 会いたい。

 会って、責めてやりたい。

 どうして、突然いなくなったのかと。


「うん。行く?」


「もちろ……いやいや、待って待って、即答しない!」


 即答しようとしたが、狡猾な類のことだ。

 きっと、無理な交換条件を出してきたりするに違いない。


 さくらは身構えた。

 簡単に返事をしてはならない。これは、きっと取引きだ。


「ぷっ。いやだなあ、そんな警戒顔して。なにもしないよ。でも、心当たりに着くまで、場所がどこなのかは、聞かないでくれる?」


 類の目はやさしく、澄んでいた。

 騙されるかもしれない。

 だが、今のさくらが縋れるのは類しかいない。弟を、信じたい。


「分かった。行くけど、聞かない」


「よし。交渉成立。制服のままだけど、家には戻らずこのまま行こう。早いほうがいいから」


 ふたりは、自宅と反対方面の電車に乗った。



 夕方四時半、東京駅。もう暗い。


「はい、これ。さくらの分」


 さくらに手渡されたものは、東海道新幹線の切符だった。

 行き先は『京都』。

 さくらは目を疑った。

 行き先は都内、それか、ちょっと遠い場所だとばかり思っていた。


 人が多いので、類は帽子のほかにサングラスもかけていた。

 長身ゆえ目立つけれど、さすが夕刻の東京駅、行き交う皆は忙しそうにざわついているせいか、北澤ルイだと見破る人は意外にもほとんどいない。


「きょうとって、これ」


 帽子とサングラスのせいで、類の表情はよく読めない。

 行き先については訊ねてはならないという約束をしたばかりだ。

 思わず口走ってしまったことばを飲み込む。


「それは、聞かないおやくそく」


 類は、自分の指先をさくらの唇の上にちょこんと置き、口を封じた。

 あたたかい声と優美なしぐさで、弟なのに思わずときめいてしまいそうになる。

 ……素直に、悔しい。


「は、はい。そうでした」


「では、乗ります。京都まで、約二時間の旅です」


 そう宣言し、類はさくらの手をつないだ。

 まるで逃避行。今日中に、自宅へ戻れるのだろうか。


 行く先に、ほんとうに玲がいるのだろうか。

 類は、玲と連絡を取ったのだろうか。

 京都まで行って、空振りだったら?

 また、覗きの名所めぐりだったら、どうしてくれようか。

 いくら姉でも、おつき合いしかねる。


 ホームへのぼる、エスカレーターの途中。


「新幹線乗る前に、おねえさんに遠足のお菓子でも買ってあげようか。なんでもいいよ」


 まるっきりお子さま扱いをされたさくらは一瞬、腹立たしくなった。


「お菓子ぐらい、自分で買えます」


「へー。買うんだ」


 さくらは類をホームの売店に引っ張って入る。


 しかし、所持金は少ない。たぶん、お財布の中身は五千円ぐらいだと思った。

 学校にまとまった金額を持っていくのは心配だし、生活費は預かっているものの、さくらに浪費の趣味はない。銀行のカードも持っていない。

 お菓子ぐらいなら買えるが、ほんとうに京都まで連れて行かれたら帰れないし、類を頼るしかない。

 年下だが社会人の類は、さくらよりも懐に余裕があるはずだ。なんといっても、世間を騒がせている売れっ子モデル。


 この京都行き、不安しかない。


 直感でチョコレートとクッキー、それにキャラメルを選んだ。あとはアイスティー。

 時間は少し遅いが、今日のおやつ。

 やけ食いでもある。

 

 さくらがレジでお財布を出そうとすると、つかさず類が割り込んだ。


「さくらは一円も出さなくていい。この旅は、ぼくのためのものでもあるから。むしろ、変な気が起こらないように、さくらのお財布はぼくが取り上げておこうね。でも、こんなに食べるの? 甘いものばっかり。太るよ?」


 戸惑うさくらの心も知らずに、類はお菓子を買い終わると新幹線に乗り込み、指定された席に座った。

 さくらは窓側に、類は通路側。

 着席すると、さっそく類はさくらに身を寄り添わせた。


 脱いだコートを、ブランケット代わりにさくらの膝の上へとかけてくれるやさしさを見せてくれる。

 これは相当、女の子をエスコート慣れしているようだ。


「寝る。京都、着いたら教えて」


 通路に背を向けるようにした類の身体の重みが、さくらにのしかかる。

 片方の手はかたくつないだまま。

 もう片方の手はコートの下にあるが、さくらの太股の上。コートをかけてくれたのは、目くらましのためだったのか。


「ねえ類くん。手、どけてもらってもいいかな」


「いやだ。さくらのここ、好き」


「好きとかそういう問題じゃなくてさ」


「安心して寝たいだけ。気にしないで」


 今のところ、新幹線の車内は空いているけれど、今後どれぐらい人が乗ってくるのか分からない。

 公共の場所でいちゃつく若い男女なんて、演じたくないのに。

 厳しい態度で、対応しなければ!


「類くんは安心できても、私はまったく関係ないし」


 そうこうしているうちに、新幹線が動き出した。


 さくらは、類の手を強く押し返す。

 すると、先ほどよりもさらにきわどい場所に向かって類の手が舞い戻ってくる。

 逆効果?


「ああ。ここだけじゃ、不満ってことか。もっとしてほしいんだね。両手、使う? さくらは大胆だなあ。ぼくは構わないけどね。ふあああぁーっ」


「ち、違うってば」


 大きな欠伸さえも、かわいいと見とれてしまう類の横顔。

 ふわふわの茶髪が、さくらの首筋をくすぐる。


「じゃあ、おとなしくしていて。泊まりがけの撮影、朝から深夜までぶっ通しで、めちゃハードだったから。うう、眠気が。さくらと遊ぶためにがんばってきたんだ、今日はとことん付き合ってもらうよ」


 言い終えると、類はすぐに眠ってしまった。

 多忙なだけに、寝ようと思えばすぐに寝られる体質なのだろう。

 起こさないように、そっと類の手をどけた。

 つないだままのほうの手も、ほどく。


 さくらは、手のひらに汗をかいてしまった。

 どうやら類は深く眠っているようで、どちらの手も戻ってこなかった。


 窓の外に視線を落とした。

 暗がりに包まれはじめた東京の街が、飛ぶように遠ざかってゆく。

 品川、新横浜……名古屋の次は、もう京都。

 東海道新幹線のぞみは、ずっと静岡県内を走るのに、静岡県には止まらないらしい。


 さくらにとって、京都は中学校の修学旅行以来二回目だった。

 当時は、観光バスで観光地を巡っただけなので、自力で歩いた記憶もない。

 家庭の事情で、旅行という旅行もほとんどしたことがない。

 旅慣れている様子の類に任せるしかないが、おおいに不安である。


 名古屋に近づいたあたりで、さくらはお菓子の袋を開けた。

 紅茶にも口をつける。

 お菓子の甘さが身体に広がってゆく。おいしい。ぱくぱくと進んでしまう。

 疲れているらしい。


 張りつめていた気分が、少しだけやわらいだ。


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